第3話
観察を初めて1日目の夜。出かけていたあの人が帰ってきた。玄関の戸を開く音が普段より乱暴なので、恐らく近所にある行きつけの居酒屋で一杯ひっかけてきたのだろう。案の定、リビングに入ってきたあの人は、千鳥足だった。
「おう、帰ったぞ。水くれ、水」
着ていた喪服をソファの上に脱ぎ散らかしながら、あの人が叫ぶ。全くこの人ときたら、私が居なくなった事を忘れているのだろうか。呆れ果てながら観察していると、普段ならすぐさまお水を差し出していたはずの私が居ない事を思い出したらしく、あの人は「ああ、そうやった、畜生」と呟いて、ネクタイを粗雑に緩めた。
不格好な結び目のそれは、出かける前にあの人が散々苦労して結んだものだ。この歳になると周りの人が驚くほどバタバタと亡くなっていく。その度に喪服を着ているはずなのに、あの人は「俺の一張羅は作業着なんや」と訳の分からない理屈をこねて、ネクタイの結び方すら覚えようとしなかった。
今日みたいに急な不幸があった時に、あの人に急かされながら喪服を箪笥から出すのも、ネクタイを結んであげるのも、脱ぎ散らかされた喪服をクリーニングに出すのも、全部私の仕事だった。そのおかげで今日は、喪服がどこに仕舞ってあるのか分からないあの人が朝から家中の箪笥をひっくり返すドタバタ劇をしっかりと目にする事が出来た。まったく、良い気味だ。
あの人が騒々しく帰ってきたせいで、座布団の上で丸くなっていたミミちゃんが目を覚ました。にゃお、と鳴きながら纏わりつくミミちゃんを、あの人が面倒そうに足で追い払う。
「退け。退けって。鬱陶しいな。水飲みたいんや」
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