第17話 家康の魔手
「富山城の仕込みはいかが致した」
「滞りなく終えておりまする」
詰め寄った本多正信は小声で答えた。
「して、彼の者らは?」
大阪城二の丸の居室の家康は薬研車をせわしく動かした。
「身ひとつの者ばかりを選んでおりますれば、心配は御無用かと」
家康は薬研に指を入れ舐めると顔を顰めた。
「名を与え加増し家臣らに召し抱えさせよ。図書には今しばらく我慢してもらう。いずれ大名に取り立てて遣わす」
「ははっ!」
正信は深々と頭を垂れ家康の顔を盗み見た。
律義者と言われる由縁なのか家臣には過分すぎるほどの温情をかけている。
卑劣な手段を用い形振り構わず敵を貶める家康は家臣には信じことなど出来ない裏の顔だ。
変わらぬ主人の福々しい顔がそこにある。
何時からこの様に冷酷になったのか、あの男のせいだろう。
正信は頭を上げ部屋を出た。
武門の面目をかなぐり捨て、政権奪取を目論む主人を正信は止めることが出来なかった。
十日後、正信の仕込みは驚愕の事態となって、人々の目に晒される。
富山城に囚われていた使節の一員が発見されたのである。
城を落とした浅野長政の報に大阪は大騒ぎになった。
秀次ら豊臣一門は前田利長の使節襲撃に疑念を持っていたのだが、富山城の地下牢に伊那図書頭の従者二人が捕らえられていたのでは、庇い立てなど出来なかった。
戸惑う豊臣一門衆に対し家康の動きは早かった。
家康の四男松平忠吉を大将に信濃の石川康長、日野頼忠、保科正光ら四万が加賀に向け侵攻を開始した。
家康は老中らに前田討伐を宣言、秀次の許可を待たず大阪を離れると三河で挙兵、五万の兵を引き連れ、若狭に侵攻した。
秀次は、加藤清正、福島正則らに若狭侵攻を命じるが、正則の出陣は遅々として進まず、家康の出陣より半月程遅れた。
清正は正則より五日ほど早く大阪を出撃したのだが、伊予より呼び寄せた兵の疲労が激しく、迅速な進軍がかなわなかった。
進軍に四日要した清正は若狭に着いて唖然とした。
既に徳川に占領されていたのである。
敦賀城主前田利政は抵抗虚しく、城に火をかけ自刃。
徳川軍はわずかな兵を残し越前に攻め入っていた。
若狭陥落の報せは届いていない。
清正は正則の到着を待ち敦賀に留まった。
この待機を清正は終生悔やむことになる。
徳川軍は既に越前を制圧し、浅野軍と共に加賀を攻めていたのだ。
金沢の前田利長は城を捨て能登に逃げた。
戦さは徳川、浅野軍の勝利である。
しかし、家康は攻撃の手を緩めない。
忠吉に命じ七尾城に籠る前田利長を攻めさせた。
忠吉軍四万は遮二無二七尾城を攻めた。
負けを悟った前田の兵は一人二人と逃亡し、城には五百程度の兵が残ったのみである。
攻防五日、利長は七尾城で腹を切り果てた。
利長の首は殉死した家臣とともに金沢の家康のもとに届けられている。
利長の首実検の最中、清正、正則が金沢に到着した。
家康は三方に乗せた利長の首を広間の中央に据え、二人を迎え入れた。
「いささか遅うございましたな。前田大納言殿、一足先に旅立たれましたぞ」
ほくそ笑む家康に二人は言葉を失った。
前田征伐の論功行賞は、秀頼の名により越中を浅野長政が、能登、加賀、越前を家康の家臣が拝領することになった。
若狭のみが豊臣一門に割り当てられた形だ。
行方不明になった問罪使一行は、その後誰も発見されず、殺されたのだろうと人々は噂した。
「どういうことだ⁉ その様なことがあってたまるか‼」
福島正則は、杯を落とすと加藤清正を睨め付けた。
大阪城下加藤清正の屋敷である。
初夏を迎え汗ばむ陽気であるのに、障子は締められ、西日が赤く室内を照らしている。
互いの近習を遠ざけ、二人は膝を詰め、杯を交わしていた。
巨体を屈め、酒を煽る清正は更に身を屈め正則の視線を受け止めた。
「確かな話だ。伊奈図書は生きておる。内府に謀られたのだ」
朝廷を動かし内大臣に叙任した家康は内府と呼ばれるようになっていた。
「では、正使の前田但馬らも生きているのか?」
正則の問いに清正は小さく首を振った。
