男の目の前でそんなことしちゃう?

「ごめんね」

 二人きりになると、京香は拝むように手を合わせて謝ってきた。

「何がですか」

「あそこまで露骨な話になるとは思わなかったから」

「僕をあの状況から救う為に、買い物に行くと言って連れ出してくれたんですね」

「まあ、そうかな。無理やり参加させた責任があるから」

 がさつなようでいて実は細やかな気遣いができる。京香がそういう人だという事を優翔は知っていた。だが同時に、いつも明るく振る舞っている京香が心の奥に闇を飼っている気配を感じてもいた。何が京香の屈託のない笑顔を曇らせているのだろう。

「ちょっと散歩しませんか、京香さん」

「あら、デートのお誘い?」

「いけませんか」

「王子さまのお誘いを断る女なんて、いるかもしれないけど、私は断らない」

「まどろっこしい言い方ですね」

 学生街を少し歩くと、馴染みのある店の前をいくつか通った。まだ入学から間のない優翔だが、教授や先輩がいろいろ連れて行ってくれるおかげで周辺の地理にはずいぶん明るくなった。支払いは、もちろん教授たちの奢りだ。

 やがて、名物おばちゃんのいるお好み焼き屋と店は汚いが旨い中華飯店の隙間にひっそりと佇む、小さな公園に辿り着いた。大学の裏にはもっと大きくて立派な公園があるが、誰に遭遇するか分からない。いや、別に遭遇しても構わないのだが、優翔はなぜか避けた。

 丸太を半分に割って台に乗せただけ、みたいな野趣やしゅに溢れたベンチに、二人は並んで座った。少し動いただけで容易に肌が触れ合ってしまいそうな程に距離が近い。

「男子は女子に比べてかなり人数が少ないから、いろいろ苦労があるんでしょ?」

 何気ない様子で京香が尋ねてきた。

「そうですね。たとえば、すれ違い様に女子学生から挨拶をされて、ああどうも、と返すけど実は誰だか分からない、なんて事はよくあります」

「女子から見れば男子は少ないからすぐ覚えられる。けど、逆は難しい」

「そうなんですよ。でも、そんなのはたいした事じゃありません。この前なんか、体育で男子更衣室に行ったら女子が何人も着替えてました」

「領土を奪われてたわけだ」

「あ、ここ使うの? 女子の方、混んでたからこっちに来たの。よかったら一緒にどう? とか言われました。下着姿を隠そうともしない人たちに」

「で、どうしたの? 混浴?」

「男子は外で待ちました。そのせいで授業に遅刻しました」

「不憫な。圧倒的な戦力差という現実の前では、正当な領有権を持つ男子でありながらいかんともしがたい苦境に立たされ屈辱を強いられて、絶望に涙するしかなかったのだな。だが、敵に背を向けてはいかん」

「背を向けなければ、いろいろ見えちゃうじゃないですか」

「せっかくだから遠慮なく拝ませてもらえばよいではないか。女子大生の生着替えなど、めったに見られるものではないぞ」

「その場合、こっちも拝まれますが」

 べつにいいけど、と優翔は息をついた、

「今聞いた音大あるあるって、全部実話だよね? しかも、極端な男女比故の事例は、まだまだありそうじゃない」

 京香は優翔の方ではなくて、前を向いている。

「誰に訊いてるんですか」

「ハーレムに見えて実は辛いのだな。頑張れ、音大の男子諸君」

「ていうか、あなたも他人事じゃありませんよ、京香さん」

「なんで?」

 きょとんとした顔で京香は問うた。

「男子トイレに潜伏してたでしょ」

「失敬な。友好国大使としての表敬訪問だ」

 堂々とした言い訳に、優翔は返す言葉がなかった。

「ところで京香さん。なんで時々、軍人みたいなしゃべり方をするんですか」

 京香は、ふ、と笑った。

「優翔くんが好きかと思って。アニメが趣味なんでしょ?」

「そうですけど。京香さんにそんな話、しましたっけ?」

「教室で教授が来るのを待ってる時に誰かと話してるのが聞えたの。父さんの作った巨大ロボットとそのパイロットである僕は戦争の為の道具じゃない、みたいな内容だったかな。いやいや、戦争用に開発した機動兵器と兵士養成学校の生徒だろ? とかツッコまれつつも、凄い早口で楽しそうにいっぱいしゃべってた」

「僕がちょっと雑談で話しただけの事を覚えてて、それらしくやって見せてるんですか」

「うん」京香は戸惑うように横を向いた。「そういうの、嫌かな」

「いや全然。僕の存在をちゃんと意識してくれてるって事でしょ? 嬉しいですよ」

「そう、そうなんだ。よかった」

 穏やかな微笑みを浮かべて振り返った京香の事を、優翔は眩しいと感じた。いつまでもこの人を見ていたい。なぜだろう、唐突にそう思った。

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