靴箱にそっと想いをしたためて

 高校に入る時に父の転勤で他県に引っ越した。慣れ親しんだ友や町と離れることはとてもさびしかったのだが、のんびりした地方都市から一気に大都会へとワープしたことは、思春期の女の子にはあまりにも刺激が大きく、華やかなこれからの生活への期待にそんな感傷はあっという間に薄れてしまった。


 高校は男女共学の私立で、中学から持ち上がりで大半がずっと都会で育ってきた生徒ばかり。そこにふいっと公立小学校から公立中学校と地味な生活を送ってきた私が放り込まれたのだから、そりゃもうそのカルチャーショックったらなかった。


 まるでドラマで見るような華やかなJK、DKたちに囲まれたわけだが、こんなところに馴染めるのだろうかと心配する必要は全くなかった。これもまた違う系統のドラマでよくあるように、トイレに入ってる時に上から水をかけられることもなければ、仲間はずれにされてトイレで一人お弁当を食べることもなく、トイレの個室に入っている時に「あいつうざいー」なんて陰口を聞いてしまうなんてこともなかった。トイレの話ばかりで恐縮だが、転校とは言わないのだろうがそれに近い立場に自分がなるということで、それまでテレビドラマやアニメで見たそんなシーンばかり思い浮かべていたのだから、それはしょうがないというものだろう。


 幸いにしてそこそこ成績は良かったもので、結構いい高校に入れたこともよかったのかも知れない。想像以上に穏やかで平和でそして楽しい高校生活が始まった。

 

 何が楽しかったかと言われると本当にたくさんのことがある中で、このことを言うと同級生たちにはそれのどこが楽しいのかと不思議がられたのだが、私がドキドキしたのは靴箱だった。

 私がそれまで通っていた小学校にも中学校にも靴箱というものはなかった。「一足制」という制度だそうで、通学の時に履いていた靴のまま校舎に入り教室にも入る。その話をすると同級生たちは土足で学校に入るのかと驚いていたが、今はこの都市でもそういう学校が増えているらしく、そこまで奇異には受け止められなかった。


 朝、登校して友人たちとおはようと挨拶をし、色々な話をしながら靴箱で上履きと履き替えて自分の教室へと向かう。

 この朝と、今度は夕方の下校の時にももう一度この場所を経て、今度はさよならとそれぞれの帰宅の途につく儀式が私はなんだかとてもドキドキしたのだ。


 なんと言えばいいのだろう、


「ここから先は聖なる空間だよ」


 とでも言われているような、切り離された空間を象徴するような場所、それが靴箱だったのだ。


 そしてそこから発展して、私が胸を躍らせたシーンを何度も夢見るようになった。


 朝、登校して下駄箱のフタを開けると、そこにこっそりと一通の手紙が入っている。私はドキドキしながらその封筒をそっとカバンに隠し、友人たちに見られていないか軽く周囲を伺う。そして一人になれる場所でその封筒を開けてみると、中には「あなたが好きです」と書いた便箋が!


 ああ、そんなことがあったらどんなにいいだろう! そうは思うものの、特にきれいでもない私にそんなことが起こるとはとても思えない。ということで、少しばかり方向を逆転させる。


 憧れの先輩、その人の靴箱にそっと自分が書いた手紙を忍ばせるのだ。もちろん、その人はみんなの憧れの人、手紙なんて何通ももらってるだろうし私のささやかな恋心なんてとっても実るとは思わないが、たとえ悲しい経験となっても青春の1ページとして人生の思い出となるだろう。


 そんな空想というか妄想というかを膨らませている頃、本当に憧れの先輩ができたのだ。


 三年生のその人は、バスケ部のキャプテンで見た目も芸能人よりよっぽどかっこいい。新入学生に部の勧誘の挨拶をしたその人に、私は一目惚れをしてしまい、バスケ部のマネージャーなんてのになってしまった。運動なんてさっぱり苦手、バスケにも特に興味はなかったのに、結局はやはりこれもドラマやアニメで見たようにマネージャーなんてのに憧れていたのも大きな理由だったかも知れないが、毎日毎日選手たちの世話をして、忙しくても充実した日々を過ごしていた。


 そして私はとうとう行動に移した。そう靴箱作戦である。


 先輩は6月生まれ、お誕生日にちょっとしたプレゼントと手紙を送ろうと決めたのだ。プレゼントはあるスポーツメーカーのスポーツタオル。高校一年のお小遣いで買うにはちょうどいい値段で実用品でもある。部活の時や試合の時、先輩がそれを使ってくれているのを見られたら、それだけでどれほど満足だろうとうきうきしながら模様を選んだ。


 そして手紙には「いつも応援しています」とその一言と名前だけを書いた。何しろ先輩はあんなにかっこいいのだ、他の子たちからもたくさんそんな手紙をもらっていることだろう、いきなり好きですなんて書く勇気もないし、避けられるのも怖いのでそれで精一杯だった。


 先輩の誕生日、私はいつもよりずっと早く家を出て、まだ人がほとんどいない学校に足早に駆け込むと、位置を確認してあった先輩の靴箱へと急いだ。


 外から見たら中にあるのは上履きだけ。よかった、まだ誰も何も入れていない。もしも持ってきたとしても他の人からのプレゼントでいっぱいで入れられませんでした、なんてなったら目も当てられない。


 私はカタリと音を立てて先輩の靴箱のフタを上げ、そして中にプレゼントを入れよとして、


「うっ!」

 

 思わず急いでフタを閉めてしまった。


「臭い……」


 先輩の靴箱は脂ぎった腐臭がした。


「お父さんの足より臭い……」


 そういえばと私は部活中に先輩が他の人と話していた言葉を思い出した。


「俺さあ、油足だからすーぐシューズがだめになるんだよな」


 あれはこういうことにつながっているのか。


 私はしばらく先輩の靴箱の前でたたずんでいたが、そのうち他の生徒がちらほらとやってくるようになったので、結局プレゼントは急いでカバンの中に戻し、逃げるように自分の靴箱へと向かった。


 私の夢はこうして悲しい現実に破れてしまった。まさか、こんな結末が待っているって誰が思うことだろう。


 もちろんそれからも先輩は憧れの人ではあったが、爽やかな笑顔、試合の時の輝く汗を見ても何もかもがあの臭いにつながって、それ以上の感情はきれいさっぱり消え失せてしまった。

 

 あのタオルは自分で使った。せっかく買ったのにもったいないじゃない。


「なんか男子っぽいデザインだね、そのタオル」

 

 体育の時に同級生からそう言われたが、儚い愛の形見と涙と青春の汗を染み込ませる。せめてもと思って柔軟剤のいい匂いを染み込ませ、今日もそっとその香りで先輩の香りを上書きしながら。


 

 


 


 

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あこがれ(KAC20252) 小椋夏己 @oguranatuki

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