第21話 豊臣秀頼逐電
(東の地などいくらでも呉れてやるわ)
家康は手に入れた黒田領の視察に興じ、この地に幕府を開く事を決めた。
朝廷も京より日向のどかかに遷都し幕府管理のもと運営させる。
神代の時代日向から大和に移ったのだから、始祖地に戻るのに反対などさせる気もは毛頭ない。
慶長三年五月。
吉川広家を使い黒田長政と争いを起こさせた。
長政に騒乱の罪を着せるためだ。
案の定、長政は兵を挙げ幕府の裁定に逆らった。
九州の大名に触れを出し黒田攻撃を命じた。
長政と交わりがあり命令に従わない大名は取り潰せばいい。
徳川の家臣を使わない、実に旨味のある策だった。
こちらの下心を察知したのか、島津義久、立花宗茂、有馬晴信、鍋島直茂らは兵の犠牲も顧みず、黒田長政を攻めに攻めた。
秀忠が二万を率いて豊後高田に上陸した頃には、長政を自刃させていたのである。
わずかひと月で憎き黒田家を消滅させたのだ。
家康は、筑前から肥前、筑後と嬉々と視察を行った。
九州の湊は南蛮貿易で栄え潤っているようだ。
いくさで灰燼とかした唐津でさえ、半ば復旧は終え町の賑わいは大変なものである。
家康は九州の大名を全て東に転封させるつもりだった。
従わなければ改易か、黒田家同様攻め滅ぼせばいいのだ。
各地の大名に歓待を受けながら、家康は国割りを思案していた。
徳川の臣で九州だけ固まめるわけにはいかない。
新皇に備えるためには、近江辺りに旗頭として譜代の重臣を置き、大和、山城の大名らに新皇軍の侵攻を食い止める役割をさせたい。
そして、もうひとつ重大なことを考えていた。
豊臣秀頼ことだ。
(讃岐辺りに国替えさせるか。いや、いっそ‥‥)
九州を平定した今なら、取り潰すこともできる。
西に徳川に逆らう大名はいないのだ。
家康は馬上でにやついた。
ところが ──
日向に入った家康のもとに驚くべき知らせが届いた。
豊臣秀頼の逐電である。
見透かせるほど澄み切った空に、鱗雲がたなびき秋の終わりを告げていた。
一隻の商船が相模湾を進み沖合に停泊すると小早舟を降ろし穏やかな海を湊に向かって真っすぐに進んで来た。
番士たちは慌てた。
小田原の湊は規模も小さく、城への荷下ろし以外は接岸を禁じていたのだ。
船は二人の侍を湊に降ろすと引き返していった。
侍たちは飄々と城を仰ぎ見、北条相模守に会いたいと告げた。
番頭は二人の侍を訝しがったが、装い、物言いに只ならぬものを感じ、名を問いただした。
若い侍は暫く考え込むと豊臣伊賀守秀頼とポツリといった。
俄かに信じられない名ではあるが、番頭は慌て部下を城に走らせると自ら案内にたち、ゆっくりと城に向かった。
万一、本物であれば番小屋での対応は責を問われかねない。
そう考え城方に丸投げしたのだ。
「マサ仕度しろ!会見だ!」
本丸の執務室に駆け込んできた宗瑞は大声をあげた。
最近少なくなってきた仕事をチマチマとやっていた僕は、間延びした返事をし、立ちあがった。
「いや、待て。俺が新皇に扮するか? その方がいいだろうか?」
うろうろと落ち着きなく独り言を言い放つ。
「なにがあったの?」
これほど落ち着きのない宗端ははじめてだった。
「秀頼! 豊臣秀頼が来た。‥‥ 本物だ。いってえ、何しに来たんだ?」
「えっ! 東国不介入だよね」
冷静に考えれば、政権を家康に奪われた豊臣秀頼には小田原脅威となるほどの権威はない。
しかし、敵であった秀吉の子であり伊賀の国主についている大名が気軽に訪ねてくることなど有り得ない話しなのだ。
宗端は頭を捻ったが放っておくわけにもいかない。
今小田原城にいる僕と宗瑞と氏直で会見することにした。
ちなみに氏直はすでに四十三歳になっており、風格あるおっさんになっている。
対面は小田原城本丸の大広間で行われた。
秀頼は連れて来た側近を後ろに座らせ、自らは座布団の上にちょこりと座り辺りを見廻しながら待っていた。
宗瑞が上座で僕と氏直は秀頼主従の横に座った。
宗端が新皇役だった。
「豊臣伊賀守秀頼にて候。御引見を賜り恐悦至極に存じまする」
