君の身体を、わたしにちょうだい! アンドロジナス・アイドル「ナナナカノコ」の事情

弥生 知枝

理想と夢と幻想の実現体 ナナナカノコ


「ねぇ! 君よ、君っ!!」


 ひそひそと囁くヴォリュームにも拘らず、向けた相手に強い思いを伝える声。

 そんな器用さを発揮した声は、何故かとても聞き覚えがあった。




 5分ほど、時間は遡る――――。




 特別に秀でた「顔」「能力」「知識」なんて持たない僕の仕事は裏方全般だ。今春から一人暮らしと、アルバイトを始めたばかりの大学1年生。そんな僕が出来る事なんて限られている。夕方からの焼き鳥屋の裏方仕事――それが今の僕に出来るせいぜいだ。

 時折出来上がった料理をテーブルへ運ぶほか、僕の概ねの仕事は地道に食器を洗い続けること。淡々と、無心に。ちょっぴり虚しさが過るけど、仕事なんてそんなもの。


「トリの降臨~! うまうまっ」

音子のこちゃーん? ちょっと声、抑えようかぁ?」


 我慢しきれない喜びに弾けた少女の声が、鬱々と泡を弄ぶ僕の耳にも届いた。焦った様子のお連れさんには悪いけど、僕が洗って、運んだお皿の焼き鳥を、嬉しくて堪らない風に食べてもらえると、僕の気持ちもほっこり温まる。


 単調なバイトも、こんな風に小さな嬉しいを見付けたら続けられるのかもしれない。


 ごしごし あわあわあわわ ごしごし…… …… …… ……



「ちょっと!」


 また同じ声がすぐ傍で聞こえて、泡まみれのゴム手袋をつけた僕の腕を、細い指の小さな手が掴む。


「はぃ!? え? 僕!?」

「そうよ、君よ、君っ!! トリや泡じゃなくこっちを見て!」


 ひそひそと囁くヴォリュームにも拘らず、向けた相手に強い思いを伝える声。

 そんな器用さを発揮した声は、何故かとても聞き覚えがあった。


 けど、その記憶が何なのか考えるよりも先に、僕には重大な問題がある!


 部外者の侵入で、厨房だけでなく客席にまでざわめきが広がり始めている。アルバイト一日目で、何で僕はこんな騒ぎに巻き込まれるんだよ!? 慣れない初めてのバイトでいっぱいいっぱいの僕に、なんてことしてくれるんだよ!?


 声の主は、そんな僕の困惑と、周囲の喧騒は丸っと無視だ。華奢だけれどとんでもなく力強い手が、突き通す意志の強固さを乗せて、僕を厨房から引き摺り出す。戸惑うしかない僕と同じくらい混乱を極めたスタッフたちは、僕と彼女が私的な問題を抱えているのか、はたまた接客対応上の問題があったのか……などなど、状況を掴みかねて、何の行動も起こせないでいる。


「いやいやいや、誰ですか!? 僕はアルバイト中でっ!」


 外野からの助けは期待できないと悟った僕は、必死で抵抗する。両足を踏ん張って、店から連れ出されるのだけは阻止しようと、声を上げて店の人たちに縋る視線を向ける。けれど、その視界にはいつの間にか真っ黒い革ジャン姿の背中が入り込んでいた。


「え!? あんたの仲間!?」

「ちがう、わたしのぴー


 戸惑う僕を、さらに混乱させる答えしか返ってこない。Pと呼ばれた彼は、集まって来たスタッフや店長さんに向かって話しているようで、店長は何を納得したのか頷いている。


「Pがちゃんと説明したから大丈夫。君はわたしと一緒に来るの!」


 少女が小さな手に力を込めて、再び僕を強引に引っ張り始める。


 何なんだ、僕の家は中流よりも落ちるくらいの平凡家庭で、大学だって仕送りだけでやってなんていけないからアルバイトもしてるんだぞ!? そんな何の旨味もない僕に、ナニをしようと!?


「まさかっ……!? 力であんたみたいなオンナノコに負ける僕を監禁して、ピーーーなことをさせて、ネットに上げたりして、スパチャで一儲けしようって思ってるんじゃぁ!?」


 悪い妄想が次々に膨らんで混乱する僕の背筋に、ヒヤリと冷たいものが流れ始める。

 そこに店長と穏やかにお話し合いを終えて、踵を返したPがやって来た。男の姿は、20代後半くらいで、黒革ジャンに真っ黒レンズの丸サングラス、きつすぎるウエーブのミディアムヘアーの……一見してまともな社会適合者でない属性を体現している。


音子のこ。注目が集まりすぎだ。さっさとずらかるぞ」

「わかってる。けど、この子も一緒よ! やっと見付けたんだから!!」


 戻って来たPに、音子のこと呼ばれた女の子が一際強い口調で宣言する。


「は? え? やだっ!! 僕はアルバイト中でっ!」

「それは今話を付けた。君は安心して、このオニイサンに身を委ねると良い」

「ナニその言いかた。怪しいことこの上ないわ」


 すかさず音子のこが鼻の頭に皺を寄せて、呆れ切った視線を男に向ける。今ばかりは、彼女に同意だ。


「おかしいか?」

「おかしいけど、ま、仕方ないね。とにかく君には一緒に来てもらうよ。大丈夫、なにも怖いことなんてないから、君の身体を貸して欲しいだけ」


 ついに僕の腕を両腕で抱え込んだ音子のこが、不器用に口角を上げた歪な笑顔で、ぐいぐい詰め寄る。視界の隅で、黒い男が片眉をひょこりと上げたのは、彼女の言葉だって十分すぎるほど怪しいって言いたいんだろう。全くそうだ!


