第4話

――――なので。


 少女漫画やアニメやドラマみたいな恋愛は、どんなに憧れても無理だろうと、身の程というものはわきまえなくてはいけないのだと、玲衣は固く思っていた。

 子供の頃から、体型については、散々からかわれて育ってきたので、わからない方がおかしい。自覚するしかなかった。

 からかわれるのは、自分のせい。からかわれても仕方がない。自分が太っているから悪いのだと……内気だった彼女は、言い返す術を持たず、ただただ、ひたすらに我慢することしか出来なかった。

 高校生になった今は、子供の頃よりもずっと楽に生きられるようになった。今も、からかいまじりの嘲笑を浴びることはあるが……時々なので、我慢もしやすい。

 からかってくるのは、いつも男子だったので、自然に男子に対して、苦手意識を抱くようになっていたが、必要以上に接する必要もないし、向こうから必要以上に話しかけてくることもなかったので、特にどうということもない。同性の友達さえいれば、学校生活に不便や支障はない。男友達が欲しいと思ったこともなかった。


 太っていることが、ずっとずっと負い目で、コンプレックスで……恋なんて、出来ないと思っていた。他人の恋愛話に付き合うことはあっても、玲衣のそれはない。自分に起こりえないことでも興味はあったけれど、恋というのはフィクションの中で知るものであり、楽しむもの。夢物語のように感じていたし、それでいいと思っていたのだ。


 ……にも係わらず、中学の頃には恋をして、片想いをしていたことがある。

 ただ、想うだけでよかったし、それ以上、望むべくもなかった。最初から、想いがかなうなんて思えなかったし、実際、かなわなかった。


 恋はしようと思ってするものではないと、つまり、しようと思ってなくても……恋はしてしまうものらしい。好きになる気持ちは、自然と生まれてしまう。

 が、それでも……玲衣は、初めての恋を手放しでは迎え入れる事が出来なかった。嫌というほど……わかっていたから。他人の目に、自分がどう映り、どう思われるか……子供の頃から、しつこいくらいに何度も思い知らされてきたのだから。

 客観的に考えて、誰の得にもならない。


 舞の気持ちは嬉しいし、有り難いけれど――出来れば、いや、本音では切実にやめて欲しいと思っていた。

 舞は同性で、幼い頃からの親友だから、玲衣のことを悪いように見ないし、思わない。

 むしろ、可愛いと思っている。

 その感覚は、男子にはまったく通じないのだが、舞にはそれがわからない。

 本当に、舞は玲衣への純粋な好意から、世話を焼きたがり、行動しているに過ぎない。

 わかっていても……紹介された男の子たちは、玲衣を見ると、みんな同じ反応をする。他人の気持ちや機微に敏感な彼女には、手に取るようにそれがわかった。

 その度に申し訳なく、居たたまれない気持ちになる。消えてなくなりたいような気持ちになった。


 もうこんな思いはしたくないと、いつも思うが――舞が、嬉しそうに話を持ってくるので、断りきれない。そんなふうに流されて、はっきりと断れない自分も嫌になる。

 しかし、いくら、舞の誘いとはいえ、玲衣は限界を感じていた。もう、これ以上……傷つきたくない。

 言いたいことを、そのまま素直に話せばいいのかもしれないが、玲衣に関してだけは、舞の感覚は一般とは少しズレてしまっているので、うまく伝わらない。上手く、伝えられないのは、玲衣がはっきりとした言葉を使って話せず、明確にわかりやすく言えないせいもある。自分の言葉に自分で傷つくのが嫌で、怖いのだ。

 もう嫌だと思いながらも、舞のがっかりした顔を見ると断りきれなかった。けれど、やはり気が進まないので、何度もそれとなく話してきた。ダブルデートは、初対面同士では難しい。話も弾まないし、緊張するだけで楽しめない。相手の男子にも気を遣わせてしまうから……と、あれこれ言って、何とかやめてもらおうとしたのだが、どうにも伝わらない。

 穏便にやめてもらいたいから、どうしても……言い方が曖昧になる。玲衣の気持ちよりも、相手の立場になったら的なことばかり言ってしまう。はっきり言えない。言ってしまえばいいのに、言えない。自分の言葉でまで、傷つきたくないから。


 何とか先延ばしに出来ないかと、あれこれ理由をつけて予定を組ませないようにしてきたが、それもそろそろ限界で。

 今度は遊園地デートにしよう!なんて、張り切りすぎている舞に、これ以上、何て言えばいいのか……言葉が上手く見つからなくて。

 玲衣はほとほと困り果てていた。舞の頼みだから、快く引き受けたい。一緒に楽しめたらいいのに……とは思うが、今までのことを思うと、やはり思えない。今度こそ、大丈夫!と力説する舞の熱量に押し負かされてしまって……また、流されてしまう。

 嫌なのに。嫌だとはっきり言えない。その理由を言うのがつらいから、悲しいから、玲衣自身が傷つくから、怖くて言いたくない。親友だけど、そこは言えないのだ。ずっと前から。


