第八話 大切な人のため
数日後、モルガンが店に戻ったと聞いたので、僕は開店前から遠慮なく押しかけた。
「そうそう、僕もついに成人認定が貰えましたから、お酒を注文してみてもいいですか?」
「おー、おめっとさん。何がいいかねぇ。」
「最初は弱めのやつでお願いします。」
「お前らしいなぁ……医療モジュールにちゃんと指示すりゃどんな酒でも酔っ払いすらしねぇのに。」
「なんというか、それに頼るのもお酒に失礼というか……
「おっ、よく分かってんじゃねぇか。酩酊したいだけならパッチ使えば良いだけなんだよ。酒を飲むならちゃんと楽しまねぇとな。そんなら合成酒はヤメだ、昔ながらの製法のちゃんとしたやつを……そうだな、ラムがいい。これなんかどうだ……。」
モルガンのウンチクは長くてちっとも分からなかったけれど、氷や注ぎ方にまでこだわるのはなるほど道楽の極みで、きちんと理解できれば楽しそうだなと思わせるものだった。
二杯、多分弱めのカクテルを飲み干して、まだいけるなーと自信がついてきたところで、店の扉が開いた。いつの間にか開店時間になっていたらしい。
入ってきたのは、僕くらい背が高い、でもひょろりとした……若い……白い長髪の、男。
いやいや。待って。あり得ない。なぜここに。他人の、空似?
酔いが一気に醒める心地がした。心臓が脈打つ。
そこにいたのは、アバターではない、生身の父だった。
「……らっしゃい。」
モルガンが少し興醒めしたようにその客を迎える。多分、相手が自身の宿敵だと気付いていない。父の公開情報を見る。
【公開情報 リノ・イカツノ 一級技術士(生物工学) 二十二歳】
「いや誰!?」
僕は思わず叫んでしまった。思いっきり偽装しているし偽名だし二十二歳はさすがに厚かましすぎる。
お前は! カミナ・カミナリノ!! 年齢えーっと千歳超え!!!
そう指摘したいのをモルガンの手前ぐっとこらえる。
「……客のつもりだが、いいかな?」
父は僕とモルガンに微笑み、カウンターの手前で立ち止まった。
「なんだぁ? イナホ、酔っ払ったか?」
「……ちょっと、お酒は今日はここまでにしときます。」
「んじゃ、水で休憩にすっか。ま、初めてにしちゃ悪くねぇ酔い方なんじゃねぇかな。」
ありがとうモルガン、実際は全然酔っ払ってなんかないんだよね。ただ、うっかり酔うと父様とか口走りそうで怖いんだ。
「雷様」をやっている時の父はいつも威厳を出すために初老男性のアバターを使っている。だから普通の国民は、父の生身の姿を知らない。そう、妻子達を除いて。
しかし、リノって……カミナ/リノだからリノなのかな。うーん、安直……。
「へえ、初めてってことは成人したてかな? おめでとう。」
白々しく「リノさん」として振る舞う父。僕はどうしていいか分からずウーッと顔をしかめた。父から成人の祝いの言葉を貰ったのは今ここが初だった。嬉しいんだけど、喜べない。できれば父として祝ってほしかった。
モルガンが水を僕の前に置きながら心配そうな顔つきになる。
「どうした、頭痛か?」
「泣きたい……。」
「げ、泣き上戸かお前、意外だな。」
「モルガン〜聞いてよ〜! 僕の父様、僕が成人したのにおめでとうって言ってくれてないんだよ〜!」
「おま、神の子丸出しでよくそんな話できるな……。」
モルガンがチラリと父、いやリノさんの顔を見て僕を諭してくる。当然、僕はリノさんがそこに居るから話をしているわけなんだが。
「ひどくない〜!?」
「雷様もきっと喜んでらっしゃるよ。」
「さて、そいつぁどうかねえ。案外本気で息子だと思ってなかったりしてな。」
リノさんがフォローしようとしたのをモルガンが皮肉る。僕は自分が余計な種を蒔いたことに気付いた。
「モルガンもひどい!」
「ハイハイ、悪かったよ……。水飲め水。そっちの兄ちゃんは何頼むんだ?」
「そうだな、シングルモルトのお勧めをトワイスアップでお願いするよ。」
「あいよ。」
モルガンが明らかに機嫌良くなってカウンター背面の棚を物色し始める。やおら瓶を三本手に取り、香りや産地の説明をリノさんにしているのを僕は横目で羨ましく見ていた。
何だかなぁ。そりゃ、話が通じる人同士は楽しいだろうけど。僕の友達まで取らないでほしいんですよね。
「モルガン、今日はリンスさんは?」
「ん? ああ、いるぜ。ほい、呼び出したからすぐ降りてくるはずだ、良い子で待ってな。」
「わん。」
酔ってないつもりだが、少しノリが軽くなっているというか、ふざけたい気持ちになっている。まあ良いや、今ここ身内しかいないし。
住居スペースに繋がっている店の奥の階段をリンスさんが降りてきた。一見さんの客がいると気付き控えめに礼をしたあと、片隅の踏み台に立つ。彼女はいつもそこをステージ代わりにしているのだった。
選曲は決まってモルガンがやる。リンスさんの歌いたい曲とか歌わせてあげないんだろうか。それともリクエストに必ず応えるのがプロということなんだろうか。
あざみ色の傘をさして 街へいざなう夢のあなた……
ジャジーなリズムで耳に心地よい音のディナーが饗される。リンスさんは本当に自分の声を楽器として扱うのがうまい。どんな音楽とも必ず調和させ、聴いていて安心感と幸福感を与えてくれる。これで僕と同い年だっていうんだから驚きだ。
父……リノさんもグラスを傾けながらリンスさんの方を見ていた。そして一曲終わると、ゆったりと拍手をした。
