三月のうなぎ

@m4a1sr123

三月のうなぎ



「うなぎが食べたい」


 そう思ったのは、実家に帰ってきて、スーパーの品出しのバイトをしていた時のことだ。うなぎが目に入ったのだ。


 食べた時のことを想像すると止まらない。

 あのザラザラとした舌に感じるうなぎの皮、ふっくらとした身、好ましいタレ。全てが完璧のように思えて仕方なかった。

 

 



 時計を見る。

 バイトが終わるのはあと少し。焦ったい。こうも一分一分は長いのか。




(残ってくれよ……!)



 今日は本体価格より三割引き。

 もしかしたら俺みたいな、どうしようもなく風変わりの客がここぞとばかりに手に取るかもしれない。

 

 うなぎといえば夏だ。

 あの平賀源内が宣伝文句で作ったと言われる土用丑の日が今日まで続いている。

 養殖物はそういうこともあって夏の時期に合わせて美味しくなるように育てているとか。

 今は通年美味しくいただけるらしい。へぇ……。




 天然物のうなぎは十月から十二月である。その時期が脂が乗っているという。

 そのことを初めて知った時、とても気になったのを覚えている。

 

 




 今日は三月。どちらでもない。しかし正直、旬がどうこう馬鹿馬鹿しい。

 夏だからうなぎを食う、冬は旬だからうなぎを食う──まるでその時にならなければ、うなぎが生き返って人の目の前に現れないようだ。

 生き返ったから食う、現れたから食う。そんな人間が、日本人がいるなんて可哀想だ。


 ではこの俺が確かめよう、この三月のうなぎは生きていないのか? 




(きた……!)



 その時間は過ぎていた。

 サービスカウンターに一言挨拶をして、急いで更衣室へ。


 ロッカーの物を書き出して、狭い更衣室の床が自分のもので埋まる。


(こうでもしなければ早く着替えることができないのだ)



 エプロンも指定服も急いで己のロッカーに詰め込んだ。







 裏口から飛び出し、今度はスーパーの正面から内へ飛び込む。


 邪魔だと、他の客を避け、一直線にそのうなぎがいるところへ向かった。



(沢山ある……)



 可能であればこの一角全て取り入れたい気分であった。

 だが、そんな偽りの興奮に惑わされず、できる限り天然物を探してみる。


 ない、ない、どこにもない。

 中国産、鹿児島県産……どこのモノかはどうでも良かった。できるのであれば天然物が欲しかった。

 結局、天然物は無かった。手にとった養殖をすこし不快な顔をして見つめる。








 セルフレジには人が並んでいた。鬱陶しい。

 今すぐにでも帰ってこのうなぎを食べてやりたいというのに。


 コイツらはどうせ何も考えず無神経に生きているのだろう。所詮人生の中の一日だと思って、当然のように明日も生きられると思って、可能性を模索しないまま死んでいくような人間だ。

 

 カゴの中を盗み見れば、鍋の具材だったり、少し遅れのちらし寿司だったりで馬鹿馬鹿しい。









 とうとうあいたレジで三十秒もかからず会計を済ます。













 帰ってくるとすぐに電子レンジへ入れた。



 完全に封じられたレンジの中から、不思議と匂いが漂ってくる。

 間違いない、それはうなぎであった。


 あれだけ夏にいると思われると思われるうなぎであったが、今、この目の前の直方体の機械に温めて閉じ込めているのだ。


 うなぎが食べたいと心を温めた自身のマグネトロンも共鳴するように、意欲を再加熱した。



 レンジの心地よい音が鳴る前に取り出す。

 既に湯気がわずかに立っている。その気を吸うと半年以上前の、ひとりで食べたうなぎが蘇る。



 早速、茶碗に米をもり、タレをうなぎとそこにかけて準備する。


 

「いただきます」




 箸で持ち上げると、その柔らかさと重さが感じられる。間違いなく目の前にうなぎがあるんだと目を閉じても分かるのだ。それがとても嬉しかった。



 わずかに唇にあたる。熱さに触れる。

 そのまま前歯でうなぎを噛むと、生きた食感を感じる。決して硬くはない、しかし、かみごたえがあった。


 奥歯で捉えるとさらに感じることができる。

 その厚さ、身のつき方。不思議とその養殖ウナギの一生を口の中で理解できた。



 勢いのまま米を口に運べば幸せである。

 かけたタレの風味が鼻を通り抜けた。





(そういえば……)



 俺は人生で一度たりとも身を下にして食べたことがないことに気づいた。いつも皮の方を舌に乗っける。

 そこで目の前の蒲焼を逆にしてみる。普通身を上にして皿に置く。こんな光景はない。身ではなく皮を見せつけているのだ。




 そのまま箸でつまんで口に運んだら、幸せである。


 これは凄い、とも思った。

 今まで感じたことのない舌上の感触。柔らかな身が下となって、ザラザラ、フワフワとしたうなぎが口の中で跳ねたのだ。







 






 タレに汚れた皿と茶碗が一つずつ。満足であった。


 それと同時に確信したことがある。

 三月のうなぎは生きている。それも夏と比べ物にならないほどに。


 人々は可哀想だ。

 夏にばっか食っているが、それは間違いであると直感で感じ取る。レジに並んでいた奴らはバカだとも思った。

 結局は平凡な生き方をしない人間であるということだ。

 ありふれた行為と価値観で、同じ空間を生きるだけの養殖物である。





 しかし、食いものにしてみれば意外と悪くないことも新発見だ。

 

 養殖物でこうなら天然物は一体どうなんだろうか。

 珍しい天然物、一体どこで食べれるのだろうか。


 出会ってみたい、いただきたい。

 そんなことを思いながら食器の片付けを始めた。




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