「とにかく、行くぞ」

「いや、今の説明で安心して付いて行ける要素なんかないから!」

「ううん、ずぇったいにわたしのモノになってもらうわ! せっかく見付けた身体だもの、逃がさないわっ」


 問題しかない発言を繰り返す音子のこは、とんでもないパワーで僕を引きずって行く。僕よりも幼くて、10代半ばくらいにしか見えない女の子なのに、有無を言わせない凄まじい力だ。


 その小柄でほんのり丸みがかった女の子こそ、実は誰もが知るアイドル「ナナナカノコ」だったのだが――その時の僕にとって、彼女らはただただヤバい奴らでしかなかったのだった。





 ◇◇◇





 警戒心も顕わな僕を、強引に連れて行くのは不可能だと判断したんだろう。

 焼き鳥屋を無理矢理引き摺り出されて、噛み付いてやるとの意思も顕わにした僕に彼らが提案したのは、近所の古い喫茶店に入っての事情説明だった。


 ほんの少し裏通りに入ったところに在るその店は、昔からの常連が珈琲と新聞で時間を潰しにやって来る店だ。程よくまばらに客が入り、天井近くに設置されたテレビには歌番組が流れている。


 幾つも空いた4人掛けのボックス席の一つに、僕とPが向き合って着き、彼と背中合わせになる席に音子のこが腰かけた。


 彼女が何故同じ席に加わらないのか、不思議な行動ではあった。けれど僕にとっては、そんなことより連れ出された案件についての方が重大で、大問題だった。


「あのさ、そんな噛みつきそうな顔で見ないでくれないかな? 傷付いたお兄さんの繊細なglassハートが、砕けた煌めきのshowerを浴びて、太陽に背を向けた背徳者の沈鬱に圧し潰されちゃう――」

「ワケの分からないこと言って誤魔化さないでください。ここで、人攫いって大声を出しても良いんですよ」


 ただそれをやらないのは、音子のこが妙に気になったからだ。全く知らない痴女に強引にこんなことをされたのなら、即大声&警察案件なんだけど、僕は彼女を知っている気がする。


 けど、思い出せないんだ。


 いとこ……でもない。ハトコにもいない。もっと遠くの親戚??




 ふいに、テレビからが流れて―――僕の聴覚を惹き付けた。




 男女の別なくあこがれの視線を向ける、今を時めく超人気アイドルの歌だ。彼女の澄んだ高音はぶれず、安定して伸びやかに響き、切々とした恋の詩を力強く希望に満ちた輝きを伴って紡ぎ出す。


「あれ、この声? どっかで聞いた気がする」

「わたしだよ」


 呟いた僕にすかさず音子のこが答える。


「よかった知ってた。なら話は早いね」

「いやいやいや、待って? 無理があるでしょ。あのとじゃあ、姿が……」


 僕が指差したテレビの画面に視線を移したPが、チッと舌打ちをする。腕を組んで、眉間にしわを寄せた不機嫌そのものの態度だ。真っ黒な丸サングラスで隠れているけど、きっと映像を睨み付けているに違いない。


「こいつは二代目の身体だ。そん時の録画だ」

「一週間前にクビにしたの。だって、迫るし、脅すし、勝手なことばかりして、ナナナカノコを壊そうとするから。だからナナナカノコは一週間活動休止中なの!」


 Pの背中越しに、僕に視線を寄越した音子のこが、苦々しく顔全体を歪めて大きく溜息を吐く。


「は? え?」


 僕の口からは間の抜けた音しか出てこない。何を言っていいのか、彼女たちが何を言っているのか、まるで分らないからだ。音子のこの言うナナナカノコは僕だって知っている。けどそれを壊すって? 二代目の身体って?


「ナナナカノコがこれ以上表に出ないと、重病説が流れて、今後の活動に支障をきたすって……そう焦ってたとこに君がいたの! 大好きな焼き鳥が結んでくれた縁が、トリだけに飛び込んで来てくれたのよ!!」


 Pが、必死に肩越しで音子のこを圧し留めようとしているけれど、抗いきれない力強さで僕に向かって身を乗り出してくる。「落ち着け音子のこ! 新たな騒ぎを起こすな! 目立つわけにはいかないからっ」と、小声で必死に懇願するPだが、瞳孔の開ききった音子のこは僕を逃すまいと更に背凭れから全身を乗り出してくる。もぉ、こっちの席に着いた方がマシなんじゃないだろうか。


