第27話 錦の御旗

「マサ、大丈夫か! 保科にまとわりつかれ遅くなった」

 馬を飛ばし宗端が駆け寄ってきた。

 僕は無言で肯き、急いで銃をホルダーに戻した。


 反転した宗瑞隊の攻撃を受けた井伊勢は壊滅。

 敵中深く入り込んでいた伊井直勝は銃弾を肩に受け、落馬した所を槍で刺され絶命した。


「仕方ねえ。駕籠を持ってこい!」

 宗端が馬廻りの武者に命じると、二挺の籠が担ぎ込まれた。

 出陣式からここまで担がれて来た籠だ。


 ダン。ダダダン。──

 轟音が関ケ原に響き渡った。

 関ケ原に進み出た宗端軍の鉄砲隊が空に向け一斉射撃をおこなったのだ。

 

 硝煙が漂い、その中から深紅の大旌旗が聳え立った。

 八間(約14・5メートル)を超える大旗に、三つの十六葉八重表菊の紋章が陽の光を受け煌めいている。


 大旌旗の出現に戦場の新皇軍から歓声が挙がった。

「錦の御旗が揚がったぞ。賊腹を打倒せ!」

「我は皇軍! 朝敵を蹴散らせ!」

 将たちは口々に叫び、新皇軍が皇軍であると吹聴した。

 みるみる兵たちは闘志を蘇らせ押し返しはじめた。


 伊予宇和島藤堂高吉は養父高虎に二千の兵を託され、松平家清の与力として戦っていたが、旗の出現に目を疑った。

「ば、馬鹿な! 我らが朝敵? 逆賊なのか‥‥」

 高吉は、新皇は詐称であると聞かされていた。

 だが、錦旗の出現は真の皇軍を意味する。

「退け! 退け!」

 高吉は戦を放棄し撤退を開始した。


 藤堂隊の撤退に外様大名の多くが後に続き戦場離脱し始める。

 崩壊を決定付けたのは吉川広家の離脱だった。

 関ケ原中央で北条氏直と戦っていた広家は、錦旗の出現に仰天し伊勢方面に逃げ去ってしまったのだ。

 

