第22話 江戸御所

 小田原城内は蜂の巣を突いたような騒ぎとなった。

 天皇と前関白が庇護を求め小田原に逃げ込んできたのだ。


 実権を握った徳川幕府と朝廷の軋轢に嫌気が差した天皇は、皇子への移譲を画策するが幕府の反対によりかなわず、腹を立てて竜安寺に籠ったそうだ。

 筑前黒田攻めに手を取られた幕府は朝廷の取り成しどころではなく、天皇はそのまま捨て置かれたらしい。

 秀吉の七回忌法要で京に来ていた秀頼と再会し、小田原に憧れる秀頼と莫大な献金を北条より受けていたことを聞いていた天皇は意気投合し、従者をまき二人で逃亡。

 小田原を目指したのだという。

 余程、刺激的な逃避行だったのか、嬉々として二人は語っていた。

 

 いずれにしても、前代未聞の出来事だ。

 あの上杉謙信や織田信長でさえ天皇が出す命令書、いわゆる勅旨の紙切れひとつで舞い上がり、威儀を整え上洛して莫大な献上品を捧げたほど、唯一無二の存在が小田原に下向してしまったのだ。

 驚かない方がどうかしている。

 宗瑞は二の丸に御座所を設けたが、武張った所は嫌だという帝のため皇霊殿を明け渡した。

 

 庭や温泉、食事など大変気に入ってくれたのはいいのだが、小田原の賑わいを知ると秀頼を誘い勝手に抜け出し街を散策し始めた。

 小田原の町は、蔵と宗端が、町人文化が花開いた百年後の元禄を模倣し作り上げた町で、食は、握り寿司、天婦羅、鰻、蕎麦。娯楽は芝居小屋や本屋など、これからおこる文化を広げている。

 それだけではない。

 少尉が戦前までの昭和を取り込んだのだから異国人でさえ感嘆するほどの高レベルな文化を創りだしてしまったのだ。


「この様に面白き所は、生まれてこのかた初めてじゃ」

 と、お喜びになられている。

 また、小田原の民は天皇になじみがなく、恐れ多くも気軽に接してしまうのだが、それがまたお気に召したようだ。


 ただ、宗端は頭を抱えていた。

 隠れていてもらわなければ困るのであるが、二人は小田原の街で名を問われれば隠す事もせず正直に答えてしまうのだ。


「江戸城に御移り頂けばいいんじゃないですか」

 のちに皇居となるのだからとの単純な考えで言ったのだが、

「それだ。それがいい」 

 宗瑞は僕の案に飛びついた。

 

 早速、宗端は京都から職人を呼び御所建築を始めたが、思いも寄らない事が起こった。

 職人の一団に混ざり公家たちも逃げ込んで来てしまったのだ。

 すでに天皇下向は津々浦々に広まっているようで、 徳川に牛耳られる朝廷に見切りをつけ公家の一部が天皇の後を追ったのだ。

 

 追い返すわけにはいかないと宗瑞は、御所の周りに公家の屋敷まで造設した。

 不思議なもので中央の空き地に屋敷が建ち始めると、侍屋敷や大商人の店が出来始めた。

 小好きのバカは沢山いたのだ。

 江戸の町は小田原以上の活気を見せた。


 江戸御所が完成し天皇が御移りになると、恭順を拒んでいた北奥州の南部信直、津軽為信が、自ら小田原を訪れ臣下の列に加わった。

 新皇が次の天皇になると思ったようだ。

 

 天皇も知ってか知らずか、

「新皇将大に天皇を移譲してもよい」

 と、言いだしたものだから、人々は京の朝廷に対し江戸を東朝などと呼び始めている。

 南北朝時代ならぬ東西朝時代というわけだ。



「帝の還幸もかなわず、良仁、政仁両親王が即位を拒否したとなれば、朝廷の裁許なしで将軍職を譲渡するしかありませぬな」

 日は西に傾き室内は薄暗く火の気のない室内は寒い。

 本多信正は身震いした。

 寒さのせいではない。

 目の前に座す墨染の僧侶、南光坊天海のせいだった。


「秀忠を将軍に、ですか? 帝の認可もなく将軍職を譲渡すれば誹りは間逃れますまい」

 家康の声が怯えを含んでいるように聞こえた。

「関東に御所を構えた帝が、自ら捨て去った西国のことなど気にすまい」

 信正は天海の横顔を見つめた。

 年の頃は四十五、六であろうか、鼻梁の高い整った顔立ちで恰幅がよく弁も立つ。 

 将軍の内命を受ける大寺院の門跡。

 知らぬ者ならそう信じるだろう。

 ところが天海は門跡でもなければ僧侶でさえ怪しい、出自のわからないような男だった。

 

 主君家康はこの男が前触れもなく訪れると、自ら室に案内し近習、小姓を遠ざけ近づくことさえ禁じていた。

 室内に入れるのは呼ばれた重臣ただ一人。

 今回呼ばれたのは朝廷交渉役の正信だった。


「奥羽が新皇にひれ伏したのは帝あればこそ。このままでは徳川幕府を滅ぼしかねませぬぞ」

「ま、まさか。新皇は約定を守り西国事には関与しませぬ。そのようなことはあるとは思えぬのですが」

「幕府、朝廷の九州移転を打ち出せば、どう動くかわかりませぬ」

 天海の言葉に信正はびくりと身体を振るわせた。

 黒田征伐の論功行賞は、いまだ保留となっていた。

 九州の諸大名を紀州や山陰に移し、徳川家譜代大名を九州に転封する大掛かりな計画で手間取っているのだ。

 この容易なる作業も大宰府幕府設立のためなのだ。


「しかし、新皇と事を構えるのは‥‥」

「西国統治さえ危うくなりましょうぞ。今なすべきことはなにか。よくよく考えあれ」

「しかし‥‥」

 主君家康の歯切れは悪い。

 まるで怯えているようだ。


「秀吉の小田原攻め話は聞いておる。この世の物とは思えぬ強力な火器を使うとか。しかし、その後新皇がその武器を使ったという話は聞いたことがない。天下を獲れる武器をなぜ使わぬ。あるのかないのか、見極めるのが肝要だ」

 

 家康は蒼白な顔に小さな汗を浮かべ、時折天海を盗み見ている。

 二十も歳下の胡乱な僧侶姿の男に、慇懃に接する家康。

 どこかで見た覚えがある。 

 今川の人質だった頃。義元公が京に上る前。

 

 ありえぬ ──

 正信はまた身震いを感じた。

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