第5話
器を空にしたあの人は、すぐさま流し台で皿を洗い始めた。あの人はこの1カ月で、使った皿を放置していても何も良い事はないのだという事と、洗剤は1プッシュで十分泡立つのだということは学習できたようだった。
皿を洗ったあの人はソファに腰かけ、テレビを点ける。最近耳が遠くなったあの人は、音量を50にまで上げる。いつも私が「近所迷惑だから小さくして」と注意していたのだけれど、もう口やかましい存在が居ないからか、ここぞとばかりの大音量だ。
テレビの音のせいで、お昼寝していたミミちゃんが目を覚ました。ソファに飛び乗ったミミちゃんは、そのままあの人の膝の上にすっぽりと身体を埋める。あの人はミミちゃんを撫でる事はしないけど、退かそうともしなかった。
テレビではマルタ共和国が紹介されていた。若いレポーターが「マルタには70万匹もの猫が暮らしていて、まさに猫たちの楽園なんです!」と喋りながら、漁港でのんびり日向ぼっこをしている猫を撫でている。
7年前、ミミちゃんを拾ってきたのはあの人だった。ミミちゃんの首根っこを掴んだまま仕事から帰宅してきたあの人は「拾った。どうにかしろ」と私にミミちゃんを半ば押し付けるようにして渡してきたのだ。
なんとか聞き出した情報を繋ぎ合わせると、なんでも左官屋の仕事で向かった現場に段ボールに入れられた状態の子猫が捨てられていたそうだ。そのまま放っておいて死なれると縁起も悪いし気持ち悪いからとりあえず拾ってきた、とあの人は言っていた。
あの人はミミちゃんを黙って膝に乗せたまま、ミミちゃんと良く似た柄をした異国の猫を見つめている。普段ならばニュースか時代劇か囲碁の対局しか見ないのに、あの人の手がリモコンに伸びる事はない。私はあの人の横顔をじっと見つめる。記憶の中のあの人よりも皺が増えている気がしたが、それでもやはりあの人の横顔だ。
お見合いで結婚した私はこの人にはっきりとした恋愛感情を抱いた事は無い。それでもかつて、この人の額から鼻筋にかけての線を綺麗だと思った事がある。男の人だけが持っている、剛直で潔い線だと。
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