「放てっ」

　地震いするほどの轟音が響き渡る。

　陣所の柵は銃撃を受け、木っ端をまき散らし傾き斃れた。

「鉄砲隊、前へ！放てっ」

　五千挺の鉄砲の一斉射撃が始まった。

　徳川兵は土塁に身を寄せ反撃の機会を待った。

　後方に金扇が上がっている。

　秀忠だ。

　秀忠が柏原の陣所にいたのだ。

「まだ負けてはおらぬ。外様らの逃走が原因だ。我らが新皇に負けたわけでは無い」

　秀忠は固くなに佐和山城への撤退を拒否した。

「さりとて、この陣所では新皇軍を押し留めることなど出来ませぬぞ。佐和山に入り大御所を待つことが肝要ではござらぬか」

　大久保忠隣が秀忠を諫めた。

　大津の家康本隊二万が佐和山に繰り出せば、勝負の行方はわからない。

　関ケ原での敗戦など挽回できるのである。

　それには将軍秀忠が一刻でも早く佐和山城に戻り軍容を立て直すことが肝要なのだ。

　多くの重臣らも忠隣に同調したが、天野康家、保科正光は、今だ勝敗はつかず軍容を立て直し出撃すべしと、迎撃を主張した。

　継戦か、撤退か軍議は紛糾した。

　その最中、殿を務めた忠輝隊が柏原に撤退してきた。

　秀忠らは軍議を放り出し迎えに出た。

　本多忠政、酒井忠世、榊原康勝が馬上より飛び降り秀忠の前に拝跪した。

「少将様の行方がわかりませぬ。長門守ら家老共々行方不明となりました」

　本多らは忠輝が落ちたあと、しばらく新皇軍と戦っていたが松平清直の指示により撤退を開始し、なんとか柏原にたどり着いたものの先行した忠輝ら一行がいないことに気付いたという。

