第15話 焔に染まる地に、慟哭は響く

 灰と煙が空を覆い、逃げ惑う人々の悲鳴と怒号が入り混じる。

 藍都の中央に位置する役所前の広場。

 そこは今や、焼け落ちた建物と崩れた瓦礫が乱雑に転がる戦場となっていた。

「こっちだ! まだ間に合う! 裏路地を使え!」

 怒声が飛ぶ。

 紅雷怕――藍都の警衛都尉は、右腕から血を流しながらも剣を振るい、逃げる市民の背を守っていた。

 隣には、長兄・紅烈英が盾を構えながら兵を制し、道を切り開いていく。

 多勢に無勢。

 圧倒的な数と装備に対し、雷怕と烈英の戦いは、もはや耐えるだけで精一杯だった。

「父上……このままでは……!」

「喋る暇があるなら動け! まだ逃げきれていない者がいる!」

 雷怕の言葉に、烈英は顔をしかめ、さらに一歩前に出た。

 振るわれる槍を盾で受け、隙間から剣を突き出す。

 だが、敵を一人倒しても、すぐに別の兵が現れる。

(くそっ……キリがない)

 呼吸が荒れる。喉の奥が鉄の味で苦い。

 だが、背後には守るべき民がいる。足を止めるわけにはいかない。

 そのときだった。

 ズシン、と地を鳴らす馬の蹄音が響いた。

 焼け落ちかけた門の向こうから現れたのは、真紅の飾り紐をなびかせた戦馬に跨る、一人の大男。

 鎧は黒鉄と深紅を基調にした重装で、その肩には赫州の紋章。

 手にした武器は、青龍偃月刀を彷彿とさせる巨大な刃――長柄の斬馬刀。

 その存在感だけで、広場の空気が一変する。

「おいおい……なかなか、骨のある奴らがいるじゃねぇか」

 唇の端を吊り上げたその男が、嘲るように嗤った。

 赫州鎮南将軍・林黄牙――

 赫州でも最も恐れられる“戦鬼”の異名を持つ猛将だった。

「我が名は林黄牙。赫州鎮南将軍だ」

 その声が響くと同時に、兵士たちが一斉に動きを止めた。

 雷怕と烈英も一歩距離を取り、警戒を強める。

「貴様ら、なぜこのような真似を……! 我らは民を守るために、何も……!」

 烈英が怒りを込めて叫ぶ。

「何も、だぁ? 我が州の民が、ここの連中に殺された。その償いをしろと言ったのに、謝罪を拒んだのはそっちだろうが」

「それは……藍都令がすでに謝罪の使者を――!」

「謝罪? そんなもんで命が戻ってくるか。降伏勧告も突っぱねた。なら、力でケリをつけるまでだ」

 そう言って、林黄牙は斬馬刀を地面に突き立てた。

「だが――正直、全部斬っちまうのも芸がねぇ。そこで提案だ」

 その目が、楽しげに細められる。

「お前ら二人のうち、どっちでもいい。俺に一太刀でも浴びせられたら、ここにいる民は逃がしてやってもいいぜ」

 その言葉に、広場がざわめいた。

 雷怕と烈英が視線を交わす。どちらも、引くつもりはなかった。

「……紅雷怕。藍都警衛都尉として、名乗らせてもらう」

「紅烈英。衛将として、この命、悔いなく使わせてもらう」

「おうおう、いいツラしてる。乗ったぜ。派手にやれよ――!」

 林黄牙は手綱を片手で引くと、ひらりと馬から飛び降り、重厚な鎧を揺らしながら、斬馬刀を肩に担いだ。

 烈英が先に駆けた。 短く刃を振り上げ、斜めに切り込む。

 林黄牙は、片手で斬馬刀を振り抜いた。


 ガギィィン!


 衝撃音。

 烈英の剣が、斬馬刀の一撃で砕けた。

 そこに雷怕が割って入る。

 斬馬刀の死角から踏み込み、脇腹を狙う。

「よっ……と」

 林黄牙はその巨体に似合わぬ軽やかさで身を捻ると、斬馬刀の柄尻を雷怕の胸に叩き込んだ。

 肉が裂けるような音と共に、雷怕の体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。

「ぐっ……ま、まだ……っ」

 血を吐きながらも、雷怕は半身を起こし、烈英に声を絞り出す。

「行け……烈英……一太刀でも……あいつに……」

「父上っ!!」

 烈英が叫びながら、盾を構えて突進するが、林黄牙は笑ったまま、盾ごと烈英を地面に押し倒した。

 次の瞬間、烈英の胸に、刃が深々と突き刺さる。

 血が噴き出し、白目を剥いたまま、烈英は動かなくなった。

「ふぅん……悪くなかったぜ。お前ら」

 まるで虫を潰した後に感想を述べるかのように、林黄牙は飄々と呟いた。

 その声が、血と火の匂いに満ちた空気を震わせた。

「父……さま……?」

 焼け焦げた広場の隅。

 土煙と血の匂いの中、か細い声が漏れた。

 玲華だった。

 炎をかきわけ、ようやくたどり着いたその先、目にしたのは、倒れ伏す父と兄の姿。

 その傍らには、巨大な斬馬刀を肩に乗せた武人が立っていた。

 ――林黄牙。

「う……そ……」

 視界がぶれた。

 頭の中で何かが壊れた。

 喉が焼けるほど叫びたかった。けれど、言葉にならなかった。

 足が勝手にふらつき、膝から崩れ落ちる。

 震える指が、焼け焦げた地面を掴む。

 それでも、目を逸らせなかった。

「……っぁあああああああああああああっ!!!」

 空に向かって、叫びが喉を突き破るようにほとばしった。

 絶望。怒り。悔しさ。

 すべてが混じった、言葉にならない慟哭。

 焼けた空に吸い込まれていくその叫びに、誰も応えるものはいない。

 林黄牙は斬馬刀を肩に担いだまま、血に濡れた大地に立ち尽くしていた。

 そして、玲華の姿に目を留める。

 小さな影。だが、確かに何かを宿した眼差し。

「おい……あれ、ガキか?」

 にやり――口元を吊り上げる。

「ガキのくせに、その目……悪くねぇな」

 林黄牙の視線が、玲華の手元にある小さな刃へとわずかに下る。

 玲華は、気づけば短剣を握っていた。

 父が斬られ、兄が倒れたあの瞬間――胸の奥から、何かが爆ぜた。

 怖いと思う前に、悔しいとも思う前に、ただ、怒りが燃え上がった。

 焼けた空気すら飲み込むような、真っ赤な憤怒だった。

 逃げるためじゃない。守るためでもない。

 ただ、怒りをどこかにぶつけたかった。

 その感情が、短剣を掴ませた。

 まだ幼いその手に握られた刃――だが、そこに宿る意志を、林黄牙は確かに見た。

「お前がっ!」

 玲華は睨みつけると短剣を構えた。

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