 どうしよう……どうしよう……と、玲衣は悩む。舞に言いたくても、言えない理由は明確で、玲衣が太っているということが、男子には好かれないという事実があるだけだ。子供の頃からずっとそうなのだから、今更……言葉にしなければいけないのは、さすがに酷すぎる。


 想像したら、胸が苦しくなって、それだけで目の奥が熱くなってきた。


(……やだ!涙が……)


 瞳にじんわり広がってくる熱に、慌てて瞬きを繰り返す。視界がぼやけてくるのを感じて、慌てて何気ないふりで目元を拭い、玲衣はすぐそばの階段を上りきり、屋上に出た。


 もう放課後なので、屋上には誰もいない。吹きっさらしの清々しさ……というよりは、寒々しさに怯んで、屋上の入口でしばらく立ち尽くす。

 がらんとした屋上に冷たい風が吹いて、羽織っていた紺のカーディガンの襟元を条件反射的に引き寄せる。


 ほてるように熱を持ち始めた瞳を冷やすような、冷たい外気にさらされ、流されそうになった冷静さを取り戻す。


 ……泣いても、仕方がない。それに、泣きたいわけではないのだから、泣くなんて……おかしい。


(初めて……部活、サボッちゃった……。)


 玲衣は入学してすぐに手芸部に入部し、今も続けている。

 手芸部の活動日は、毎週水曜日の放課後で、週に一回ということになっているが、それは全部員が必ず集まると決まっている日で、水曜日以外も部室である被服室を開け、自由参加で活動をしている。

 必ず参加しなくてはいけないわけではないから、休むというのは違うのかもしれないが……中学生の頃も手芸部で、その時は毎日あるのが当たり前だったのに慣れてしまっていて、週一回では全然足りない。

 文化祭などに向けて、何かを製作する作業が、殆ど自宅製作になってしまうではないかと、玲衣としては納得がいかないし、彼女の場合は学校で毎日決められた時間、作業をする方が計画的にやれて、助かる。

 それゆえ、殆ど毎日、部活に行っている。


 しかし、情緒不安定を隠しきれないと感じ、今日は急な体調不良で休むと、いつも一緒に部活に参加している友人には、もう連絡してある。顔を合わせて話すとなると、仮病を装う自信がなかったので、SNSを使った。

 グループ内の全員にメッセージ発信・受信・返信、通話が出来るSNSを利用した連絡網が、彼女が所属する手芸部にはあるので、それを使って、玲衣と一緒に毎日のように部活に来ている、親しい部員たちに伝えた。

 入学してから今日まで、テスト前などの部活が完全に休みになるような日以外には、登校していれば、一日も休むことなく、真面目に部活に行っていたから、ずる休みを疑われる可能性はかなり低いと思う。

 部活は好きだし、同じ部に仲の良い友達もいる。クラスが違うから、部活でしかゆっくり話せないので、貴重な時間なのだが……今日は、無理だ。こんな気持ちで、部活に行けない。やれない。親しいからこそ、心配させたくない。友達には会いたくない。


 一先ずの冷静さを取り戻したとはいえ、心の中はまだ揺れていて、何かの拍子に感情に流されてしまいそうな不安定さを感じながら、玲衣は深く息を吸うと、大きく吐き出した。

 胸の中には、燻るように傷みが見え隠れしていて、気持ちがうまくコントロール出来ていないような感覚になる。


 心許なくて、不安だ。


 だが、落ち着かなくては……。


 感情に任せてしまうのは容易い。だけど、それはしたくない。


 自分の気持ちの整理に夢中で、玲衣は気付かなかった。誰もいないように見えた屋上には、実は玲衣以外の人間がいることを。


「……あれ、風月?」


 背後、給水塔の上から突然降ってきた声に驚いて、身をすくめた玲衣が反射的に振り仰ぐと……そこには、巽がいた。

 なぜ、そんな所にいるのか……という疑問が頭をよぎるが、思いがけないことに呆然として、口には出来ずに終わる。

 巽も、玲衣が急に現れたことに驚いていた。ちょうど、彼女のことを考えていたところだったので。

 だが、巽の呼び掛けに振り向いた玲衣の瞳が泣いた後のように赤く潤んでいるように見えて、さらに驚く。


「……え、どうしたんだ?なんか……、目、赤いけど……もしかして、泣いていたのか!?」


 給水塔の上から飛び降りて、前に巽が立つと……慌てて顔を伏せて、目元を拭う玲衣。指に涙がついていないのを確認して、顔を上げる。


「……な、泣いてないよ!」


 ……嘘ではない。泣きそうになっただけだ。言い訳がましく、玲衣は心の中で思う。

 確かめるように、じっと見つめてくる巽の眼差しは真っ直ぐで、何もかもを見透かしているようで……玲衣の鼓動は、知らず速くなっていた。

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