成立しないツンデレの妖怪

 強く冷たい風が吹いた。

 降りしきる雪の向こうに、勝高の進路を塞ぐように立つ者があった。真っ白な浴衣だけを身に纏った長い黒髪の女。美しい、と言ってなんら差し支えのない程に整った顔で勝高を見つめる瞳には、温もりというものが一切、感じられなかった。目が合えば最後、心までをも凍り付かせる。そんな予感に満ちた、この世ならざる気配。

 雪女、と呼ぶのが最も違和感の無いその存在に対して、勝高はため息とともに言葉を吐きだした。

「出たな、妖怪コスプレ女神」

「あれ? なんで分かったの?」

 ふいに表情を和らげて、雪女は首を傾げた。

「分からないと思う方がどうかしてるだろ」

「どうしてよ。髪は黒くしたし目も紅くないのに」

「……そう言えばそうだな」勝高自身、なぜ雪女がアトリプスだと思ったのか理由を明確にする事ができなかった。「ところで。寒くないのか、その恰好」

「めっちゃ寒い」

 自分の体を抱いてアトリプスはブルブル震えている。

「バカ。そこまでしてコスプレする意味が分からん」

 勝高は自分が着ていたカシミアのロングコートを羽織らせてやった。

「ありがとう。凄くあったかい」

「溶けても知らないぞ、雪女」

 アトリプスは俯いて、しばし口を閉ざした。

「……ねえ、勝高くん」

「今後の命運を決する重要な仕事、そして縁談、だろ? 分かってる。ちゃんと選択するさ。ヴェーレ……」

 ゆっくりと首を振り、アトリプスは顔を上げた。

「君は政治家になりたいの? それとも、勝てれば何でもいいの?」

 勝高は言葉に詰まった。たしかに、勝ち目があると見込んで権堂の秘書となった。そしてそれは順調に達成されつつある。だがアトリプスの言葉を聞いて、一つ心に引っかかるものを感じた。かつて勝高は卓球にのめり込んだ。しかしそれは、卓球が好きだったからではない。

「よく聞いて、勝高くん。何ができるのかと、何がしたいのかは違う。そこを間違えると取り返しのつかない事になる。君は自分が大物政治家として国家に君臨する姿に誇りを感じられるの? 喜びに満ち足りた気持ちで大切な家族と共に人生を送れるの?」

「政治家になるのはやめておけ、と?」

「そうじゃない。よく考えて選んで欲しいの。君にとって、とてつもなく大きな選択だから」

 ――ヴェーレ・ダイネ・ツークンフト――

「脅かしてくれるじゃないか。どうせなら答を教えてくれよ、女神さま」

「それはできない。つまらないでしょ? 他人に運命を決められたら」

「それはまあ、そうだな。たまにはまともな事も言うじゃないか」

「別に、もっとまともな事を言ってあげてもいいんだからね」

「何だ、それは。ツンデレとして成立してないぞ」

 アトリプスは、どこか寂しそうに微笑んだ。

 ひときわ強い雪嵐ゆきあらしの中に紅い瞳の余韻を残しつつアトリプスは消えた。カシミアのロングコートが勝高の手の中にふわりと落ちてきた。そこにはまだ温もりが残っていた。

 受けなさいよ、その話。

 大きなプロジェクトを任された事、そして雅との縁談が持ち上がった事を正直に話した勝高に、愛奈は、何ほどの事もなさげにそう言った。その腕の中で菜奈が安らかな寝息を立てている。

「いよいよ政策秘書に抜擢する布石じゃないの?」

「いくらなんでもそれは早過ぎるよ。それに、俺の上にはあの虎潟さんがいる」

「虎潟さんか。何度かお会いしたけど、捉えどころのない人だよね」

「そうだな」勝高は少し笑った。「だが、とんでもなく優秀なのは間違いない。俺は、まだまだあの人から学ばなければならない」

「やっぱり君は勤勉だね。それに、上を目指す男の目をしてる」

「それはともかく」勝高はまんざらでもない顔をした。「いいのか? 怒ってる、よね」

「縁談を明確に断らなかった事? 怒ってる、というより、凄まじく重い不安に押し潰されそうになってる。勝高くんを失いたくない」

「やっぱり断るか」

「何言ってるの。こんなチャンス、二度とない。だって、あの権堂正宗の娘と結婚できるのよ? 政治家になる為の地盤固めとして最高じゃない。やったー! ハッピー!」

「本当にそう思ってるのか、愛奈」

 愛奈は小さく息をついて、勝高から目を逸らした。

「そんなわけ、ないじゃない」

 勝高も息をついて俯いた。

「権堂先生は、なんで自分の娘との縁談なんか持ち出したんだろう。俺と愛奈の事を認めてくれてると思ってたんだけどな」

 思案顔の愛奈が、俯いたまま呟いた。

「権堂さんの人柄からすると、何か考えがあるように思える」

「でも、そのせいで俺たちは別れる事になるんだぞ? 俺の父の事を、あの人なりに無念に思っていたはずなのに」

「私、別れないよ」

「え?」

「勝高くんがその人と結婚しても、私との関係は続けてもらう。それでどう?」

「日陰者に甘んじる、というのか。俺の母の二の舞だぞ」

「お母さん、不幸だったのかな」

 無垢な寝顔を見せる菜奈を優しく見つめながら、愛奈は笑みを浮かべた。

「不幸に決まってるじゃないか。妻です、と堂々と名乗れないんだぞ。世間からは泥棒猫だの財産を狙う悪女だなどと言われ続ける」

「それで、お母さんは本当に不幸だったのかな」

「違うと言うのか」

「大企業の一端を担ってとても忙しいはずなのに、時間を作っては会いに来てたんでしょ? お父さま。つまりそこには愛がある。寝床を共にしながらも気持ちの無い相手と結婚生活を送るより、何百倍も幸せに決まってる」

「俺にはよく分からないよ」

「ねえ、勝高くん。あなた、一緒に暮らしていて気づかなかったの? お母さん、毎日辛そうな顔をしていた? 私にはそうは思えない。政略のせいで正式な家族として過ごす事はできなくても、お母さん、きっと幸せだと思うよ」

「そうかもしれないけど。俺はやっぱり、後ろめたい存在だと世間に思われてしまう状況を君に押しつけたくない。その為に、勝つ男になろうと決めて生きてきたんだから」

「勘違いしないで。私、そんなもの押しつけられるつもりはないから」

「でも」

 愛奈は菜奈を小さな布団に慎重に寝かせた。掛け布団をそっと着せる。

「傍にいて欲しい、感じていたい。勝高くん、私にそう言ったじゃない。その言葉、そっくりそのまま返す。今さらあなたを手放す気はない。私は、私自身が望んで、あなたを待つ身となる事を決めた。覚悟した。文句は言わせない。だから」愛奈は勝高の肩に両手を乗せて、その目を覗き込んだ。「必ず政治家として成功しなさい。この国のトップに立ちなさい」

 勝高は力強く頷いた。

「分かった。必ず成し遂げる」

 そう答えた瞬間、アトリプスの寂しそうな紅い瞳に見つめられている気がした。何が言いたい? いや、お前が何を思おうと、俺は俺の道を行く。ジーク!

「雅さんだっけ? その人には悪いけど、使えるものは踏み台にでもなんでもすればいい」

「なかなかの悪女っぷりだな」

「あなたは私のもの。あなたの心は私のもの。誰にも渡さない。勝高くんが必要としてくれる限り、いつまでも傍にいる。どこの誰と何をしている時でも、私はあなたの傍にいる。忘れないで」

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