第19話 二十五年の歳月
「ふあーっ。極楽、極楽。」
燦燦と輝く太陽が露天風呂の水面を照らし、周りの樹木で鳴く小鳥の囀りと、樋をつたい流れ落ちる水音が、僕の心を癒した。
「今日は、何しようかな?」
日に三度炊き立ての白米に山海の幸。
フカフカの布団に原泉かけ流しの露天風呂。
静観上人が言った通り、何不自由ない生活を二十五年間続けていた。
「おめえさんの話を聞こうじゃないか。」
今でもはっきりと覚えている。
皇霊殿の神苑の間で、宗端が言った言葉だ。
「自己紹介をしてほしいということさ」
戸惑う僕に、右隣の先生が小声で教えてくれた。
「あ、はい、平野将大。昭和五十八年生まれの十七歳、高校二年生です」
「昭和⁉ 昭和なのか!」
少尉が驚きの声を上げ、先生と顔を見合わせていた。
今思えば、自分と同じ昭和生まれに感動したのだろう。
「ヒラノ、マサヒロ‥‥ どう書く」
執拗に僕の名前を確認したのは、宗瑞の策略にぴったりだったからだろう。
のちに歴史を変える運命を感じたと漏らしたのだ。
「あの、皆さんもタイムスリップしてきたのですか? あの‥‥ サ、サッパリわからないんですが」
少尉が昭和を知っていたのだから、 みんな同じにタイムスリップして来たのだと思ったが、わからなかったのは宗端と蔵であった。
北条の殿様がかしづく様子を見たからだ。
「俺らもそのタイムなんとかだ。四百二十年先から来たのよ」
「ええっ⁉ じゃあ、皆さんも平成からなんですか?」
僕は驚き声を上げた。さぞや間抜けな声だっろう。
「ヘイセイ? いや、俺は文政だ。んー何と言うのだ‥‥ 先生。説明してくれ」
先生はやれやれと手を広げ僕をみた。
「マサ君の言うタイムスリップが、時間遡行という意味ならその通りです。僕らはみな四百二十年の時間を遡っている」
あの時僕は化学の先生みたいだと思っていたのだから呑気なものだ。
「僕らは平成から来た訳じゃない。少尉は昭和十五年から。お嬢と僕は明治十三年。宗瑞さんは文政三年。蔵さんは元禄十三年、姫は、えーと、秘密でしたね」
姫が、うふふっと笑った。
蔵と一緒なのだから秘密もないだろうが、妙齢な女性に二百六十歳の年齢は酷なのだろう。
今も姫に対し年齢はタブーである。
「だから、僕はマサ君より百二十年も前にこちらに来ているし、蔵さんは二百四十年も前に来ているのです。まあ、簡単に言えば蔵さんは江戸時代からか鎌倉時代に飛ばされたということになる。解りますか?」
解るわけがなかった。
「二百四十歳って。どう見ても二十二、三でしょ。皆さん若いし、おかしいじゃないですか」
明治からタイムスリップしたというお嬢は、どう見ても十五、六なのだ。
「うん。いい質問だ。時間遡行をしてきた者は、四百二十年間は齢を取らないんです。来た時のままの姿なのです。」
得意気に言った先生の顔を今でも覚えている。
「じゃあ、齢も取らなけりゃ、死なないってことですか?」
「いや、死ぬよ。残念だけど。普通に死にます。」
悲しそうに眼を細めた宗瑞が、僕に言った。
「何ら常人と変わらねえ。切られりゃ痛えし悪くしりゃ死んじまう。ただ四百二十年間、来た時の姿のまま齢も取らねえだけだ。元の世まで生きながられれば、一歳づつ齢を重ね老いていくって寸法さ」
のちに宗端と共に飛ばされた人や行方不明者が何人もいることを知った。
ほとんどが女性で自害してしまったのだ。
「ちょっ、何でそんなことが解るんですか? おかしいでしょ?」
「不確かなこともあるのですが、まず間違いない。静観上人がそうなのです。永正十七年から平安時代に飛ばされたんです。今が天正八年だから永正十七年は六十年前になります。静観上人は四百二十年後の元の世に戻った時から加齢を重ねました。止まってた時計が動き出したようにね」
