銀鱗荘の子守唄
SHIPPU
銀鱗は母の涙
潮風に晒された崖の上に、
「貴方様が最後の血族です」
遺言執行人の老弁護士が差し出した封筒には、叔母の走り書きがあった。
――地下室の青い箱を決して開けるな
鍵束のうち、黄銅製のものだけが錆びていなかった。
夜、波の音が頭に直接響くような不自然なリズムで鳴り続けた。3階の客室で寝転がっていると、天井から塩辛い滴が頬に落ちてきた。暗闇の中、壁紙の陰から甲高い子守唄が聞こえる。
ねむれや ねむれ 深き淵の子よ
銀の鱗は 月のしずく
振り向くと、人影が
地下倉庫の鉄扉が微かに開いていた。懐中電灯の光で照らすと、中央に青銅の箱が祭壇のように安置されている。表面に刻まれた紋章――三つの目を持つ蛸の触手が、私の掌の痣と相似形だった。
「開けてはならない」
叔母の声が脳裏を掠めた瞬間、背後で水音がした。振り返ると、巨大な水槽が壁に埋め込まれている。曇ったガラス越しに、影がゆらめく。照明が点滅し、一瞬だけ内部が照らされた。漂う黒髪、白い寝衣、そして顔のない頭部に無数に開いた鰓。
「ああ……!」
転倒した拍子に箱の蓋が開いた。中から現れたのは象牙色の笛だった。指が触れた途端、記憶の断片が洪水のように襲う。6歳の誕生日、叔母に連れられて夜の海へ行ったこと、砂浜で謎の儀式を見たこと、そして――。
翌朝、地元の図書館で調べ物をしていると、司書の老人が近づいてきた。
「銀鱗荘のことかね?」
彼は1902年の新聞記事を指差した。《謎の集団自殺 13名の遺体に鰓状の痕》。被害者全員が銀鱗荘の使用人だったという記述の下に、見覚えのある紋章が印刷されていた。
「あの館はな、海の神様と契約した家系らしい。毎世代、生贄を捧げるんだと――」
帰路、崖下の洞窟へ導かれるように足が向いた。満潮時には水没する岩場に、無数の貝殻で作られたモザイク画が広がっている。半人半魚の生物たちが、巨大な門を開く儀式を描いていた。その門のデザインは、まさに銀鱗荘の正面扉そのものだ。
夕暮れ時、館の地下室で異変に気付いた。水槽が空になっている。ガラスの内側に残る粘液が、階段を伝って2階へ続いていた。滴の跡を追うと、叔母の書斎の鏡前に辿り着く。硯の横に置かれた日記帳の最終ページには、震える文字で書かれていた。
次の満月までに後継者を選ばねば
窓外を見上げると、本来なら三日月の今夜、赤く膨らんだ月が水平線から顔を出している。潮騒が突然途絶え、代わりに笛の音色が館中に響き渡った。私の手元にあったはずの象牙の笛が消えている。
地下から甲高い笑い声が聞こえる。駆け下りた先の祭壇で、水槽の「アレ」が青銅の箱を抱き締めていた。白い寝衣から伸びた触手が紋章に触れるたび、館全体が軋み、壁から海水が噴き出した。
「ようやく目覚めたね」
振り向くと、叔母が廊下の影から現れた。しかしその姿は、記憶の中の老けたものではなく、20歳ほどの若い女性だ。首筋に光る銀鱗、瞳孔が縦に裂けた目、そして私の掌と同じ痣が額に浮かんでいる。
「この家の女性は、全て彼の花嫁候補なのよ」
彼女が指差した先で、水槽の生物がゆっくりと顔を上げた。平滑な顔面に三つの目が開き、
館の崩壊が始まった。柱が次々と倒れ、割れた壁の向こうに海底都市の尖塔が見える。叔母の手帳の言葉を思い出す。
生贄になるか、祭司となるか
笛が再び手元に現れ、私の唇が独りでに動き出す。
「Ia! Ia! Cthulhu fhtagn!」
叫びと共に、喉元に裂け目が走った。冷たい水が肺を満たし、視界が青く染まっていく。崩れ落ちる梁の下で、叔母が笑いながら海へ消えるのを見送る。水平線で赤い月が完全に顔を出し、私の新しい家族たちが黒い波間から腕を伸ばしてくる。
最後に理解した。
あの子守唄は、決して人間のために歌われたものではなかったのだと。
─────────────────────────────────────
【あとがき】
拙文を読んでくださりありがとうございます<(_ _)>
今回は試しでクトゥルフ神話がメインのホラー短編を書いてみました。
正直、クトゥルフに関してはすごく詳しいわけでもないので、良し悪しがよくわかりません……有識な方がいらっしゃるなら感想で教えていただければ良いなと思っています。
誤字脱字&誤った表現があれば優しく教えていただければ幸いです。
★や♥を付けて頂けると自分への最高の応援になります。
銀鱗荘の子守唄 SHIPPU @SHIPPU_LAI
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