都市伝説級にウマイと評判の蕎麦

エモリモエ

◈◈◈

ずっと目標にがんばってきました。

憧れでした。

TデパートC店の社員食堂。

ここの蕎麦が、どうやら感動的に美味しいらしいんです。


嗚呼、それはもはや都市伝説の領域。

なによりざるで食え、と聞く。


緑がかった蕎麦の色。見た目も麗しい細めの麺の、折り目正しく角立った切り口。香りは高く、繊細で豊か。のどごし、あくまで滑らかにして、コシはしっかりしているけれど、どこかしっとりとした食べ応え。清涼な水を使って作られているだろうことを感じさせる、爽やかさ。上品でいて、大地のちからを思わせる蕎麦本来の野趣を兼ねる。

それに、これまた自己主張の強いそばつゆが絡むと、蕎麦の個性がより引き立てる、妙。そばつゆは鰹節ベース。コンサバティブでありながら華やかな味わい。

これを蕎麦湯で割って飲むのが最高で、後でトイレが近くなるのを覚悟で、蕎麦湯のお代わりをせずにはいられない、と主張する先輩方多数。


この蕎麦、カリスマバイヤーの某さんが見つけた蕎麦粉を使っているという専らの噂で、その希少性ゆえにC店の社員食堂でしか食べられないのだとか。

しかもその希少な蕎麦粉に惚れ込んだ蕎麦職人が、その蕎麦を打ちたさに自分の店をたたんで社員食堂に席を置いているという、伝説の蕎麦なのです。


そんなに凄い蕎麦を販売しないで、なにゆえ社員食堂に?

それに対する答えは諸説あるようですが。


これを食べずしてなんとする。



私は手芸作家のようなことをやっておりまして。ハンドメイドの催事に出展したりもしています。

デパートなんかでたまにやっているの、見かけたことありませんか?

そう、あれです。

デパートで行うイベントはたいてい企画会社が入っていますから、作家である私たちは催事のオファーを企画会社からもらいます。

そんな流れもあって、規模の大きな催事では同じ企画会社に所属している先輩作家さんたちとご一緒させていただくことが多々あるのですが。

皆さん、いろんな催事会場をまわってらっしゃる歴戦のツワモノなので、諸事に通じている方ばかり。

各催事会場の美味しいお店情報なんかもバッチリなので、あれこれ教えていただくんです。

で、休憩時間なんかに情報交換していますとね、聞くんですよ、よく。

その伝説の蕎麦の話を。

それも一人や二人じゃなくて、いろんな方から聞くんです。

なんだか凄く美味しそう。

今すぐダッシュで食べにいきたい!


そういう気持ちなんですが。


くだんのTデパートC店は企画会社が得意先の中でもとりわけ大事にしている店舗なんです。

どういうことかと言うと、私の如きペーペーではなかなかお呼びがかからないということ。

なので。

私、かなーりがんばって、売り上げ実績を作りました。

だって、私は伝説の蕎麦が食べたいんです。

デパートにお客として行ったんじゃ駄目なんですよ。

目的はあくまで社員食堂。

他に手段がないものですから。

「TデパートC店に出させてくださいよー」

「三日間だけ(たいがいデパートの催事は一週間単位での出展が多い)でもいいですからー」

担当さんを三年がかりで口説き倒し。

ついに!

ついに勝ち取りました、TデパートC店初出展!


やったぜ! 待ってろ、伝説の蕎麦!



というわけで。

意気揚々とやって来ました、TデパートC店。

平日のスタートとしては売場の出だしも好調で、まずは一息つきながら。

さあ、待ちに待ったランチタイムです。

私は地下に向かいました。


デパートの社員食堂はたいてい地下階にあります。格式のある老舗の店舗ほどその傾向が強く、地下食品売り場のバックヤード、またはさらに下の階であることが多いです。

TデパートC店の社員食堂も地下三階でした。上のほうの階はバックヤードでも白壁ですけど、地下では打ちっぱなしになっています。通路は狭いし、配線も丸見えで、本当に舞台裏って感じです。

デパートのバックヤードってどこも薄暗いんです。慣れちゃえばなんてことないんですけど。表の照明は明るすぎるくらい明るいので、節電して照明を落としているバックヤードって、たぶん実際よりもちょっと暗く感じるんですよね。地下だと特に暗く感じます。

でも、そのときの私は伝説の蕎麦のことしか頭にありませんでしたから。

いたって無防備にエレベーターを降りて、社員食堂のある右側の狭い角を曲がったんです。


で。

社員食堂のちょっと手前あたり。

それがいるのを見てしまいました。



たぶん、あれです。

世にいう幽霊というやつです。


うす暗いから、見間違えであってくれよと目をこすりましたが、違います。

やっぱり、あれです。

幽霊です。

いや、もしかしたら幽霊じゃない何かかもしれないですけど。

とにかくこの世の者ではない何か。

それも絶対にヤバいヤツです。


私、特に霊感があるとかじゃないですけど。

山でヒクマに遭遇したら、理屈や経験関係なく、逃げなきゃってダメってすぐ分かるでしょ?

そういうレベルの、あれ、ヤバい気配がぷんぷんです。


そいつは灰色の男でした。

やたらと背が高く見えるんですけど、もしかしたら背が高いというよりは首が延びてしまっているのかも。おそらく首を吊って死んだ人なんだろう。そんな気がしました。

青みがかった黒い舌が胸の辺りまで垂れています。


ぎゃっ、って思って。

それでもって。なんでそんなところにいるのかって、ホント腹立たしくなりました。

だってよりにもよって、長いこと憧れてきた伝説の蕎麦が目の前があるのに、ですよ?


狭い通路、そいつに通せんぼされているんです。


灰色の男は誰にも見えていないらしく、みな平気でそいつの前をすり抜けて行きます。

もしかしたら、そいつがいることを知っている人は、そもそも社員食堂を使っていないのかもしれません。

だって、あれ、見えてしまったら絶対ムリです。


何も気づかずに通っていく人の顔を、そいつはいちいち舐めています。

もれなくすべての人の顔を、べろーん、べろーん。

黒い舌で舐めるのです。


社員食堂に行くためにそこを通ったら。

私の顔もべろーんとやられてしまう……。


そんなのイヤ。


でもあそこを通らないと社員食堂には行けません。

社員食堂は目の前なのに。

伝説の蕎麦はすぐそばにあるのに。


これまでの努力を思うとなかなか諦めきれません。

がんばってきたのに悔しいです。


灰色の男はこちらを見てニヤニヤしています。

どうやら私がそいつを認知していることを知られてしまったようです。

ニヤニヤして、やたらと長い舌でべろべろ口唇を舐めています。


泣きそう。

気持ち悪いです。


手に入りそうで入らない。それが憧れというものでしょうか。

だれか教えて。

いったい私はどうすればいいのでしょうか……。


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