第29章 家康籠城
「な、なに、秀忠が死んだぁ⁉ 輝忠も‥‥ だと‥‥ ば、馬鹿なっ」
家康は輿から転げ落ちた。
佐和山城は目の前である。
近習は家康を輿に担ぎ上げ駆けだそうとした。
「も、戻せ‥‥ さ、佐和山には入らぬ。大坂城に戻る」
突っ伏したまま家康は呻いた。
すでに佐和山城に入っていた先手衆の小笠原信之は驚いた。
家康本隊が踵を返し元来た道を戻っていくのだ。
伝令も来ていない。
(何があった?)
柏原から大久保忠隣らが引き上げて来て家康反転の理由がわかった。
将軍秀忠、御舎弟輝忠が戦死したのである。
軍議は静まり返り発言する者はいない。
誰もが徳川家の行く末に顔を曇らせた。
徳川を継ぐ男子は九男千々代丸、十男長福丸、十一男鶴千代丸の三人で、いずれも十に満たない童たちだ。
「大御所を追い、その馬前に命を捧げる所存である」
居並ぶ諸将が忠隣を見た。
忠隣は秀忠の佐和山帰城を止めなかった自分を責めた。
腹を切ろうとしたが副官としての責務を考え、陣所を払い佐和山まで兵を連れて来たのである。
家康がいなければ、どこまでも追いかけ御前で腹を切って詫びる積りであった。
「動けの者も大勢いるが、佐和山に捨てていくのですか」
信之は思わず問いかけてしまった。
柏原からの引き上げきた兵は激戦で負傷している者が多い。重臣らは負けいくさの責任を感じ言い出せないでいたのだ
「新皇軍は捕虜を無下に扱わないと聞く。無理に連れてくより投降した方が命を繋げよう」
信之は眼を見開いて愕然とした。
忠隣は敵の温情に縋り、城ごと負傷兵を捨て置くと言っているのだ。
否を唱える諸将は一人もいない。
徳川家が崩れ去るのを肌で感じた
翌日、負傷兵を佐和山に残し、徳川軍は中山道を西に向かった。
その兵数一万八千、伏見を出撃した時の三分の一となっていた。
佐和山城はさながら地獄絵図ようだった。
本丸、二の丸、三の丸、建屋の隅々にまで負傷した徳川兵が寝そべり、血膿の匂いが充満していた。
死んでしまっている兵も大勢いて、中には自害した兵士も見受けられる。
宗瑞は関ケ原で治療にあたっている先生を呼び、死者は近在の僧侶に懇ろに弔わせた。
偽善か贖罪なのか、宗瑞は戦で傷付いた者達を保護する。
敵として傷つけた者に治療を施し、殺した者を懇ろに弔うのだ。
小田原北条を立ち上げてからずっと続いている行為だった。
「戦場じゃ殺らなきゃ殺られる。みんなてめえの都合で戦場にでたんだ。嫌なら出なけりゃいい。遠慮はしねえ。でも終わった後は別だ。生きれるやつは生かしてやりてえ。生きてりゃ何かを成し遂げるかもしれねえしな」
宗瑞が捕虜より賠償金をせしめるのも、金のため捕虜を丁重に扱うと世間を納得させるためでもあったのだ
僕らは自分の居場所を求め、国を手に入れた。
この時代の人間ではない僕らが、多くの人を殺し歴史を変えている。
呵責の念を振り払うには必要なことなのだろう。
佐和山に半月ほど留まり合戦の後処理を行った。
孤立した岐阜の松平忠直は降伏した。
囲んでいた氏隆軍は城を受け取り佐和山城で合流。
伊勢を平定した豊臣秀頼も三万に膨れあがった兵を率い瀬田を占拠した。
十一月初旬、寒風吹き荒ぶ中、ついに新皇軍は大阪に向け侵攻を開始した。
大津、伏見の徳川勢は戦わずして降伏した。
新皇軍は無傷のまま、大坂に侵攻。
家康は巨城を頼りに引き籠った。
さすがは秀吉が心血を注ぎ建造した大坂城だ。
包囲三ケ月、度重なる攻防で大坂の町は灰燼と化したが、総構えの大阪城の守りは固く、出丸ひとつ落とせなかった。
新皇軍には、九州、四国の中立を保っていた大名が臣下を表明し参陣していた。
寝返った徳川勢を含め二十万の兵士が大坂城を十重二十重と囲んでいる。
籠る家康軍は譜代の家臣らおおよそ五万。
兵士は意気軒高で長曾我部盛親、有馬晴信らが抜け駆けして南総構えの平野口を攻めたが、多大な死傷者を出し撤退している。
宗瑞は、秀吉の小田原攻めを模倣し大坂城外の堀沿いに砦を築かせ力攻め自重した。
「これで、徳川に嫁荷でもあったら目も当てられねえな」
城を取り囲む砦を眺め、宗瑞がポツリと呟いた。
天王寺茶臼山に築いた砦からは大坂城が一望出来る。
「徳川の大阪攻めでは隧道を掘り、櫓を倒したというが、その策でも用いるか?」
蔵の問いに宗瑞は即座に首を振った。
「この兵の半分が今後どうなるか分からねえ。徹底的に武力の違いを見せつけ、逆らわねえよう臣下させてえ。一気に攻め込むというのは、どうです?」
九州、四国、中国の諸大名の多くは勝馬に乗った一時凌ぎの味方だ。
徳川から新皇に鞍替えしただけで、地位や権力を取り上げれば従うかどうか分からない。
「総攻めなどすれば、多大な犠牲がでるぞ」
蔵は驚き声を荒げた。
「このまま籠城が続けばの話しです。その前に何としても家康公には降伏してほしい」
徳川家の家臣であった二人は、再三使者を立て降伏を促している。
勝敗は既に決しているのだ。
命を惜しんで籠城を続けたところで、名を落とすだけだ。
宗瑞と蔵の憂いをよそに、家康の籠城を続いた。
大坂城を包囲して五カ月が経った。
一人の僧侶が京で捕らえられ茶臼山の本陣に連行されて来た。
僧侶の名は南光坊天海。
捕らえたのは家康の元近習で寝返った久野宗成であった。
久野宗成は遠江の小名の出で、祖父宗能は今川義元の家臣であったが、義元が桶狭間で頓死したあと家康に仕えている。
祖父の宗能は天海を太原雪斎のもとで修業していたころから知っていて、人を惑わす化け物と嫌っていたそうだ。
父宗晴が天海を襲撃する事件をおこし改易となったのも祖父に感化された為だという。
一部の重臣しか知らないが、家康は天海を崇拝しているのだという。
元の世では徳川幕府黎明期を支えた金地院崇伝や南光坊天海などの使僧がいたことは、蔵や宗瑞は知っている。
天海といえば家康、秀忠、家光の三代に仕え百八歳まで生きたという怪僧だ。
「そんな老僧を捕まえて親の仇でも取ろうっていうのか?」
近習は天海に家康を説得させてはどうかと言った。
「なるほど。老僧なれば、家康公を説得できるやも知れぬ」
師の説得ならば家康も降伏を聞き入れるかもしれないと、二人は頷き合った。
「あ、あの、久野殿が言う天海上人とは違うのかもしれませぬ」
近習の一人が恐る恐る口を挟んだ。
「違う? 別人か?」
「拙者が見たところ、どう見ても五十前後、太原雪斎の弟子なら若すぎまする」
宗瑞と蔵は顔を見合わせた。
「氏直を呼べ。天海との対面だ」
宗瑞の声が砦に響いた。
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