「わたしとPには、君の身体が必要なのよぉぉぉぉーーーーーーーーー!! おねがいっ! 君の身体を、わたしにちょうだい!!」



 とんでもない熱量をぶつけられて、鬱々漫然と過ごすだけだと思っていた僕の「お仕事」は、音子のこの望む方向へ舵を切ることになった。


「ぶっちゃけ、ナナナカノコは俺が一手に仕切ってて、事務所とか関係無いから取り前は大きいよ」


 そう言って、Pさんが提示した金額がとても魅力的だったことも否べない。

 現役学生を売りにしているナナナカノコの活動が、休日限定だったりすることも、アルバイト学生にはとても魅力的だったんだ。




 あとは、アイドル活動に並々ならぬ力強い情熱を注ぐ、音子のこに絆されたのも、ちょっとあった。


 ―――いや、格好つけても仕方ない。正直に言うと、年下の彼女から感じた僕にない「情熱」。それを身近に感じたかった興味が、何より大きくなっていた。





 ◇◇◇





 アイドルフェス屋内の会場には、8000人の観衆が詰めかけている。暗いステージ中央の闇の中――そこに、息を潜ませる僕はそっと呟いた。


「さぁ、皆の待ち望んだ大トリの降臨だ」


 一際強いスポットライトの円が降臨し、期待に目を輝かせる何人もの想いを具現化したアイドルが現れる。


「みんなーーーーーーーーーっ! 今日はナナナカノコのために来てくれて、あっりがとぉーーーーーーーーーーーーーーっ!」


 ステージの上で僕が大きく手を振れば、会場中の空気を震わせる大歓声が沸き起こる。


 声は音子のこ

 身体は僕。1年前に彼女が言った通り、僕が音子のこの意志を察して演じている。


 Pさんが、二台のシンセサイザーと、パソコンに繋がれたMIDIコントローラーに囲まれて、何人ものバンドメンバーが作り出すのにも負けない複雑な音を創り出す。


 彼の音に導かれて、歌が始まり、僕は大きく口を開ける。

 けれど、僕のマイクは音を拾わない。僕の役割は、大勢の人たちの希望と夢を具現化したアイドル「ナナナカノコ」の身体だ。音子のこの歌声が、華やかな煌めきを纏って聴衆に向かって行く。


 僕らは三人で、絶対的なアイドルを創り出す。


 性別を感じさせないアンドロジナスな風貌に、少女の様に愛らしく透明感のある歌声で、時に隠しきれない激しさと力強さを漲らせるシャウトを繰り出す歌を紡ぎ出す。


 現実ではない理想を体現した、幻想の実現体――それがアンドロジナス・アイドル「ナナナカノコ」。




 大勢が愛し、追い求めるアイドルは虚像で構わない。

 皆が熱狂する、音と、声と、詩と、そして風貌が揃えば、理想が現実として確かな力を持ち、触れる人たちにとんでもないパワーを与える。


 ステージの上は、三人が夢と理想で紡いだ「完璧」な芸術品だ。


 生まれたばかりの「ナナナカノコ」は、Web上で顔を出さず、Pの作った曲を歌っていた。そして人気に火が付けば、Pと音子のこの「ナナナカノコ」の歌をもっと広い世界に知らしめ、魅了したいとの想いは強くなるばかりだった。

 人気が出ると、テレビや生のステージへの露出が求められる。


 けれど、二人の理想とする「ナナナカノコ」は音子のこそのものの風貌とは違っていたし、何よりその時まだ中学校一年生でしかなかった彼女は、普通に学校に通い、生徒としての自分も残したかった。


 あの喫茶店で、契約に同意した僕に音子のこは言ったんだ。


「わたしは貪欲で贅沢者なの。普通も、極上も、両方の世界を味わい尽くしたいの! 超アイドルで世界中も魅了して、その上で普通の学校に普通の友人関係を築いてもみたい!! だからナナナカノコは、実在しちゃいけないの」


 理想を追い求める彼女は、僕が今まで目にした何よりもキラキラ輝いて見えた。先に彼女と歩み始めていたPに嫉妬心を覚えたくらいだ。だから、僕はP以上にナナナカノコをアイドルとして輝かせる存在になりたいと努力し続ける。





 そうしてずっと音子のこの見る極上の景色を、一緒に目に焼き付けるんだ!




 けど、それだけじゃあ満足できない。


「強引な音子のこに振り回されて、僕まで影響を受けちゃったんだろうな」


 微かに呟いて、光が降り注ぎ爆音の様な歓声を独り占めするステージの中央から、ひっそりと影に潜んで歌い声を紡ぐブースへと視線を向ける。


音子のこが居る平凡な日常も、身体の僕じゃなく……那珂なかとして一緒に過ごして生きたい。僕まで、贅沢で貪欲になっちゃったみたいだ」


 彼女のために、僕は全力を尽くして輝く。

 みんなのアイドルを壊さないように――いや、違う。




 たった一人、音子のこのあこがれを体現する唯一であるために!!

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君の身体を、わたしにちょうだい! アンドロジナス・アイドル「ナナナカノコ」の事情 弥生 知枝 @YayoiChie

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