第9話 鏡の中にいる可愛い女の子は「ボク」9
僕の仕事は稔のお陰でとても順調でした。就職活動は出来なくなってしまったけれど僕たちは無事に卒業しました。そして、タレント「しずか」の仕事は忙しく、一人暮らしを始めた僕はいつしか稔と一緒に暮らすようになっていました。時間が無くて毎日のダイレーションが出来ない代わりに稔といつしか体を合わせるようになり、僕の身体はより女性らしくなっていきました。
ただ、今は忙しく仕事をこなしていてもタレントはいつ仕事が無くなっても不思議ではない存在です。こんなことで僕は将来大丈夫だろうか? 大人しくデザイン事務所に就職していれば安定した生活が出来たはずと思いましたが、自分で決めたことなので僕に後悔はありませんでした。しかも、稔が僕をしっかりサポートしてくれるので、心の安定は保っていました。
仕事ではタレントとマネージャーの関係なので気を使ってくれる稔も家に帰ると夫婦のように私のことを「しずか」と呼びます。でも、それが僕が仕事を離れ、普段の自分に戻ることが出来る時間でした。シャワーを浴びて二人でベッドに並んで横になると夫婦の時間になります。稔は毎日必ず私のことを抱いてくれます。そして、月に2回、私を病院へ連れて行き、ホルモンを補給してくれるのです。
私は女性ホルモンを摂取しなければ女性としての身体を維持していくことが出来ません。ホルモンが切れてくると女性の生理前の様な症状が現れます。イライラして稔につらく当たってしまう事もあります。でも稔はそれが分かっているので、私に気持ちを察してくれます。特に裸にならなければいけないハードな仕事の時は控室で私のことを強く抱きしめて、リラックスさせてくれるのです。
◇
そんな僕たちが仕事が終わりいつものように家に戻ったある日のことです。兄から電話が来ました。ラインではなく電話をしてきたのは緊急の用事があるという事が分かりました。兄は僕に「落ち着いて聞いてくれ。さっき母さんから電話があった。父さんが倒れた。俺は直ぐに家に行くけれど、お前は仕事があるだろうから、出来るだけ行ってやれ。それから父さんはアルツハイマー型認知症なのでもう俺たちのことが分からないかもしれない」と言いました。
そのことを稔に話すと「直ぐに帰りたいだろうけれど、僕が仕事を出来るだけ調整してみるから任せてくれ」と言ってくれました。僕は父とは一度決別してから一度も会っていません。だから、僕が女になったことも兄が元は男だったお姉ちゃんと結婚したことも知らないのです。でも、父はともかく僕は付き添って介護している母のことが心配で直ぐにでも帰りたい気持ちで一杯でした。
兄によると父は意識を取り戻したようなので、少し安心しましたが、兄のことは分かっても女の姿の僕が会いに行ったら果たして気が付くでしょうか? それが心配でした。そして、私が父の入院している病院に駆けつけると母は女の姿に変わった僕のことが直ぐに分かり、静雄と言って直ぐに抱き泣きだしました。
でも、父に会って「静雄だよ」と言っても全く分からないようです。兄と並んでいると僕のことを兄の嫁だと思っているようです。幾ら話しかけても理解できないようで、静雄は来ないのか?と母や兄に聞いているのです。今更僕の身体は他の人とは違い子供の作れない身体だから手術をして身体を女性に変えてもらったんだと説明してもそれはもう理解できないのです。
そして、例え分かったとしても決して許して貰えないことだと思っています。ただ、母は小さいころからの僕を知っているので、男として生きることが苦しかったことを分かってくれ、女に変わった僕を見て「よかったね。これが静雄の本当の姿なんだね」と言ってくれました。母にはいつか本当のことを話さなければいけないと思っています。
僕も「母さんに黙って手術してしまい、ごめんなさい。でも、女になっても僕は母さんの息子だよ」と言いました。僕は涙が止まりませんでしたが、そこに稔が僕を迎えに来ました。「申し訳ないけれどこれから直ぐに行かないと仕事に間に合わない」と言ったのです。
僕は稔のことを母に「同級生の稔だよ。母さんも知っているだろう。稔が僕のマネージメントを全部やってくれるから安心して仕事が出来るんだ。また時間が出来たらすぐに来るからね。父さんを頼んだよ」と言い、兄には「何かあったらすぐに連絡して」と言って僕たちは父の病室を出ました。そして、僕は病院を出て稔と共に車に乗り込むと涙は止まり、タレントのしずかに戻りました。
でも、それから数日後、父は僕のことが理解できないまま息を引き取りました。僕は永久に父には許して貰えなくなってしまったのです。
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