第39話

時は昨夜、夕食後に遡る。

清良は、身軽な格好で来るよう春華に言われたが、腰に念のため小刀を帯びて言われた通りの春華の部屋であろう母屋の奥の部屋に向かった。

障子を開けるとそこには、今から出掛けるよ、と言いながら窓に手を掛けて男の格好で飛び降りる春華。

清良は、訳も分からずとにかく後を追った。

同行したのは自分だけではなかった。

この屋敷の用心棒の大男で、使用人の禄渕も一緒であった。

飛びように軽やかな素早い足は、まるで本物の陛下のようだな、と驚くほど春華は身軽に走って行く。

本物の陛下はこんな風に自分を共に連れ出してはくれたことはないけれど、あの方はいつでも結殿と一緒だからな、と苦笑する。

屋敷を抜け、街を抜け、辿り着いたのは大河に浮かぶ貿易船。


「春華、これは?」


「私の船隊だよ、まぁ、北栄国への貿易船ってとこかな」


清良は、目を見開いた。

栄陽、その街は貿易の拠点だったのである。

今日は、珍客の迎えなんだ、と苦笑する春華の困り顔は、まるで政務室で李 宰相にお灸を据えられている罰の悪そうな春蘭そっくりだ。


「どんな客だ、お前に害をなすのか?私は護衛に呼ばれたのだろう?」


船に飛び乗ると、貿易船とは名ばかりの積荷が何もない身軽な船だった。


「と、言うか北栄国で一番偉い人、というのかなー?ちょっと変わった人だよ、お客人の子供に風邪こじられた子いただろ?地元の医師が手に負えないって言うからさ」


それに、あの人本人もどうもこっちに渡したい情報あるみたいで直々に説明に来るって言うから、と面倒くさそうな春華に清良は苦笑する。

出航した船の上で、王 老師さえ居てくれたらこんな風に手間はかからないんだがな、と遥か西方の王都にある王宮を清良は思い出した。

確かに、ここからなら王都へ行くより断然北栄国なら一晩で行って帰れる距離ではあるけど、そんな高潔な医者の知り合いいたかなぁ?と清良は首を傾げた。


「ただ、ちょっと苦手で…その人、女の私には興味はないけど私の顔は大好物らしくてあちこち触って来るんだ」


「なんだ、その馴れ馴れしい男は!」


禄渕から清良は、前に会った時に春華お嬢様はその男に無理矢理手篭めにされそうになって以来、自分より強い男で自分が認めた人でない限り嫁には行けないと意地を張るようになって、と申し訳なさそうに耳打ちされた。


「縁様以外の男なんて知りたくなかった…」


泣きそうな顔で微笑む諦めた春華の笑顔は、傷物の自分が嫁になど行けるわけがない、と悟っているようだった。

もちろん未遂なのだから、気になどするな、と言えば気休めにはなっても輿入れ前の女子に無体を強いるなど紳士の風上にも置けないヤブ医者か、と清良は見えてきた対岸を睨みつける。

冬樹殿も奥方様も知らないのだろう、陛下に娘を差し出すなら生娘でなくてはならぬ事くらい誰でも知っている。

陛下にそっくりの春華に手を出したとなれば、相当女の趣味はいいな、と清良は歯噛みした。

少なくとも自分も同類なのだから文句も言えやしない。


「大丈夫だ、黙っていれば誰も気付かぬ。私は私に出会う前の過去を詮索したりはしないよ」


「そうは言っても、あの男、国王様とも面識あると思いますよ、お嬢様の顔が好みというのは…」


それってブスってこと?それとも女に見えないって?と、禄渕に食って掛かる春華に清良は苦笑する。

その逆だ、とっても可愛い、とは口にはしなかった。

一瞬、それを言うとブスくれてむくれる人が頭によぎる。

私は男だ、馬鹿者!と怒鳴るに決まってるんだ、と清良は頬が緩む。

対等に言い合いできたら楽しいだろうな、結殿や風虎が羨ましい、と思う。


滲む朧月夜を先を急ぐ船。

子供は時にして風邪を拗らせると悪化させて肺炎を起こす。

ここは最高の医療の整っている王都ではない、北栄国の施設病棟もない。

玉露に万が一でもあったら李 宰相にまた陛下はどやされるだろう。

可哀想に、全責任をあの小さな背に背負っておられるんだ、うちの国王陛下は、と清良は目を閉じた。

まずいな、寝そうだ。

正直、旅の疲れも溜まっている。

睡魔と船の揺れは程よく清良を奈落に落とすように心地よい微睡みへ誘う。


お疲れなんでしょうね、長旅だ、仕方ないな、という禄渕と春華の声が聞こえた。

意識の混濁する中、聞き覚えのあるあの声に、清良は飛び起きた。

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