第2話
――――さて。話は、舞と恭介がハンバーガーショップで、ちょっとした口論になった日から、少しばかり戻る。
ここは、そよ
彼女が、
普段は、にこにこしていることの多い彼女の顔は、今とてもどんよりと暗い。彼女の心の中には暗雲が垂れ込めている。これから起こることを思うと、陰鬱な気分から逃れられることなど不可能で、どうしようもなく気持ちが乱れ、たまらない気持ちになっていた。
(も……も、もう、やめてーっ!)
本当は叫び出したい衝動に駆られながらも、それを何とか飲み下し、渋い顔でうなずくのがやっとだったことを振り返り、後悔していた。
しかしながら、他の選択肢を選べるわけもなかったというのが実情だ。
……だって、わかっているのだ。親友がよかれと思って言ってくれているのは。子供の頃からずっとそうだったのだから。
親友の舞は、玲衣の面倒をよく見てくれる。率先して助けてくれ、協力してくれる。いつも一緒だったし、これからだって……ずっと友達として、惜しみなく手をさしのべてくれるであろう大切な親友だから、それは疑いようがない。
だけど……
だけど…………
どう言えば、わかってもらえるだろうか?純粋な善意と厚意でやってくれていることが、余計に玲衣には気が重い。いや、悪気があった方がいいという意味ではないのだが、身がすくむ思いがするのだ。
それとなく、何度も話したけれど、根本的には理解してもらえなかった。舞の価値観や感覚を否定するつもりなんかない。むしろ、有り難いと思う。
だけど…………、だけどっ!
(……私のためを思って言ってくれているのだから……断るなんてことをしたら、申し訳ない。…………でも。でも……でも、やっぱりつらい。)
溜め息になりそうで、溜め息をつきたくなくて、視線を上に向け、出かかった息を飲み込む。
決して、舞が悪いわけではない。
(わ……私が、私が……悪い。私が……、こんなだから…………。)
惨めな気持ちに飲み込まれそうになり、俯きかけた顔を慌てて上げ直す。
何度も感じてきた気持ちだから、慣れている。いや、慣れていると自分に言い聞かせているだけなのかもしれないが、初めてではないので、耐性はあるはずなのだ。
暗い顔をしていれば、心配されてしまう。そして、どうして暗くなっているのか詮索されてしまう。そうなれば、上手く誤魔化せる自信はない。
親友の舞のせいではないのに、気を遣わせてしまう。それは、嫌だ。
(……大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈……)
呪文のように心の中で何度も繰り返しながら、玲衣は廊下の角を曲がった。
途端、
「――ぶっ!?」
「――っ!」
向こうから歩いてきた男子生徒と鉢合わせ、ぶつかりそうになり、慌てて避けようとするが間に合わず、玲衣は男子生徒の腕に、肩がぶつかってしまう。
「ご、ごめんなさい!」
条件反射で、考えるよりも先に口をついて出る謝罪の言葉。そして、無意識に身構えてしまう。
「いや。こっちこそ、悪い!」
さらりとした返事が来て、はっとして目を上げると……見覚えのある顔。
(あっ……この人、隣のクラスの……。)
思わず、アクリルプレート製のネームプレートに視線を走らせる。左側に校章、その横には名字が白く刻まれている。
『檜山』
彼は、玲衣と同学年で、隣のクラスの生徒だった。容姿で目立つので、顔は知っていたが、話したことはない。
(……風月。)
玲衣がしたように、何気なく名札に目を止めた後、彼……
「……あのさ、いきなりで悪いんだけど、ちょっと聞いてもいい?前から気になっていたんだけど、風月って……もしかして、“
風月堂というのは、玲衣の両親が営んでいる和菓子店だ。明治時代末期から続く老舗なので、近所で知らない者はいない。
国産の原材料にこだわり、手間隙を惜しまず作っているので、一日に販売出来る量は限られているのだが、茶道の家元が好んで買い求めるような上品なものから、庶民に愛されてきたカジュアルなものまで、一つ一つ手作りで丁寧に作られた菓子は、『此処いらで“和菓子”と言えば、風月堂』などと、ちょっと大袈裟過ぎる標章的表現で言われることもあるほど、幅広い世代の多くの人、特に地元民に愛されてきた店。
老舗とはいえ、玲衣から言わせれば、古いだけの小さな店なのだが、それでも……先祖が代々受け継いできたものを、父が守っているということには、彼女自身も特別な思いがある。風月堂の和菓子は、味にも形にも意味がある。小さな店だが、長い歴史があるのは事実で、その事実は大きかった。年端もいかない彼女にも、何となくでも……それがわかるほどに、大きな意味、価値になっている。もっぱら、お手伝い要員でしかないが、それでも、彼女も風月堂の一員だと思っていたし、両親が毎日働く姿を見て育ったから、店は彼女にとっても特別なもので、存在だ。風月家にとってのシンボル。標章そのもの。
ご近所に愛される小さな店でも、最近はインターネットのおかげで口コミも広がりやすく、丁寧な仕事が評価されるように、風月堂の評判はご近所に留まらなくなってきていて、市外から、時には県外からも客が訪れるようになってきたので、彼がどこに住んでいるのか、玲衣は知らなかったが、
「あ、はい。両親がお店を……」
「ああ……やっぱり、そうなんだ。珍しい名前だし、ばあちゃんが気に入っている店だから、よく話に聞いていて……もしかしたらって思っていたんだけど」
「あ、いつもご愛顧ありがとうございます!」
ぺこりと頭を下げる玲衣に、巽が思わず笑う。
「うん。ばあちゃんに伝えておくよ」
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