「なら、庄右衛門と一緒なのではないか？」

　秀忠は血の気を失い震えながら言った。

　清直が撤退を指示したということは、忠輝を逃がすために戦場に踏みとどまったのだ。

　そこに忠輝がいるわけがない。

　都合にいい解釈であることは己もわかっていた。

　現に本多らも無言のままだった。

「どの面下げて、父に会えというのだ」

　秀忠の口より漏れ出た言葉に忠隣はハッとした。

　大御所軍を頼りに佐和山城に撤退すれば秀忠の面子は潰れる。

　将軍の立場さえ怪しくなるだろう。

　伊井ら多くの家臣を失ったうえ六男忠輝を犠牲にしてしまっては、大御所が秀忠を許すとは思えなかった。

　忠隣は継戦に舵を切った。

　陣形を組みなおす時は無い。

　命を捨て遮二無二ぶつかるだけだった。

　火の玉と化した徳川の攻撃に宗瑞、恕安隊は崩れに崩れ、二町（約２２０メートル）も後退した。

「氏直君、あの右端の車紋の隊に突っ込んで下さい。僕はその隣の鳥居の紋を叩きます」

「お、お待ちください。新皇様自らの出撃など、お止めくだされ」

　本隊についていた氏直は青くなり押し留めたが、形勢は宗瑞、恕安隊が徳川軍押され不利である。

　氏直は渋々突撃の陣形を組んだ。

「本隊、突撃用意」

　僕は馬上でキツカタを振り上げ叫んだ。

　こちらに来て二十八年。

　姿こそ十七歳のまま変わらないが、いくさ経験は氏直と変わらない。

　氏直四十六歳。本当なら僕と変わらない齢だ。

　新皇直々出撃に本隊は活気付いた。

「かかれっ」

　白赤旗の一団が徳川に襲い掛かる。

　新皇軍本隊の参戦により、崩れかけていた宗瑞隊は奮起し徳川を押し返した。

「助かったぜ。秀忠公がいやがるとは、誤算だった。頃合いを見て兵を下げるぞ」

　馬を寄せて宗瑞が言った。

　新皇軍は徳川軍の追撃を振り切り半里（約２キロ）ほど退却し野陣を張った。

　陽は完全に落ち、篝火が焚かれた。

　家康は忠隣からの伝令で戦いのあらましを聞いた。

　大津城を出撃して武佐まで進行してきている。

　後六里で佐和山に着く。強行軍である。

　関ケ原は新皇の勝ちだが、柏原は秀忠が勝ったようだ。

　多くの負傷者が出ているが、秀忠の予想以上のいくさぶりにほくそ笑んだ。

　何より新皇軍は小田原で使った兵器を使っていない。

（上人のおっしゃられた通りだ。やはり、あの武器はない）

　これが判明しただけでも、秀忠の功績は大きい。

　家康手持ちの二万が繰り出せば、新皇軍は大垣城に撤退する。

　決着をつけなくとも、それは勝ちに等しいと家康は考えていた。

　勝ちに沸く陣所で秀忠は佐和山城からの伝言を聞いた。

　父家康が二万の兵を率い佐和山に向かっているという。

　重臣らは家康の援軍に沸いたが、秀忠は天を睨み呻いた。

「さ、佐和山に、戻るかのか‥‥」

　いまだ輝忠は戻らず生存している可能性はない。

　若い輝忠を死なせたことを父に詫びねばならない。

　副将の大久保忠隣も同じこと考えていた。

「それがしが、佐和山に戻ります。上様は陣所に留まり下さい」

　使い番らは絶えず陣所と佐和山城を行き来しているが、無人と化した街道に不審な物陰など見受けないという。

　僅かな手勢で早急に城に戻れるはずだ。

「いや、わたしが行かなければ、父は許しはしまい」

　忠隣は折れた。

　佐和山まで四里、敵など居ようはずがない。

　秀忠は平服に着替え、使い番に変装し近習五人と供に陣所を出発した。

「かっぁ⁉　俺の落ち度だ。くそっ。大変なことになっちまった」

　初めて見る宗瑞の動揺である。

　陣幕の中をうろうろと歩き周り、自分の失策を責めていた。

　僕も恕安も置き去りにした少尉に気が気ではなかった。

　風魔を使い少尉に帰陣を命じているが、その風魔も戻らないのだ。

「ああっ⁉　宗瑞殿らが負けた⁉　半里後方に撤退？」

　少尉は潜んでいる藪の中で声を殺して風魔の忍びに詰め寄った。

　藪の中には斥候隊三百が息を殺し隠れている。

「無駄骨ですか？　さて、どうやって帰るか」

　部隊長の勝倉国利が少尉に目線を送る。

　徳川の陣所より一里（約４キロ）も西に潜んでいる。

　逃げる徳川兵を殲滅する伏兵のはずだった。

「山道よりさらに奥に、抜け道が御座います。隘路ですがそこなら松明を焚いても追っ手は振り切れまする」

　風魔の使者を先頭に立たせ小隊ごとの撤退を開始した。

「よし、五番隊出発」

　間隔をおき、半数ほどが山中に消えていった。

「徳川陣所より六騎が向かって来ます」

　物見が駆け寄り少尉に告げた。

　「勝倉。そいつらを撃て」

　街道はひっきりなしに徳川の伝令が行き来していて、その度、息を殺しやり過ごしていたのだが、撤収となれば話は別だった。

「しかし、銃声で徳川に気付かれますが、よろしいですか？」

　国利は困惑した。

　深夜の銃声は遠くまで響く。

　敵に存在を知らしめてしまう。

「徳川が追撃してくりゃ山で迎え撃つ。大騒ぎにでもなりゃ宗瑞殿がほっとくわけがない。攪乱できりゃめっけものだ」

　国利は鉄砲隊を率い街道横の茂みまで移動した。

　小さな炎が茂みに浮かんだ。

　一瞬のことである。

「て、敵だ！」

　騎馬兵の叫びと同時に轟音が響いた。

　三十挺の鉄砲が火を噴いた。

　騎乗の侍らは複数の玉に貫かれ吹き飛んだ。

「ご苦労、どうだ、凄いだろう」

　戻ってくる国利に少尉は駆け寄った。

「驚き申した。擦るだけで火が着くとは」

「燐寸って言うんだ。売れるんだけどなあ」

　二十年の前に先生が再現したのだが、宗瑞は販売を許可せず新皇軍の機密とした。

　軍事に利用されるのを危惧したのである。

　国利は、この若い隊長が新皇一味であることを知らなかったし、忠輝に続き将軍秀忠を撃ち殺したことなど知る由もなかった。

　山に反響した銃声を忠隣は聞いた。

　音は西より聞こえた。

　部下を確認に向かわせたが、居ても立っても居られない。

　自ら手勢を連れ街道を西に向かった。

　馬を駆りたて暫く進むと真っ暗な山腹に小さな光が点々と繋がり東に向かっている。

　忠隣の鼓動は早鐘のようになった。

　街道の遥か先に松明の光が揺らめいている。

　先発した部下たちだ。

　

　部下たちは道の真ん中に佇み動いていない。

　近付いた忠隣は、立ち惚ける部下たちの隙間から骸を見た。

　銃撃を受け、人馬共々路面に黒い染みを広げ斃れている。

　将軍秀忠と近習たちだった。

「敵陣慌ただしく、西に動いております」

　夜明け前、見張り番が幔幕を潜り声高に告げた。

「敵が動いた⁉　少尉が見つかったのか？」

　宗瑞は床几より立ち上がり叫んだ。

　僕らは一睡もせず少尉の帰りを待っていた。

「そ、それが、敵陣よりひっきりなしに兵が出てしており、荷駄隊もいることから、全軍かと」

「全軍⁉　陣をひき払うということか」

　宗瑞の決断は早い。氏重に追撃を命じた。

　俄かに陣営は騒がしくなった。

　馬蹄を響かせ黄旗の一団が西に追撃を開始した。

「自分の隊が敵に向かっておりますが、どういうわけですか？」

「「少尉⁉」」

　幕をめくりあげ突然少尉が入ってきた。

「命令により帰還いたしました。抜け道を通り帰還しましたが、半里程後方に出たため遅くなりました。申し訳ありません」

「少尉」

「はい？」

　宗瑞は涙を浮かべ少尉に抱きついた。

　少尉は直立不動のまま、何が何だかわからず戸惑っていた。

　追撃に出た氏重隊は撤退する徳川勢を散々に打倒し、醒ヶ井で陣を張り新皇軍の進行を待った。

　しかし、宗瑞は柏原から動かず、氏重隊を呼び戻した。

　秀忠軍の反撃で多大な死傷者が出ており、追撃するには大垣城の兵を呼び寄せ軍容を立て直さねばならなかったのである。

　蔵が一万二千の兵を引き連れ柏原に来るまで、五日を待たなければならなかった。