 氏直は馬を煽り、秀忠攻撃を命じた。

 秀忠本陣までわずか四半里(約1キロ)止め立てする軍勢はいない。


「上様、柏原の陣までお下がりください」

 忠輝が近付き進言した。十八歳の弟は自ら殿を務めるという。

「兵を引かせよ!退き太鼓を鳴らせ」

 秀忠の苦痛に満ちた声が響いた。


「者ども、尻払いだ。正面の赤旗を叩くぞ。我に続け!」

 馬上より号令を発し忠輝が駆け出す。

 本陣の殆どの兵士が輝忠に続いた。


 秀忠は重臣に守られ中山道を落ちていった。

 忠輝は攻込んでくる氏直軍に攻撃を仕掛け足止めすると、退却してくる味方を柏原に落としていった。

 忠輝軍に合力する部隊もあり軍勢は、みるみる五千に膨れ上がり氏直軍を押し込み二町も後退させた。

 殿としては上々の成果である。

 古参の武将ならここで深追いを避け徐々に後退をしたであろう。

 尻払いの役目は味方の撤退のための防御、いわば楯なのだ。


 忠輝は赤旗の敵が北条氏直と知り欲がでた。

 自らも槍を振るい氏直に迫った。


 恕安は大久保勢の撤退に陣形を解き追撃に移った。

 追われる者と追う者。圧倒的に追う者が有利だ。

 大久保勢を次々に槍にかけられ打ち取っていく。

 前方に氏直隊が見えた。

 徳川の殿軍に押されている。

 恕安は伸び切った忠輝軍の横腹に突撃を命じた。


「殿、お退り下され」

 血槍を振るう忠輝に、重臣が駆け寄せ無理やり退がらせる。


「放せ。氏直の首が今少しで獲れる。放せ!」

 頭に血が上った忠輝は周りが見えていない。

 恕安隊の参戦により劣勢なっていることがわからなかった。


「天満山までお連れしろ。後は拙者がおこなう」

 家老の松平清直が馬に鞭を入れ前方に駆けだした。

 重臣らは忠輝を囲んだまま後方に馬を走らせた。

 秀忠軍は滞りなく柏原に撤退している。殿を見事に務めたのだ。

 忠輝が戦場に留まる必要はない。


 少尉が出した斥候隊は天満山麓にいた。

 天満、松尾山麓の敵は消え失せ笹尾山の秀忠本陣も空である。

 部隊長の勝倉国利は天満山麓の小高い丘で休憩を取った。


「敵兵が、こちらに向かって来ます」

 物見兵の報告に国利は焦った。

 深く入り過ぎたのである。


「隠れてやり過ごせ」

 兵士たちは土手に伏し隠れた。

 幸い徳川兵は逃げるのに必死で国利らには気付かなかった。

 二千余りの敵兵が通り過ぎ、国利は陣地に戻ろうと高台から関ケ原を見廻した。

 騎馬の一段がこちらに向かってくる。

 二十人程度の一団で旗指物はつけていない。

 鎧兜は立派なところをみると名のある武将なのだろう。


「このまま帰るのも面白くない。ひと撃ち致すぞ」

 騎馬武者の後ろに続く兵団は、はるか後方にいる。


「よいか、発砲後は即座に陣に撤退だ。」

 国利は銃撃を命じた。

 騎馬武者らは、筒先を並べる国利らに気付かなかった。

 無理もない。主君忠輝が戦場離脱に抵抗し、宥め透かしやっと天満山麓まで連れて来たのだ。


「放てぇ!」

 鉄砲が一斉に火を噴いた。騎馬武者全員が吹き飛び、台地を血で染めた。

「そら、撤退だ。逃げろ。逃げろ」

 国利らは陣地目指して駆け去った。


「ええい、仕方なし。北国往還を落ちるぞ」

 松平清直は口惜しそうに兵らに命令を下した。

 黒旗隊の参戦により輝忠軍は崩壊した。

 諸将らは個別に戦闘を継続するも、思い思いの方向に撤退している。

 清直は手下五百を指揮し踏みとどまっていたが、北の笹尾山の方向に追い落とされていた。

 柏原に撤退するのには天満山に添い南に迂回しなければならない。

 十分とは言えないが、主君忠輝が撤退する程度の時間は作れたはずだ。

 清直は北に逃走を開始した。

 もし、清直が南に迂回し柏原を目指していたら、忠輝と重臣らの骸に遭遇したのは言うまでもない。


 少尉、恕安、氏直隊は陣容を整えると追撃に移った。

 日はまだ高く佐和山城のまでの道のりを少しでも詰めておきたい。

 損傷の大きい蔵隊が関ケ原に留まり合戦の後始末を担うことになった。


「錦の御旗で形勢逆転か‥‥ ちっ。面白くもねえ」

 数的不利を跳ね返しての勝利ではあるが、宗端の機嫌は悪い。

 徳川が崩れたのは、外様大名が錦の御旗に驚き逃げ出したからだ。

 外様大名は兵数はわずかであったが、秀忠は最前線に送り込んでいた。

 前が逃げ出し陣形を整えることが出来なかったのだ。

 

「我らは皇軍。御旗上掲は当然であります」

 少尉の言葉に宗端は苦虫を噛み潰したような顔になった。

 秀忠には勝ったものの、まだ家康がいる。

 必ず、手を打ってくると思っているのだろう。

 

 関ケ原には多くの遺体が散乱していた。

 秀吉との戦とは違い味方からも大勢の戦死者を出している。

 

「大権現様に勝たなければ、本当の勝利じゃねえよ」

 宗瑞は寂しそうに笑った。


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