第九話 大義を捨てる時
それから、二年以上が過ぎた。もっと早く進めることもできたとは思うが、モルガンもリノも、リンスさんになるべく負担を掛けたくないという点で合意していたから、少しでも体調が悪い時には予定を延期したり、体に影響の出ない外付けのボディメンテモジュールや試作のナノマシンを摂取するマスクなんかを先に作ったりしていた。
リノは蒼天の宿舎住まいということになっていて、僕はよく彼をボードに乗せて店まで来るようになった。ボードで二人きりの時も家族としての会話は避けていた。もう僕は彼に父として振る舞ってほしいとは思わなくなった。むしろ、対等な友人として接している方が、この人本来の人間らしさを感じることができる。「リノ」は完全に、普通の人間だった。
武闘会で優勝してしまった僕には、戦士としての役目も回ってくる。一週間ほどこの街を離れるだけなんだけど、最初はバーでめちゃくちゃぐずった。下手な負け方をしたら敵地で死んでしまって帰ってこられない。モルガンはそんな僕を見かねたのか、僕の戦闘モジュールの使命を、勝利することから手痛い敗北をしないことに切り替えてくれた。そして、無事に勝って帰ってきたら祝勝会をやろうぜ、と約束してくれた。会の参加メンバーには勿論リノもリンスさんも入っている。皆、祝勝会が回を重ねても毎度心から喜んでくれるから、僕は頑張れたのだと思う。
戦士として順調に勝利しているうちに、戦闘モジュールを近衛騎士団で購入させてもらえないかとエミさんから相談があった。僕の思考に干渉できる今のセンでは危険だから、体内に取り込まずに教官アプリとして拡張現実内に住んでもらうことになった。それなら例のコードも使えないし、危険性がぐっと下がるのでAGIでも問題ないらしい。センはモルガン工房では珍しい市販品となることをなぜかすごく喜んでいた。いつか自分対自分の死闘になるのが楽しみなんだそうだ。
ところで、エミさんをモルガンのバーに誘ってみたいんだけど、父の素顔を知っている近衛は危険だろうな。リンスさんのための開発が終わってリノを連れてくる必要が無くなったらにしよう、と何となく考えていた。
そして、とうとうその日がやってきた。モルガンとリノはバー上階の処置室で、リンスさんの検査結果を出そうとしていた。僕とリンスさんはバーで待機。リンスさんはすごく緊張した顔つきで、つられて僕もドキドキしてしまい、警告が出るほど水をおかわりしていた。
どたどた、と階段を駆け下りる音。振り向くと、モルガンが満面の笑みでバーに戻ってきたので、僕は全てを察した。
「やった! ついにやってやったぜ! っし、者共祝杯にすんぞ!」
「完全にアレルゲンを排除したナノマシンができたよ。経過報告とプルリク、審査と論文、生産組み込み……全部合わせても、最長三ヶ月後にはこの新型に置換されるだろう。いや、置換させてみせる。俺の研究者生命に賭けて。」
リノが満足そうにモルガンのあとから階段を降りてきて、僕の隣に座る。僕は思わず安堵の溜め息をついた。なんとか、リノが雷様だとバレずにここまで漕ぎ着けたんだ。
「この一杯は俺様の奢りだ。それじゃあ、乾杯!」
出されたグラスを前に掲げて中の琥珀色の液体を飲み干す。これは、僕が去年戦士として出場した外国の親善試合で貰ってきた、記念の……?
「って合成酒じゃないですか! モルガンのケチ!」
「おー、イナホも分かる口になってきやがったな!」
モルガンはクオリティの高い合成酒を趣味で研究している。既存の酒に似せようとするのはあんまり賛同しかねるが、嘘をついて客に出すような法に触れることはしていないから僕は黙認している。たまにこうやって何も言わずに出してくる手口も分かってきた。
「兄さんってば、こんな日くらい素直に奢ればいいのに……。」
「フン、二年間で得たものを確認しただけだぜ。俺様はアイツのナノマシンを改造してやった、イナホは酒が分かるようになった。……そら、次はお前の番だ、リンス。」
急に、モルガンの声が弱々しくなった。言われたリンスさんは微笑みを消して真面目な顔で頷き、僕とリノの方を向いた。
「そうね……。二人とも、この二年間、本当にありがとう。特にリノさんには、なんとお礼を言ったらいいか……。感謝の気持ちだけじゃなくて……この時間が、ずっと続けばいいのにって、思ってもいた……。それくらい、楽しくて、幸せだったの。……それで、兄さんに相談もしたんだけど……。」
リンスさんが続く言葉をなかなか出せずにもじもじとし始めたので、逆に僕は何を言い出そうとしているのか理解してしまった。リノは、飲んでいたグラスをカウンターに置いてリンスさんをじっと見ている。その横顔は、酒を飲んでいるとは思えないくらい蒼白だった。
「……あの、リノさん。私と、……結婚を前提に、お付き合いしていただけませんか!」
やっぱりそうか。僕はこっそりと唇を噛んだ。モルガンとリンスさんの前で嫌な顔はできない。でも、「リノ」は虚構の人間で、本当は僕の父で、僕の母を、そして僕を、なんて、言えない。どうか穏便に、断ってくれ。それが一番平和なんだ。
「リノ」は、死んでいるのかと思うくらい長く息をせずに真顔でリンスさんを見つめ、それからチラリとカウンターの向こうのモルガンを見やり、ようやく目を閉じてゆっくりと深呼吸をした。
「……俺は、君の気持ちを素直に嬉しいと思う。大切な人から、好意を返されるのは、いつだって幸福なものだ。……でもね。」
「分かっています!」
やんわり断ろうとしたリノの言葉を、いつになく激しくリンスさんが遮った。
「……分かっているんです、私の神様。リノさん……本当のお名前を、教えてください。」
「えっ……。」
僕はうっかり声を上げてしまった。慌ててモルガンを見る。彼は口をへの字に曲げて腕組みをしているが、顔色を変える様子はない。
なんてことだ。つまり、バレていたのか?
