第16話 風を纏いし刃、焔を裂いて舞う

 炎の熱気が渦巻く中、玲華は低く身を屈め、一気に駆け出した。

 焼けた石畳の上、轟音が渦巻く中、玲華の気配は一陣の風のように通り過ぎる。

 雑兵の刃が横薙ぎに迫るも、玲華はまるで舞うように身を翻し、それを躱した。

 斜めに滑り込むように進み、背後から迫る槍を膝を折って回避した。

 空気の流れに溶け込むかのように、玲華の体は地を這い、刃の隙間を縫うように抜けていく。

「邪魔ッ!」

 一閃。

 手にした短剣が、一人の兵士の喉元を掠め、血を飛ばした。

 飛び散る鮮血すら目に入らず、玲華はただ前を見据えていた。

 続く敵を避けるように横跳びし、そのまま地面を蹴って前方へと跳び込む。

 狙いはただ一人――林黄牙。

「おお……来るか!」

 歓喜に満ちた声が上がる。

 玲華の短剣が閃き、林黄牙へと切りかかる。

 だが、刃は斬馬刀の柄で軽々と受け止められ、すぐさま払い落とされる。

 衝撃が腕に走る。

 玲華は一歩、二歩と後退し、姿勢を整えた。

「ははっ、いいぞ、悪くねぇ!」

 林黄牙は嬉々とした様子で笑う。

 玲華は痛みも恐れも意に介さず、睨みつけたまま飛び退いた。

 次の瞬間、地を蹴って駆ける。

 身体のばねを生かし、鋭い動きで翻弄する。

 煙の合間を縫うように動き、その姿は一瞬ごとに現れては消えた。

「こっちだっ!」

 玲華の動きに翻弄され、林黄牙の視線がわずかに追いつかない。

 緩急をつけた動きで、玲華の姿が視界から一瞬消えた。

 視界がかすかに揺れた、その刹那。

「そこだ!」

 短剣の切っ先が肉を裂き、手応えが伝わる。

 一拍の静寂の後、ブシュッと血が噴き上がり、玲華の頬に熱を感じさせた。

「ほぉ……やるじゃねぇか」

 林黄牙は楽しそうに口角を上げる。

 次の瞬間、勢いよく左腕を振る。

「ぐっ……!」

 玲華の小柄な身体が宙に放り投げられた。

 重力に逆らうように回転しながら、軒下へ向かって落ちていく。

 壁が迫る中、玲華は咄嗟に身をひねり、足を突き出した。

 壁を蹴り、軌道をそらして衝撃を逃す

 軒瓦が砕け、破片が空中に舞う中、玲華は膝をついて着地した。

 その身のこなしに、兵士たちがざわめいた。

「あの動き……子供じゃねぇ……」

「おい、あのガキ……なに者だ……」

 林黄牙は大声で笑った。

「ははっ、最高だぜ! いい動きだったぞ、坊主!」

 だが、すぐに嗤う。

「……そんな軽い一刺しで、俺を倒せると思ったか?」

 玲華は息を切らしながらも、林黄牙を睨みつけ、短剣を構え直す。

 確かに倒せはしなかった。

 だが、刺せた。

 届いた。

(……私の攻撃が、通じる)

 その事実だけが、玲華の全身に再び熱を灯した。

 鼓動が高鳴る。

 体の奥から湧き上がる力が、再び足を前へと突き動かす。

「将軍をお守りしろ!」

 兵士たちが一斉に動き出そうとした瞬間、鋭く響く怒声がそれを制した。

「黙ってろッ!」

 林黄牙の怒声が響き、兵士たちの動きがピタリと止まる。

「……こいつは、俺が楽しんでんだよ。邪魔すんじゃねぇ」

 その言葉に誰も逆らえず、兵たちは静かに後退した。

 林黄牙が一歩前に出る。

「来いよ、坊主……次で終わりにしてやる」

 玲華は短く息を吐いた。

 喉の奥が焼け付き、膝が小さく震える。

 それでも足を止めることはできない。

 炎の熱気が体に纏わりつき、呼吸すらままならない。

 それでも、跳ぶ。

 地を蹴り、林黄牙目がけて一直線に跳躍した。

 空中で一瞬、世界が止まったように感じる。

(今しかない。――首を……狙う!)

 踏み込んだ瞬間、視界がぶれるほどの速さで玲華の姿が消えた。

 林黄牙の目が、かすかに見開かれる。

 次の瞬間、閃光のような一閃が走った。

 炎の渦を切り裂いた短剣は、林黄牙の喉元を正確に捉える。

 しかし、刃は皮一枚を削っただけだった。

 血が一筋、鈍く光りながら玲華の視界を横切る。

「――惜しいなぁ」

 林黄牙が笑った。

 その声音は痛みではなく、愉悦に染まっていた。

「坊主、あと半寸深けりゃ……オレの首、飛んでたぜ?」

 ゆっくりと振り返るその目には、怒りも焦りもなく、ただ――興奮が宿っていた。

「なるほど、やるじゃねぇか。……だが、ここまでだな」

 そう言った林黄牙の右手が、まるで雷光のような速さで伸びる。

 襟元をがっちりと掴んだかと思えば、顔の前に迫るその掌には、剣より鋭い殺気が宿っていた。

「上出来だったぜ、坊主。だが、もうおやすみだ」

 次の瞬間、低く響く声と共に、玲華の首元へ手刀が叩き込まれた。

「……っ!」

 衝撃と共に視界が揺れ、玲華の意識は暗闇へと引きずり込まれていった。

 視界の端で火の粉が舞い、空が揺れていた。

 玲華の身体が力を失い、林黄牙の腕の中で崩れ落ちた。

 炎がくすぶる瓦礫の山、その奥から、さらりとした声が響いた。

「……楽しそうでしたねぇ」

 灰に染まった静寂の中、ぽつりと落ちるように声がした。

 ゆらり、と熱気を揺らして現れたのは、青い軽装鎧の男だった。

 細身の体に血の滴る剣を下げ、唇には興味と愉悦を混ぜたような笑みを浮かべていた。

 その足取りはまるで散歩のように軽く、まわりに転がる死体も焦げた煙も、まるで気に留めていない様子だった。

「清遊、お前もな」

 林黄牙は、気絶した玲華を片腕にぶら下げたまま、片頬を引きつらせて笑った。

 その表情には勝者としての余裕と、少しばかりの興奮が残っていた。

「で、ソレどうするんです? 殺しちゃうには、惜しい気もしますが」

 清遊と呼ばれた男が顎で玲華を指しながら問う。

 目は細められ、その視線には好奇の色が浮かんでいた。

「持って帰る」

 林黄牙は斬馬刀の柄を肩に乗せ直し、断言した。

「えぇ……本気で? あれ、ガキですよ?」

 清遊が眉をひそめる。

 信じられないというより、面倒くさそうな声音だった。

「問題ねぇよ。たまには毛色の変わったヤツを飼うのも、面白ぇだろ」

 林黄牙は肩をすくめ、火に照らされた顔に、どこか愉悦めいた影を落とした。

「うーん……そういう趣味、オレには理解できませんねぇ」

 清遊は苦笑しつつも、剣を肩に担ぎ直して付いていく。

 熱風が吹き抜け、焦げた木材がパチリと音を立てた。

 焼け焦げた空に、軽やかな笑い声が混じる。

 命の価値を天秤にすらかけぬ者たちの、それは残酷で美しい勝者の余韻だった。

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