宗瑞が僕に運命を感じたのも静観上人のもとに現れたということもあるのだろう。
「そうすると元の時代四百二十年経てば齢を取るということですよね? でもそうなったら、元の時代の僕が存在することになりますよね?」
「いないんですよ。」
「誰が?」
「先祖が、です。静観上人も蔵さんも姫も家系は連綿と続く名家で、四百二十年前、先祖がどこにいて、何をしていたかを知っているのです。ところが探しても先祖の影も形もない。一族さえいなのです。先祖がいなければ産まれようがありません」
正直、僕の頭はパンクしそうだった。
「おい、俺だって自分の先祖ぐれえ知ってるぜ。不浄役人とはいえ、武士の端くれだ。蔵殿と比べられたら身も蓋もねえがよ」
「では、ご先祖はいらっしゃいましたか?」
「先祖どころか、住んでた村さえ無かったよ。一体どうなってるんだかなぁ」
宗端さんは腕組みをしたまま首を捻っていた。
「元の時代に帰れるってことはありませんか? だって、ほら、みんな来た時のままの姿だし、帰っても違和感ないですよね?」
二十五年経った今も目覚めたら合宿所のベットの中なのではないかと思う時がある。
姿は十七歳のままなのだから、戻れれば何の支障もきたさないだろう。
「その可能性は無いとは言い切れませんが、知る限りでは誰もいません。我々と出会っていない中に帰れた者がいた可能性を否定しませんが、おそらく死んでしまったと考えた方が妥当でしょう。なにせ人の命などなんとも思わない時代ですからね」
僕は帰れるものと思っていたのだ。
ただ旅行にきて物珍しい体験をしているぐらいにしか思っていなかった。
自分ながらおめでたい性格だと思う。
「僕と同じように平成からタイムスリップした人が沢山いるかもしれないし、中には帰った人もいたんじゃないかなぁ」
「大勢は来ていません。時間遡行をするのは男女二人のみです」
「なんで解るんですか?」
僕のわずかな望みを打ち消したのは宗端であった。
「ほかにいねえからよ。いいか、齢を取らねえていうのは、世間じゃバケモノ扱いだ。十年二十年は誤魔化しようもあるが、どう足掻いてもそれ以上は無理だ。自分の居場所を見つけるために放浪するしかねえわな。かと言って、どこの馬の骨ともわからねえ奴が暮らせる場所などありゃしねえ。あったとしても二十年もすりゃあまた、逃げ出し放浪だ。必然、行き着く先は神社仏閣だ。世を儚んで出家する奴は多いし、身の上など詮索したりしねえ。身を隠すのにはうってつけだ。それでも世間の目は欺けねえ。どこどこの寺の坊主は齢を取らねえだの、あの禰宜は五十を過ぎても若い時の姿のままだ。そういう噂がたっちまうんだ。現に、俺と蔵殿が出会ったのも京都の寺だ。姫なんぞは八百比丘尼なんて呼ばれてたぞ。人魚を食って齢を取らねえてことになっていたし、お嬢は。生き神様と祭りあげられていた。絶対仲間に違いねえて思ったもんだ」
十七歳の姿のまま二十五年。
宗端に保護されなかったら思うと背筋が凍る。
「七生報国。還暦まで四百二十年間国のために尽くせということだ」
あのときは少尉が言い出した意味が解らなかった。
「またそれですか。零歳になる還暦が六十年でも七回生まれ変わって国のために尽すという考えは、違うと思いますがね」
先生が顔を顰めたところをみると、こじ付けなのだろう。
「でも、嫁荷はどう解釈するんだ? 戦えってことだろう」
よめに ── 男女一人づつをつがいと見立てた時の婚礼道具の意味だ。
これこそが、宗瑞に歴史を変えさせた最なる原因だろう。
僕の名前など背中を押したに過ぎない。
「あっ、今日は少尉と恕安が武器庫で検査か。行ってみるか」
僕は湯から出ると急いで着替えた。
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