初心者女神降臨

 遡る事およそ千二百年。現在の萌浦市の浜辺に、一人の女が流れ着いて漁師に助けられた。名をエリーゼといった。西洋の血脈に通じる者だったのだろう、髪は金色で瞳は碧かった。彼女には、女神が憑依していた。

 なぜ故郷を離れ秋影に来たのか。そのあたりの記憶は断片化していて定かではなかった。だから、エリーゼ自身にも分からなかった。ただ、元は一つだったものが二つに別れ、激しく争うイメージのみが強く心に残っていた。言葉の通じない遠い異国の地で心細い思いをしているエリーゼを、漁師の家族は温かくもてなした。

 エリーゼは浜辺に村人を集め、持って生まれた清澄な歌声と女神の力を使って、マスカラーデやシュヴェーベン浮遊などを織り交ぜたショーを披露した。そうやって手に入れた食料や生活用品を、貧困に苦しんでいた漁師に贈って恩返しした。

 異国の情緒に溢れるエリーゼの美しさと特殊能力はすぐに噂となって広がった。ときの権力者の一人が、戦国の乱世を勝ち抜く為の重要な手札としてエリーゼを欲し、兵を差し向けた。

 今まさに捕らえられようとしたその時、兵士の一人が命令に背いた。権力者の兄でありながら勢力争いに敗れ一兵卒いっぺいそつとなっていた男だった。名はシュタク。誰にも負けない屈強な肉体と精神を武器に、たった一人でエリーゼを救い出した。

 二人は険しい山脈を越えて現在の楽指平野に逃げ延びた。エリーゼはギリシャ神話に出て来る運命の三女神モイラを構成する、クロートー、ラケシス、アトロポスから題を借りて、黒渡川、楽指平野、そして自分の中の女神を紅瞳流不死、つまりアカヒトミナガルルナルミコトと名づけた。

 ちなみに、萌浦市も、見知らぬ浜辺に流れ着いたエリーゼが自らの運命を呪ってモイラ、と呟いたのが元になっている。

 やがてエリーゼとシュタクの間にたくさんの子供が生まれた。彼らは成長すると各地に散って、当時の秋影じんたちと交合こうごうを繰り返した。時が過ぎ、子孫の一部は引き寄せられるように楽指平野に戻った。田畑を拓き水を引いて農耕生活を送った。それがのちの楽指村の始まりとなった。

 さらに月日は流れ、エリーゼとシュタクの子孫を含む大勢の人間が楽指平野に殺到した。楽指村は一気に都会化して楽指市になった。

「楽指市で生まれた子供たちの中で、特に強くエリーゼとシュタクの血を引いた者は、紅瞳流不死が憑依した私、つまりアトリプスと交感する事が可能だった」

「僕と大介、そして勝高か。だから僕らだけにアトリプスが見えたんだね」

「血と共に能力も受け継がれた。優翔お兄ちゃん覚えてる? アトリプスは竪琴を持っていたでしょ? 紅瞳流不死は音楽の女神でもあるの。それは音羽の家に豊かに顕現けんげんして優れた音楽家を輩出させた。音羽直也、莉子もそう。そして、優翔お兄ちゃんにも母親経由で才能が伝わった。実はお父さんの祖先にも紅瞳流不死の末裔がいたの。二つの流れが合わさった優翔お兄ちゃんには、特に強く能力が現れた」

「そんなところに音楽一家のルーツがあったのか」

「一方、シュタクの強靱な肉体と運動能力を発現させた者もいる。エリーゼの高い知力と負けん気の強い気性がはっきりと現われた子も。誰の事か、言わなくても分かるわね」

「そして御神体に触れた陽葵ちゃんは、遺伝どころか紅瞳流不死そのものの力を得た」

「とりあえず私は自分の名前と姿を設定する事にした。紅瞳流不死がそのように導いた。オンラインゲームでキャラメイクするような感じだった」

「その説明は僕には分かりやすい。自分自身がアバター、というのは違和感があるけど」

「名前どころか無色透明で形すら持たない状態のまま私は空に昇った。黒渡川の豊かな流れが育んだ楽指平野が眼下に広がっていた。でもそこに、かつてのようなのどかな田園風景はなかった。私の中にいる女神の悲しみが伝わってきたような気がした。その時ふいに閃いたの。紅瞳流不死がアトロポスを語源とするのならば、私もそれにならえばいい」

「それでアトリプスなのか」

「名前に続いて見た目や性格を決めようとした時、お兄ちゃんたちがよく楽しんでいたゲームやアニメの事が思い出された」

「……ん?」

 優翔は布団の中で首を傾げた。

「見た目が十代半ばで、エグいぐらいに露出度が高くて、ちょっとヌケてて意図しないままに周囲を混乱に巻き込んでばかりいるお調子者、それが女神だ! という結論に達した」

 初登場時のアトリプスを思い浮かべて、優翔は苦笑いした。僕らが見ていたアニメが元ネタだったとは、と。

「アトリプスに対して親しみやすさを感じたのは、そのせいかもしれないね」

「名前と姿が決まった私は二日後、町を見下ろす丘の上に並んで座っているお兄ちゃんたちを見つけた」

「生まれたての初心者女神アトリプスが、僕らの前に颯爽と降臨した瞬間だ」

「思い描いていたより、ずいぶん無様なデビューだったけど」

 陽葵は気まずそうに視線を逸らした。

「いや、よく頑張ったと思うよ。で、女神の陽葵ちゃん。落ちぶれてどうしようもなくなった僕になんの用かな? 神の救済で京香と子供たちを生き返らせてくれるとか?」

「残念だけど、それはできない」

「そうか……」優翔は深く息をついた。「それじゃあ、何をしに?」

「答合わせよ」

「何の?」

「たとえば、あなたの従姉の音羽莉子はなぜ死んだのか」

 優翔の顔から笑みが消えた。

「知ってるのか」

「ええ。だって、殺したのは私だから」

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