第3話
別れは突然だった。健作さんの父親が、脳腫瘍になり、旅館の経営は、病気の父親を抱えて、母親一人で切り盛りするには荷が重たい為に、彼は、急遽日本に完全帰国することになってしまった。すでに日本の大学を卒業していた健作さんと違って、私は、あと半年は、卒業単位を取るのにかかる状況であった。彼と一緒に日本に行きたかったが、説得されて大学の単位の修得に専念する事になった。
大学で、単位取得のために勉強をしていたが、健作さんと離れてから体調不良が続き、その様子を見ていた友人の一人から妊娠したんじゃないかと言われてすぐに検査をすると赤い線が出ていた。あまりにも嬉しくて、思わず涙が出て、周りで心配していた友人たち方が困っていた。
両親には、卒業後は、日本で健作さんと旅館を一緒に切り盛りするという事も話していたし、了承も取り付け居ていた。健作さん自体も私の両親に会って、プロポーズの承諾を得てくれていたから、両親には何の迷いもなく正直に産むつもりだと伝えてた。両親は、驚いていたが、反対しても産むと言えば産むだろうと思っている母親は、協力してくれた。つわりで、数か月遅れたが、子供を産むまでには卒業資格を修得できた。
勿論、健作さんにも赤ちゃんの事は伝えると、ちゃんと名前も考えているから、今は、体に気を付けてと言われていつまでも待っていると約束してくれたのだ。ただ、子供の戸籍や諸々の手続きの為にたった1週間だけ健作さんは、アメリカに戻ってきて、必要書類を作成した。その当時カルフォルニアボールドホテルの総支配人だった伯父が、気を利かせてくれて、私と健作さんの結婚式をホテルのチャペルで挙げれる様に手配してくれた。参加者は親戚でも近しい人だけだったけどとても暖かい式だった。ウェディングドレスもお腹を隠しすデザインであまり好きではなかったが、それも愛しい夫と子供の為なら気にならなかった。私にとって最高に幸せな式だった。
産まれた子供は、健作さんより私に似ていたが、瞳や髪の色は健介さんと同じ黒色の男の子で、名前は、聖・エリック・ホーガン・田辺、ケイトの父親が、初孫にホーガンと言う名前をつけておきたいと言う申し出に健作さんが、了承してくれた。
リックの1歳の誕生日の日に健作さんは、アメリカまで迎えにきてくれた。その頃彼の父親も病が重くなってきて、孫の顔を一目でも合わせてあげたかったので、迎えに来てくれた後慌しく3人で日本に移住する為にアメリカを立った。
健作さんの家は、高野山の奥にある温泉街の一画にあった。純和風旅館で、静かな時間が流れていた。私は、旅館の若女将としての修行をすることになったが、お義母さんは、とても優しく丁寧に説明してくれた。ゆっくり覚えれば良いと、言って、聖のことを一番に考えて進めてもらった。
3年も過ぎるころには女将さんとしての仕事も板につき宿泊者の管理や応対も私の仕事になっていた。
聖は、小さな時から保育園に預けていた。お義母さんと一緒に旅館と子育て、家事に取り組んでいたので、時間的にもゆとりがあり、お茶やお花などの習い事もさせてもらった。ただ、彼女が、聖の成長を喜びながらも遠くにいる隆平義兄さんのことを心配しているのを見て、会いに行けばと思ったが、隆平義兄さんとお義母さんとの間には複雑な事情がありそうだった。
健作さんも、一也義兄さんもお義母さんに会いに行くように進めていたが、後妻としてこの家に入って、この上なく優しく大事にしてもらった上に女将と言う身分にしてもらえてこれ以上は何も望まないと言ってガンとして受け入れることがなかった。だけど、一度でもいいから隆平義兄さんに会いに行けば良かったかもしれないと思うことが起きてしまった。
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