「……俺の……本当の名前を言うと、夢のような時間が終わってしまうかもしれない。」
「しゃらくせぇぞテメェ。俺様の気が変わらねぇうちに全部吐きやがれ。」
「モルガン……。そうか、すまない。ずっと君達を騙していた。俺の名前は、カミナ・カミナリノ。千年以上生きている、人間のなり損ないだ。」
ギリリッという音に目をやると、モルガンがすごい顔で歯ぎしりをしていた。
「モルガン、僕もごめんなさい。騙すつもりじゃ……でも、黙っていた方が良いかと思って……。」
「あー、まー、俺はよォ……今は置いとけよ。リンスと話をしろ。コイツは全部分かってて、それでも、なんだぜ。」
あれだけ妹を大事にしていたモルガンが、この場面で大人な発言をするとは驚きだった。いや、妹が大事だからこそ、彼女の気持ちを否定することはできなかったのかもしれない。
リンスさんは目に涙を浮かべながら、父の手を取った。
「あなたが、完璧すぎたんです。話がうますぎたの。専門が違うとはいえ兄さんと肩を並べられるような人を、兄さんが今まで知らなかったというのも変。今までナノマシン以外の開発はしてこなかったはずなのに、マスクやボディメンテモジュールを一緒に作れるのも変。兄さんも割と初めの頃から疑っていたみたい。雷様に啖呵を切った数日後にあなたが来て……。でも、私にとって都合がいいから、二人とも気付いていないふりをして……お互いにすら黙ってたんです。」
「……なるほど。それは、急ぎすぎて失敗したな。」
父は静かに苦笑した。リンスさんはそれに笑顔を返した。
「でもね、確信したのは……何の関係もないはずのあなたが時々、イナホさんを優しい目で見つめるの。それは、愛情の目。何も言わなくても分かる、家族の絆の証……。」
「当のイナホだけが気付いてねぇみてぇだったがな。」
首を傾げた僕をモルガンがからかってきた。まるで僕が、愛情を一方的に享受して当然だと思っている子供だとでも言うかのように。
ああ、でも、そうなのかもしれない。僕は足りないと嘆くばかりで、くれているものに目を向けようとはしてこなかった。足りなくても、欲しいものはそこに在ったのか。ゼロではなかったということか。
涙が出そうになるのをこらえて父を見た。隠し事を諦め、どこか晴れやかな、透き通った巻雲のような表情だった。
「そう……、俺には、亡き妻との間にイナホとアマネ、二人の子がいる。今は、二人の幸せが何よりも大切なんだ。だから……。」
「でも、あなた一人じゃ、その気持ちは伝わってなかったじゃないですか。私にお手伝いさせてください。あなたのそばで……不器用なあなたの愛を、みんなに伝える役をやらせてください。……そして、たとえ誰もあなたに愛を返さなくても、私だけは……私にくれた愛を覚えていて、あなたに返し続けたい。私と兄を尊重して、この店に二年間、私のために別人のフリをして通い詰めてくれた。こんなに優しい人を、私は他に知らない……。」
「俺様を除いて、な。」
「……知らなかったんです。神様と呼ばれるあなたが、こんなに人の心を持った愛情深いかただったなんて。……あなたが好きです、カミナ。」
……すごい。恋をするって、こんなに熱量のあるものなんだ。なんだか聞いてるだけで圧倒される。普段は余計なことは言わないリンスさんが、こんなに言いつのる姿を初めて見た。本気なんだ。本気で、神妃殿下になろうとしているんだ。
嫌だな……。
僕はリンスさんのことを狙っていたわけではない。友人としてなら好きだけど、恋人としては見られない。だから惜しいとは思わない。
そうじゃなくて、母の後釜が、こんなに早く現れるのが嫌だった。母の死後十二年。普通の人間にはじゅうぶん長い期間だが、不老不死の父には一瞬なのではないか。断ってほしい。まだ亡き妻が忘れられないと言ってほしい。
なんて、子供じみた執着だろう。父が別の女性を愛し始めたとしても、僕への気持ちが減るわけじゃないし、母のことを忘れるわけでもない。むしろ僕とも仲のいい相手で良かったじゃないか。
「リノ、いえ、父様。僕らのことは気にしないでください。アマネにはエミさんがいますし、僕も……もう大人です。友人として、リンスさんの気持ちを大切にしたい。」
「イナホ……。」
「素敵な人ですよ、リンスさんは。詐称リノのくせに、まだ何か文句でもあるんですか?」
「お? 戦争か??」
僕とモルガンに詰められ、詐称リノは笑いを噛み殺した。本当に人間らしい表情をする。今なら分かる。半人半神とは、神の力を得ただけの、死なないだけの人間なのだ。
