2011

転生計画、縁談

 勝高が愛奈と暮らし始めてから、間もなく二年になる。可愛い娘も生まれた。菜奈ななと名づけた。愛奈に似て優しい目をした女の子に育ちつつある事を、勝高は何よりも幸せに感じている。

 ちゃんと籍を入れようと言う勝高に対して、愛奈はがんとして首を縦に振らなかった。たとえ二人で荷物を背負うにしても、できるだけの対策はするべきだ、と。

 権堂正宗の事務所において、勝高は二十六歳の若さでありながら、はっきりと頭角を現わしていた。権堂に随行してマスコミ対応もするし、メディアでの露出も少なくない。権堂ファミリーの若きエース、と騒ぎ立てる者までいる。少なくとも、政財界で戎谷勝高の名を知らぬ者はいない。

 そんな戎谷勝高に恋人がいる事が発覚したとして、その相手が独身ならば、世間はさほど関心を示さないだろう。しかし、二人が正式に結婚していたとなれば、にわかに身辺があわただしくなる。いずれ議員として立ち、政界で大きな影響力を持つに至ると予感させるだけの風格を、勝高は既に身に着けているからだ。

 将来、国の中枢に名を連ねるであろう戎谷勝高の伴侶たる女が何者であるのかが徹底的に調査されるはずだ。その結果、過去の職歴を知られれば、おそらく勝高にとってプラスには作用しない。政治家はイメージを武器にした人気商売の側面も強い。

 職業に貴賤はない、とはずいぶん古い言葉だが、残念ながら人々の意識はそれを素直に受け入れられるほど柔軟にはできていない。愛奈が過去にどんな仕事をしていたかを知れば、多くの人は眉をひそめるのではないか。そして、そんな女を妻にした勝高を世間はどう評価するのか。愛奈が心配しているのは、まさにそこだった。

 だが、愛奈が予想したのとはまったく違う形で、籍を入れていない事が一つの騒動を引き起こす。

 2011年が明けた。新年の挨拶に上がった勝高を、権堂は奥の座敷に誘った。障子にいた硝子窓の向こうに見える庭は、すべてが雪で白く染められていた。

「大きな仕事がある。お前に任せようと思っている」

 いつもよりさらに強い眼光で淡々と話す権堂を前にして、勝高は体の芯から震えが湧き出して来るのを止められなかった。勝高がもう一段上の世界へ踏み出す為の試金石を、今まさに目の前に示されていると直感したからだ。

「まずはこの資料を読め。情報収集と分析にけた連中を使って作成したものだ。これをもとに何をするべきか。お前なら言わなくても分かるはずだ。だからこそお前に任せたい」

 勝高は手渡された資料の表紙を捲ってプロジェクト名を見た。


 ラケシス・リーンカーナツィオン ――楽指市転生計画――


「謹んで務めさせていただきます」

 深々と頭を下げた勝高は、体が一気に熱くなり、汗が吹き出すのを感じた。

「ほう、計画名を見ただけで即答か。嗅覚もたいしたものだな」権堂は満足そうに笑みを浮かべた。「ことの重大さを、もう見抜いたというわけだ」

 この計画が成功すれば、権堂は莫大な利権を得ると共に、世間に向けて経済復興の大きな実績を示す事ができる。国民は、死んだも同然の楽指市の華麗なる復活を見て、国全体が活力を取り戻し昔日せきじつの栄光を再び手にする未来をイメージするだろう。

 そうなれば権堂は首相の椅子を手にしたも同然だし、実務を取り仕切った勝高も内外からさらなる高い評価を受けて、権堂正宗の正当なる後継者へ向けての大きな一歩となる。

 だが勝高は、政治的な業績や立身出世だけで興奮に身を震わせたのではない。老衰した水族園が生まれ変わったように。勝高と愛奈の新しい人生が始まったように。故郷である眠れる楽指市にも転生の時が来た。

「それでは早速」

「慌てるな」権堂は相好そうごうを崩した。「話はもう一つある」

 権堂は二つ手を叩いた。ほどなく障子が開き、和服姿の若い女が現われた。しとやかでさりげない礼儀作法が、ごく自然に身についている。勝高はその女に見覚えがあった。

みやびさん、ですよね?」

「お久しゅうございます、戎谷さま」

 雅は流れるように滑らかな動作で手を突いて礼をした。

 権堂には腹違いの三人の娘がいる。みずきみどり、そして雅だ。長女の聖は十年ほど前に留学してそのまま現地で暮らしているらしい。真ん中の翠については、なぜか誰も語ろうとしない。

「あなたがまだ高校三年生の時に初めてお会いして以来だと記憶しております」

 勝高も深々と頭を下げて雅に挨拶を返した。

「三年前に一度会っただけの女を覚えていると言うのか、勝高」

「ええ。とても素敵なお嬢さんでしたから」

 お世辞ではない。名が体を表すという言葉を証明するかのように、雅は極めて雅やかな気配を纏っている。内面から滲み出る知性と教養に裏付けられたセンスの良さも感じさせた。そればかりではない。絶世の美女と騒がれた母親の面影に、三年の月日がさらなる磨きをかけていた。目眩めまいがしそうな程の完璧な令嬢だ。

「それなら話は早い。お前たち、夫婦めおとになれ」

 勝高は一瞬、頭の中が真っ白になるのを感じた。

「……あの、雅さん自身はどうお考えなのですか」

 権堂は、勝高が何を言っているのか分からない、という様子で眉を寄せた。

「嫌なのか?」

「とんでもない。これほどまでに素晴らしい女性に巡り会う機会など、めったにあるものではございません」

 女としての魅力、という意味において、雅に太刀打ちできる者は多くはないだろう。

「そうだろうとも」

 権堂は嬉しそうに破顔した。その時ばかりは自慢の娘を褒められた父親そのものに見えた。

「具体的な段取りは他の者にやらせておく。だからお前は、先ほどの件に集中しろ」

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