「生きてはおるまい。生きているのは内府の家来ばかりよ。そもそも殺された副使の原隼人正は浅野弾正殿の家来とはいえ、亡き太閤殿下の意を汲んだ付目付。死んだところで弾正殿には丁度良い厄介払いだ。もしや、その為に選んだのかも知れぬ」
正則は言葉を失った。
浅野長政は北の政所とは義兄弟の豊臣一門衆である。
一時秀吉から家康との癒着を疑われ中枢から外されていたが、尾張や越後などの家康の隣国を治め、押さえとして重要な地位にある。
長政が家康に諂う態度は、大大名である家康を懐柔するための方策と思っていた。
真っ先に前田領に攻込んだのも家臣を殺された武門の意地ではなかったのか。
「豊臣家に仇なす者など生かしてはおけぬ」
正則は呻いた。豊臣政権を脅かすのなら長政だろうが家康だろうが排除するのみだ。
「わしもそうするつもりだ。しかし市松、内府は些か厄介だぞ。今や十一カ国の大大名。豊臣家の総力を挙げても勝てるかどうか‥‥」
中国の豊臣一門の兵力を結集しても家康の戦力には敵わない。
ましてや浅野長政など家康に誼を通じる大名や姻戚となった大名も余多いるのだ。
秀吉さえ手を焼いた家康に清正は二の足を踏んでいる。
「やらずば、豊臣政権は潰されるぞ。虎、やるしかあるまい」
正則は真っ赤になり清正を睨んだ。
「内府とぶつかれば新皇が黙っていまい。北条と徳川は姻戚、新皇軍まで敵に回せば万に一つも勝ち目はない」
正則の顔から血の気が引いた。
小田原攻めの恐怖がありありと脳裏に浮かんだ。
清正は九州にいたため小田原攻めには参加していない。
戦場で生まれて初めて味わった生への絶望。
どう逃げたのかさえ記憶にない。
亡き太閤殿下でさえ恐れ、東国支配を諦め新皇に媚び諂っていたのだ。
── 諂ってらっていた⁉
「そうか! 伝手はあるぞ。虎!」
正則は突然叫んだ。
「伝手?」
清正は怪訝な顔で聞き返した。
「亡き太閤殿下は、新皇に金を送っていたのだ。石見の銀は関東で消えた。そうおっしゃった事がある。財政の任に着いていた片桐助佐なら伝手があるはずだ」
清正は唖然となった。
秀吉ほどの男がそこまで新皇を恐れていたのだ。
だが、秀吉の先見の明に改めて頭が下がる思いがした。
「ならば片桐殿を通し新皇と誼を結ぶのが肝要。内府の味方にならぬだけでよい」
「虎!やる気になったか」
正則は気色張り全身に殺気を漲られる。
清正は小さく肯いた。
「ああ、やる。家康と同じような穢き手段でな。この世より葬り去ってやる」
清正の眼が怪しく光った。
穢き手段? ──
正則は清正の意図が解らなかった。
秋より起こる大名らの訃報に触れるまでは。
浅野長政の死を皮切りに、徳川方では細川忠興、家康次男秀康、四男忠吉、五男信吉が不幸な事故や疾病で死亡した。
しかし、豊臣一門にも不幸が相次いだ。
安芸国主木下家定、長門国主豊臣秀勝、極めつけは大老豊臣秀次の死だ。
朝、寝床の中で冷たくなっていたという。
清正がいう穢き手は暗殺だったのだ。
これに家康も気付き報復を繰り返した。
暗殺合戦の終焉は家康が寝たきりになる事態に陥り幕を閉じた。
表向きは腰の腫瘍の悪化だと主張しているが、高齢の家康が復帰できるとは誰も思っていない。
暗殺合戦は清正の勝利であったが、豊臣政権は秀次ら支柱を失う痛手を伴った。
豊臣政権の立て直しは、清正を中心に行われた。
豊臣一門の領地は子息に相続を許可したのに対し浅野長政の遺領二カ国は越後を嫡男幸長の相続を認めるものの越中は召し上げとなった。
細川家も忠利の相続は丹後一国のみとなり丹波は召し上げとなる。
秀康の領地は養父安国寺恵瓊に戻され、安国寺寺領一万石の安堵に留まった。
召し上げた領地は豊臣家の直轄地とし、閣僚の補充は行わず清正が大老代行となった。
ただ、家康の処分だけは、重篤とはいえ死んではいないため、老中職の罷免に留まっている。
徳川の領地を削り取りたい清正であるが、今だ、関東に君臨する新皇より明確な西国不介入の言質はない。
家康の死を待ち、嫡男秀忠の相続に乗じ徳川の殲滅を計る以外に手がなくなったのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます