027 【アッシュの妻、シエラ】

 深栗色の翼と琥珀色の瞳を持つ、狩人めいた鳥人の女が水晶に映っていた。

 モノクルをつけた理知的な印象の女性だ。

 彼女は、ダンジョンの入口で突っ立っている。


「話はできるか?」


「音声通信魔力をつなぎます」


 クリスティがそう言うと、相手の声が聞こえてきた。


「私はハルピュイア商会のシエラと申します」


 澄んだ声だった。


「ハルピュイア商会……ヴェローナから話は聞いている。早いな」


 いまさっきクリスティに頼んで連絡したところだった。


「はい。ハルピュイア商会は、迅速な配達を旨としております。ご連絡を頂いた際、たまたま近くを飛んでおりましたので、そのまま参上いたしました」


 シエラと名乗った鳥人は軽く翼を羽ばたかせる。


「少し待っていてくれ。そちらまで向かう」


「はい。お待ちしております」


 俺とクリスティは、ダンジョンの入口へ向かうことにした。

 クリスティは人間の姿になって、俺の隣を歩いている。


 ダンジョンの入口には、先ほどの鳥人、シエラが立っていた。

 水晶越しで見るよりも、さらに存在感がある。

 というか、大きいな……。


「待たせたな、シエラ」


 俺が声をかけると、シエラはにこやかに微笑んだ。

 そして、距離をつめてきた。


 握手か?

 俺は右手を差し出したが……。


「アッシュ様、はじめまして」


 次の瞬間、シエラは俺に抱きついてきた。


「こ、これは……?」


 攻撃……ではなさそうだ。

 ただ、とにかく、柔らかい。

 いい匂いもした。


「ぎゅうでございます」


「ぎゅう」わけがわからん。


「アッシュ様、お伝え忘れていましたが、抱擁は、鳥人が親愛の情を示す挨拶です」


 そういう大事なことは前もって教えておいてほしいものだった。


「……ありがとう」という反応で正しいのか?


 俺もシエラを、ぎゅうしてみた。

 柔らかくて温かい……。


「ああ! そんな!」


「駄目だったか。すまん」


「はい! 男が女にぎゅうをするなんて! そんな!」とシエラが大声で言った。


「アッシュ様、お伝え忘れていましたが、鳥人の抱擁は、女性から男性へ向けて行うものが一般的です。男性から女性へ抱擁した場合は、お前の一生を守ってやる、という告白を意味します」


「そういう大事なことは先に言ってくれ……」


 うっかり告白したことになってしまったじゃないか。


「それではダーリン、どのような商品を希望されていますか?」とシエラ。


「ダーリン……?」


「はい。鳥人は、つがいとなった男性のことをダーリンと呼ぶ風習があります」


「悪い。本当にすまないが、俺は鳥人の風習を知らなかったんだ」


「そんな……」


 シエラはひどいショックを受けているようだった。


「すまない、シエラ。本当に悪かった。軽率な行動だった」


 俺は深く頭を下げ、心から謝罪した。


 シエラはうつむいたまま何も言わない。


「何か、償いをさせてくれないか? できることなら、何でもする」


 俺の言葉に、シエラはゆっくりと顔を上げた。

 その瞳には、悲しみと共に、微かな希望の光が灯っているように見えた。


「……本当に、何でもですか?」


「ああ……」


「籍を入れてください!」


「いや、それは……」


「さっき何でもするって言ったじゃないですか!」


「言ったけれども……」


「はい。言いました。あなたは私と籍を入れることになりました。ということで、私はあなたの妻になりました。はーい。決定でーす」


「……本当に俺なんかで良いのか?」


「はい。ひと目見たときから惚れていました」


 惚れっぽいな……。

 もしかして鳥人って、刷り込みみたいな現象があるのか?


「シエラ様」クリスティが言った。「夫婦になったということは、商品に割引がききますでしょうか?」


「はい。社割で買えるようになります」


「アッシュ様、良かったじゃないですか! ハルピュイア商会との超強力なコネクションができたということです」


「良かった……のかなぁ……」


 いつの間にか結婚することになっている俺だった。


「もちろんです、アッシュ様! ……いえ、ダーリン!」シエラは満面の笑みで俺を見つめる。「よろしければ、こちらを」


 シエラは腰のポーチから小さな箱を取り出した。

 中には、羽根を模した美しいデザインの指輪が入っている。


「これは、鳥人の夫婦が交わす婚姻の印です。この指輪には、特別な魔力が込められております。互いの居場所を感知し、いつでも危機を知らせることができます。また、アッシュ様に飛行能力が付与されます。この指輪は、この後、きっと役に立つはずです」


 うーん。

 お互いに位置情報を交換しあう夫婦か……。

 なんだか自由が失われる気がして嫌だが……。


「まあ、いいや。わかった。シエラ、よろしくな」

「はい!」シエラは嬉しそうに微笑んだ。


 もらった指輪の【空を飛ぶ能力】というのも素晴らしい。

 俺は魔力で少しだけなら浮遊できるが、長時間となると魔力が不足する。

 それを補うことができるかもしれない。


 俺はシエラから指輪を受け取り、左手の薬指にはめた。

 指輪は不思議なほど俺の指に馴染み、温かい光を放っている。


「それではダーリン。早速ですが、商品を紹介させてください。どのような商品をご所望ですか?」


「そうだな。まずは聖職者が好みそうな物品が欲しい。僧侶や神官をダンジョンにおびき寄せたいんだ」


「なるほど、聖職者ですか。かしこまりました。いくつかお勧めの品がございます」


 シエラはポーチから様々な品物を取り出し始めた。


「まずはこちら、『聖典の写本』です。原本は、とある大神殿に厳重に保管されている貴重なものですが……こちらは、その写本の中でも、特に精巧に作られたものです。魔力も込められており、聖職者ならば、一目でその価値を見抜くでしょう」


 シエラは古びた羊皮紙の束を差し出した。

 確かに神聖な雰囲気が漂っている。


「次はこちら、『癒しの香炉』です。特殊な香草を焚くことで、周囲に癒しの波動を放ちます。傷ついた者や、病に苦しむ者を惹きつけるでしょう。聖職者も、その力を求めてやって来るはずです」


 シエラは精巧な彫刻が施された金属製の香炉を見せてくれた。


「そして、こちらが『奇跡の聖杯』。この聖杯に注いだ水は、どんな傷や病も癒す聖水になると言われています。ただし、これは非常に強力な魔力を持つため、扱いには注意が必要です」


 シエラは黄金に輝く聖杯を取り出した。

 その美しさは、神々しさすら感じさせる。


「なるほどな……。価格は?」


「そうですね、アッシュ様は私の旦那様です。社割で買えるので、90%OFFになりますね」


「いや安すぎるだろ。さすがに赤字だろ」


 俺の指摘に、シエラは少し困ったような顔をした。


「いえ、実は、ハルピュイア商会では、夫婦となったお客様には特別割引を適用しているのです。これは古くからの伝統です」


「伝統?」


「はい。ハルピュイアは夫婦の絆を何よりも大切にする種族です。夫婦となったお客様には、その絆を祝福し、末永く幸せになっていただきたいという願いを込めて、大幅な割引をさせて頂いております」


「なるほど……そういうことか」


 種族の伝統であれば……良いのかな。

 ちょっと俺が得しすぎている気もするが。

 まあ、90%OFFは、こちらとしても非常にありがたい。


「分かった。それなら、ありがたく割引を受けさせてもらおう。これらの商品は、全て購入すると、いくらになるんだ?」


「はい、少々お待ちください」


 シエラは慣れた手つきで計算を始める。


「全て合わせて、通常価格なら1000万テラールですが、ダーリンには特別割引を適用して、100万テラールになります」


「100万テラールか……」


 正直なところ、100万テラールでもかなりの大金だ。

 しかし、これまでに人間たちから奪った金品や、ダンジョンで生成される魔石などを合わせれば、十分に支払える額だった。


「問題ない。全て購入しよう」


「ありがとうございます、ダーリン!」


 シエラは嬉しそうに翼を羽ばたかせた。


「それでは、商品はすぐにダンジョン内へ運び込みます。配置場所など、ご希望はございますか?」


「ああ、そうだな……。配置場所の相談に乗ってもらうこともできるか?」


「はい。お任せください」


 俺はシエラを連れて、ダンジョン内を歩いていた。

 第一階層を案内し、的確な場所にアイテムを配置してもらう。

 そして水晶の間へ近づいたときだった。


 前方から、ルゥナとエルミナが歩いてきた。

 ルゥナも散歩できる程度には体調が良くなっているのだ。


「あ、兄様。そちらの方は?」


「私はシエラと申します」ぺこり、と頭を下げて言った。「アッシュ様の妻です」


 ルゥナは、にっこりと笑った。

 なんというか……恐ろしい笑顔だった。


――――――――――――――――――

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