第25話 新皇軍 侵攻開始

 新皇軍は軍勢を三隊に分けそれぞれ北陸、中山道、東海道を攻め上った。

 

 少尉、恕安は北条氏重を大将に常陸、下野、上野の軍勢二万を率い前橋に集結。

 すでに北陸に侵攻している最上、相馬、大崎らの南奥羽勢二万五千と二方向より加賀を目指した。

 

 蔵、先生は北条氏盛を大将に甲斐、武蔵の軍勢一万と豊臣秀頼率いる福島、木下ら五千が信濃に侵攻。信濃の調略を開始した。


 お嬢は水軍を指揮し兵糧、武器弾薬の輸送に輸送である。

 これに合わせ、僕と宗瑞は北条氏直を大将に相模、駿河、伊豆の軍勢二万、北奥州の南部、津軽、九戸ら五千で東海道を進む予定だった。

 

「嫁荷は使わねえ」

 宗端は、家康との天下を賭けた一戦に未来の武器を使うことを禁じた。

 幕臣であった宗端、蔵は、正々堂々と今の兵器だけで家康を打ち破るのがけじめだと思っていたのだ。


「貸してやる。俺の宝、モ式拳銃だ」

 江戸での軍事パレードの後、少尉は懐にしまっていた拳銃を僕に渡した。

 南部14年式拳銃は数十挺発見されたが、モーゼルは一挺だったらしい。

「嫁荷は使わないって決まったじゃないか」

「隠し持っとけ。万一のためだ」

 新皇軍は兵数約十万だが、将軍となっている徳川は三十万を集める力がある。

 激戦を予想した少尉の親心だったのだろう。

 

「やはり、外様など当てにはできぬか」

 大阪の家康の元には、譜代大名が参陣してくるのみで思うように兵が集まらなかった。 

 九州、中国、四国の外様大名が静観を決め込んでいるのだ。

 伏見の秀忠軍と合わせ十二万弱。心もとない兵数だった。

 そのため、新皇挙兵の報せが届いても先発隊も出せずにいた。


「なぜだ。なぜ、此度は迷いがある‥‥」

 出陣を鈍らせたのは、天海の指摘である。

 天海はあの武器はもう無いと言った。

 今までなら助言通りことを起こせたはずだ。

 だが、どうしても迷いが湧き上がるのだ。

 外様大名を捨て石に確かめるつもりであったが、それもできなくなった。

「天海様‥‥ どうして来て下されぬ。どうして‥‥」

 薄暗い居室に家康の嗚咽が響いた。

 

 出足が鈍い徳川に対し、新皇軍は確実に敵領地を落としていった。

 蔵、先生の部隊は、木下定家らの調略により次々に信濃の城を降伏させた。

 土豪、地侍、牢人が味方したため兵数は五万を超えていたのだ。

 しかし、この兵士らが曲者だった。

 恨みのためか、降伏した城や町を襲い略奪、非道の限りをつくしたため、蔵らは軍紀を侵す者たちを厳しく処罰した。

 戦より罪で処刑した人数の方が多い位であった。

 蔵は信濃に奥羽勢一万を治安維持ため留め置き、美濃に侵攻している。

 

 北陸に侵攻した少尉、恕安の部隊は、金沢城に立て籠もる浅野長政に手を焼いたが敵方の支城、砦を次々に落し、包囲ひと月で降伏させている。

 加賀を平定した少尉は、押さえとして奥羽勢一万を留め置き、飛騨、美濃攻略に乗り出している。


 東海道の僕たちは、猛烈な反撃を受け侵攻は容易に進まなかった。

 小田原で領主やその嫡男を狙撃された恨みは大きい。

 留守居とはいえ雑兵にいたるまで果敢に攻撃を仕掛けてきたのだ。

 掛川城、浜松城、吉田城、岡崎城を落し尾張に迫るまでに一ヵ月以上を要した。


 美濃の領主松平忠直は、蔵、少尉軍の侵攻に岐阜城に籠城し家康に援軍を求めた。 

 だが、武器の有無を確かめたい家康は動かない。


「伊豆。出陣だ!」

「し、しかし、大御所様の命がありませぬぞ」

「岐阜を見殺しにすれば将軍の命など聞く者がいなくなる。父上には構うな」

 大坂城の自室に籠る父の姿は、耄碌した老爺にしか見えなかった。

 己がは動かなければ、幕府どころか徳川家が瓦解する。

 秀忠は畿内の兵五万を率い近江佐和山城に入ると、名古屋城に伝令を送り兵の撤退を命じた。

 名古屋城の松平忠輝は城を放棄。秀忠と合流した。


「なにぃ! 秀忠の命により名古屋を捨てたと!」

 忠輝に名古屋を捨てさせ近江で新皇軍を迎え撃つ策だろう。

 悪い策ではない。後継者として不満ない戦い方だ。

 

 秀忠が無断で出陣したのを見過ごしたのには理由があった。

 ここまで新皇軍は、あの強力な兵器を使っていない。

 天海の言う通りだった。

 疑った己が愚かだったと考えが変わっていたのだ。

 「よし。わしも出るぞ」

 家康は一万二千を率い伏見城に御詰めとして入った。

 

 尾張を労せず手中に収めた宗瑞は、岐阜城を囲む蔵、少尉隊と合流。

 家康の動きを察知し豊臣秀頼に奥州勢二万を預け伊勢に侵攻させ伏見を窺う動きをさせた。

 秀頼は金の千成瓢箪の大馬印を押し立てて侵攻。

 在りし日の秀吉を思わせる振る舞いに伊勢、志摩、故秀次の旧領紀伊の武士が集まり三万を超える兵力に膨れ上がっていた。


 岐阜城を取り囲んだ僕らはらは、松平忠直勢の固い守りに手を焼いた。

 宗端は北条氏房、氏盛に一万を預け大垣城を攻めさせた。

 氏房らの猛攻で大垣城はわずか三日で落ちた。

 岐阜城と佐和山城の間に楔を打ち込んだ形だ。

 

 秀忠は佐和山城から打って出た。

 柏原に柵や茂垣を構築し陣を固めると、大垣城救援の動きを見せたのだ。

 宗端は岐阜城の攻略をあきらめ、押さえとして氏隆ら五千を残し大垣城で軍容を整え兵を五隊に分けた。

 北条自慢の五色の備えに戻したのである。


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