どこか弱弱しい幼さを残しているが、貴賓ある顔立ちである。
「新皇平将大である。して小田原には如何な用で参られた?」
「なんと⁉ 若い! いや、失礼仕った」
後ろに控えた近習が声をあげた。
武人としてはやや線の細い体形で、綺麗に整えられた口髭と顎髭を生やし大きく剃った月代に太い髷を乗せている。
近習は大声に恥じ入るように頭を下げた。
秀頼は後ろを振り向くと肯いた。
従者を咎めるのかと思いきやニコニコしているのだ。
「国を捨て参りました。何卒、小田原の片隅にでも置いて下されぬか?」
「家来を捨てて、新皇に庇護を求められまするか⁉ いや失礼。北条相模守氏直と申します」
氏直が声を荒げた。
「捨てました。家来とはいえ将軍家康公の手の者ばかり。それがしに従うものはおりませぬ。いずれ殺される身ならば憧れていた関東へ行ってみたいと思いまして」
従者も二、三度相槌を打ち、顎髭を撫で満足そうに笑っている。
「関東に憧れていた?」
宗瑞は面食らった。
確かに今の家康の勢いでは、豊臣家の滅却は決まったようなものだが、敵方の関東を憧れていたなどいう秀頼が信じられなかった。
「はい。幼子のころ命を拾ったのは、小田原の薬の御蔭と聞いております。また、亡母淀は、小田原攻めのおり石垣山城にいたそうで、それ以来関東に関心が強く様々な品物を購っておりました」
石垣山城。宗瑞が、無反動砲カール・グスタフで吹き飛ばした城だ。
「淀殿は、石垣山城に居られたのか。さぞ怖い思いをなさった事でしょう」
宗瑞さえ、やり過ぎたと反省したほどだった。
「いえいえ、母は内心喝采を送っていたようです。関白殿下の驕りを一瞬で吹き飛ばした見事な戦ぶりであったと、よく聞かされました」
眼を輝かせ頬を染め話す秀頼に、従者は、うむ。ほぉ。などと相槌を入れている。
秀頼はその都度、振り返り頷いては話を続けた。
「恥を申せば幼少のみぎり食した小田原の饅頭が忘れがたく、居ても立っても居られななかった次第」
「饅頭? ああ、あんパンのことですか。小田原には専門に商うものもおりますゆえ、好きなだけ購うことができますよ」
「あんぱんと言うのですか⁉ しかし‥‥」
秀頼は一瞬眼を輝かせ破顔したが、頭を垂れ、肩を震わせた。
「身一つで逃げて来たため贅沢は出来ませぬ。新皇様は奥州の棄民に仕事をあたえなさるとか、普請の下働きなら私にも出来ようかと思うのですが、何卒お骨折り頂けませぬか」
氏直は声をあげ驚いた。
金が無いので人足になろうと秀頼は言ったのである。
前の関白の秀頼が、である。
「金なら、一昨年加藤主計頭殿よりお預かりしております。それをお使いなされ」
宗端は清正より送られてきた金を秀頼にやろうと言わず返すといった。
「主計頭が何故、新皇様に? お恥ずかしい限りです。なんとお詫びたせばよいか」
家康との争いで新皇を味方につけるべく、清正が献金したことを悟った秀頼は顔を赤らめ頭を下げた。
「それは違うぞ。金が卑しきものなどというのは戯言じゃ。麿らは歌を押し売り糊口を凌いできたのじゃ。それもこれも金がないため。人足で稼ぐ金も主計頭が送った金も尊き金に替わりが無い。決して卑しきものなどではない」
後ろに控える従者の言葉に秀頼は深く肯いた。
僕と宗端は顔を見合わせ首を傾げた。
対面の時より秀頼の態度は主従のそれとは違っている。
一体この従者は何者なのか?
「そちらの従者の名を伺っておりませぬが」
宗瑞が秀頼に聞いた。
秀頼がまた後ろを振り返り従者と視線を合わせている。
従者は頷くと口を開いた。
「周仁じゃ。前の関白共々宜しく頼む」
「へっ⁉ 周仁‥‥サマ ‥‥ まさか! み、帝⁉」
宗端は眼を見開き、膝を浮かせた。
僕と氏直も同じだった。
正親町天皇の孫であり、のちの第一〇七代後陽成天皇、その人である。
「逃散じゃ。麿と秀頼は逃散したのじゃ」
甲高い笑い声が室内に響いた。
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