「……いや、素晴らしい。エフェクトを付けない肉声でこんなに感動したのは久しぶりだ。」
「すごいでしょ、リンスさんは。僕と同い年なんですよ。」
「なんでイナホが自慢してやがるんだ。」
そう言うモルガンも気を良くしたのだろう、続けて別の曲を流した。さっきとは打って変わって横笛の音のような高いソプラノがリンスさんの喉から紡がれる。
「もっと大々的に宣伝しても良いと思うんだよなぁ。動画とかアップしないんですか?」
「イナホは聞いたんじゃねぇのか、リンスの事情。」
「そりゃ病気のことは聞いたけど、家から出なくてもプロとして売る方法は色々あるでしょう。」
「ファンに店に押し掛けられても困るし、注目が集まってここの
「売れるほどの才能もありませんし……。」
歌い終えたリンスさんがはにかんで謙遜する。売りたくない事情があるなら分かるが、売れないとは思えない。
「いやいや、とんでもない。自信を持っていいと思うよ。」
そんなことないですよ、と言おうとしたらリノさんに先に言われてしまった。
「病気、なんだったら俺に見せてもらえたら、何か役に立つモジュールでも作れるかもしれない。」
その発言に、父はリンスさんの話をするために今日ここに来たのかもしれないと僕は察した。そりゃ、モルガンにああ言われたら気になりもするか。
父がリンスさんに交渉しようとするのを、モルガンが声を上げて
「兄ちゃんは……生物工学畑か。だが悪ぃな、妹の病気はナノマシンアレルギーでね。体をまるっと作り替えるか、この国をまるっと作り替えるかの二択なのさ。どっちも『まだ』できねぇからこの店はナノマシン少なめでお送りしてるってわけでね。」
「ナノマシンアレルギー、そんなものが……。」
父にもどうやら初耳だったようだ。父がこの街にナノマシンを飛ばし始めて、確か三、四十年くらいだったはず。技術は飛躍的に進歩してきたが、健康被害についてはまだあまり表沙汰になってこなかったのだろう。
「医療モジュールでもどうにもならないくらいの、重度のアレルギーなのかな。蒼天……国の研究所には、報告は?」
「してねぇよ。モルモットにされるのがオチだろ。」
「確かに、そうかもね。それじゃ、モルガン工房は彼女のために作られたってことなのかな?」
「いや……最初はそのつもりだったがな。監理ナノマシン相手じゃ無理だ。」
「こちらで改造して、
僕は、父の正体をばらすかどうか迷っていた。父はあくまでリノさんとしてモルガンを誘っている。ここで自分が雷様だとばらすのは悪手だと分かっているのだろう。父とモルガンが組めば解決できない問題なんてないとも思う。リンスさんのことを思うなら、黙っていた方が良い。ただ、本当に最後まで隠し通せるものか? もしバレたら、父の素顔を知りつつ指摘しなかった僕も、モルガンの逆鱗に触れるのではないか?
「お断りだぜ。蒼天の人間なら都合が変わればいつでもリンスをしょっぴいていけちまうだろ。兄ちゃんを噛ませるわけにはいかねぇよ。」
「そんなことしないと誓うよ。この件は、蒼天には内緒で仕上げる。二人でだと時間は掛かるかもしれないが、この店から歌姫を取り上げるような真似はしない。俺だって、彼女の歌はこれからも聴きたいと思うしな。」
「……あくまでもこの店で、か。」
モルガンも迷っているようだ。グラスを拭きながら眉間にしわを寄せて黙ってしまった。あるいは、リノさんの素性を調べているのか。
リノ名義で検索をかけると、ちゃんと蒼天の研究所から主著の論文が出ていた。タイトルは「全身拡散型モジュールのケミカル蓄積について」。どうせ僕には理解できないだろうから中身までは読まないけれど、きっと本物なんだろう。実に偽装に手が込んでいる。
父は、本気でこの兄妹に向き合おうと決めて入念な準備をしてここに来たに違いない。それならきっと最後まで卒なくやり遂げられるだろう。
「モルガン、僕が言うのも変かもだけど、リンスさんの気持ちを聞いてあげたらどうですか?」
「イナホ……。」
モルガンははっとした顔で僕を見て、それから妹を振り返った。リンスさんはきゅっと唇を引き締めて頷いた。
「お願いします……。兄さんやイナホさんに、危険なことはしてほしくない。私が……もし治ったら、兄さんも怖いことは言わなくなるはず。」
それはどうかなぁ。モルガンは今のこの国とは根本的に合わないんだ。リンスさんのことが無くなっても、僕らの計画は止まらないかもしれない。ほら、モルガンってばすごく渋い顔になって唸ってる……。
「そうよね? 兄さん。」
リンスさんの口調はあくまで穏やかだったけれど、ああ、これは逆らえないやつだな、と僕は察した。モルガンもそれで踏ん切りが付いたのか、ふーっと長い溜め息をついて頷いた。
「……分かった。その……リノさんよ。手伝ってくれると、正直助かるぜ。」
「リノでいいよ、モルガン君。」
「じゃ、俺様もモルガンでいいぜ。タメだしな。」
「タメ? ああ、同い年ってことか。そうだな、よろしく、モルガン。」
二人がカウンター越しに握手するのを隣で見届けた僕は、上手くゆきますようにと心の中で願った。意識してそう思わないと、後ろめたさと嫌な予感が、僕の表情に出てしまいそうだったんだ。
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