「リンスさんこそ良いんですか。この人、今は頼りになるように見えるかもしれませんが、父親には向いてませんよ。」
「そうですか? イナホさんとも仲良さそうですが……。」
「それはこの店に通うようになってからなんで。」
「最近の子は難しいからな……。」
「それ、子供ができるたびに言ってるんじゃないですか?」
「どうだったかな?」
今更もう親子喧嘩にするつもりはないから、僕は溜め息をついて呆れ笑いを作って、そんなことよりリンスさんを向けと目配せする。カミナは軽く頷いてそちらに向き直った。
「こんな人間もどきだが、それでも良ければ……これからも、共に生きよう。リンス。俺を好きになってくれて、ありがとう。」
その途端、リンスさんの顔は真っ赤になった。カミナの手をもう一度握り直し、良かった、と小さく呟く声が聞こえた。
「……決まっちまった、な。」
モルガンが息を吐きながら肩首を回し、カミナの方を見る。カミナはそれに微笑みながら何かを言おうとし、そのまま床に崩れ落ちた。
「うわっ、……え?」
糸の切れた人形みたい。さっきまで豊かだった表情も消えて。目は開いているけど、焦点が合ってなくて。
「父様……?」
「っ、兄さん! カミナに、何をしたの!」
「見りゃ分かるだろ。」
「分からないわ! ちゃんと、適切な処置をしないといけないから、ちゃんと、話して。」
「えっ……モルガン……?」
僕は事態をうまく飲み込めずにモリンの兄妹の顔を眺めた。
「平たく言やぁ、反逆さ。医療モジュールが働かねぇようにナノマシンを全部失活させた上で、飲ませておいたパッチを活性化させた。この移民街から抜け出せりゃ復活すると思うぜ。」
「こんなことして……、馬鹿じゃないの……!」
「うるせえ、最後の試しが残ってんだよ。そろそろ分かるはずなんだ。」
「何を……!」
リンスさんが逆上しかけているのを僕は必死で止めた。僕らにも同じものが飲まされていてもおかしくない。今は冷静に、事態を整理させてほしい。
はたして、モルガンの待っていたものはすぐに反応した。
『こんな早計をするとはらしくないな、モルガン。』
「やっぱり、居やがったか……テメェ!」
再びモルガンが歯ぎしりをする。僕らの拡張現実での目の前に、初老の男が……雷様のアバターが現れた。
『そんなことを確認するために私を害したのか。』
「父様……無事、なの?」
「ちげぇぜ、イナホ。コイツは蒼天から送られてきてる通信だ。雷様の、神様部分ってことだろ。」
『いや、私もカミナだ。そちらの体と同一人格だよ。』
「ほざけ! これでハッキリした、テメェはやっぱり人間じゃねえ。ここに居るカミナを元に作られた、人工の神格だ。俺様はテメェのことだけは許さねえ。妹がカミナとどうなろうとコイツの勝手だが……俺様も、俺様の好きにするぜ。俺様は独りで、今から反逆する。」
「兄さんの、馬鹿……。」
リンスさんは、どうして、とは聞かなかった。きっと予感はあったのだろう。神を名乗る、自分達を見落としていたソレは、自分達が声を上げなければ恐らく今でもそのままだった。きっとそういう天に見放された人間が、他にもまだ沢山いる。支配だけ受けて、監理だけされて、庇護から漏れている人間が。そんな支配なんかクソくらえだ、とモルガンは言い続けてきたのだから。
「でも、反逆ったって、どうやって?」
「……イナホ。お前はお前のやりたいようにやれ。ここから先は付き合わなくていいぜ。お前が王になるまで我慢するつもりだったが、こうなった以上ご破算だ。なに、考えなしにはしてねぇよ。俺様の妨害マシンがこの移民街を囲っている。空気中の監理ナノマシンを失活させるやつだ。大規模停電みたいなモンさ。今からカミナの体を人質に、この区域の自治を脅し取る。今日のこのために移民を中心に、賛同者を集めてある。移民の他にも、アイツに理不尽な支配を受けた経験を持つ奴とか……まあ、犯罪歴持ちが多いがな。」
「いつの間に……。」
ああ、でも、そういやこの人は最初からそういう人だった。目的のために、打てる手はどんな手だろうと全部打つ。
「でも、これじゃ、ただのテロリストだ!」
「ああ……だからよ、イナホ……。」
モルガンは自分の命を賭けた大博打に震えていた。そして、冷や汗まみれの顔で僕にニヤリと笑ってみせた。
「俺と一緒に死ぬか、リンスを助けてここから脱出するか、選んでくれ。」
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