第16話 秀吉死す

 浅草から城に向かう街道沿いには数多の店が並び行きかう人々で賑やかだ。

 街道に沿い流れる墨田川の両岸には蔵が連なり関東各地から産物が運び込まれる。

 商人達はそれらの産物を河口に停泊する大型の商船に積み替え日本各地に卸すのだ。

 

 湾内南の浜には異国専用の湊が設けられ南蛮船が何隻も停泊している。

 南蛮の嗜好品の多くは小田原で売られるのだが、浅草の商家でも買い付けるようになったのは、この地の商人たちが裕福になった証拠だった。


 宗瑞は、山を削り入り江を埋め立て、河川を整備し堀を造り東西南北に道路を廻らせ、上水を引き込んで江戸の街を造った。

 宗瑞や蔵は昔を懐かしみ江戸の街を再現したかったのだろうが、造り始めて、はたっと気付いた。

 江戸といえば広大な敷地をもつ将軍の居城で、町の中央に聳え立ち幾重にも堀で囲まれた要塞江戸城だ。

 当然そっくりな城を造るつもりであった。

 だが、武蔵は国府で長官が行政を取り行っているし、川越城には新皇直属の軍隊がいる。

 城を建てても入る者がいないのだ。

 小田原を引き払うことも考えたが、西の情勢を考えれば時期尚早、築城は取り止めとなった。


 おかげで江戸の中心地は、石垣や堀に囲まれた予定地が草が生い茂り野原となっている。


(どうすんの?これ)

 武家屋敷建築予定地に馬を進め、広大な敷地を目にして僕は思った。

 真っすぐな道路は遥か先の江戸城予定地まで続いていた。


 横に馬を並べる宗瑞は、僕の無言の声を聴いたかのように顔を顰めた。

「商人どもに売っ払うか。マサ、城を建てやる。ここに住め。海が見えていいぞ。新皇様が住み着けば、小好きな馬鹿の一人や二人は引っ越して来るかもしれねえ。どうだ?」

「小好きな馬鹿って‥‥ 嫌ですよ。自分が住んだらいいじゃないですか」

 浅草、神田、目黒などは、商人や職人が移り住み、それなりに繁栄しているのだが、宗瑞、蔵が懐かしむ江戸の町並みは、いまだ完成には至っていない。


 江戸の活用を考える僕らに新たな問題が持ち上がった。

 豊臣秀吉の死である。



 慶長五年(1600年)、八月一八日、秀吉が死去したのである。

 史実より二年遅い死である。前田利家は史実通り二年前に亡くなっていた。

 

 五月より病で伏せる事の多くなった秀吉は豊臣体制の改革を行った。

 甥秀次を大老の職に就け政治の決定権を持たせた。

 老中筆頭に徳川家康を昇進させ、中老筆頭に浅野長政を復職させた。

 亡くなった前田利家に変わり片桐勝元を中老に任命した。

 死期を悟った秀吉の苦肉の策だった。

 家康は北条氏直の舅であり領地を接して不可侵を結んでいる。

 家康ならば、万一新皇軍が攻めてきても食い止めることが出来ると考えたのだろう。


 八月一八日、秀吉が薨去すると家康は大阪城西の丸に入り、老中の五人の合議の場に、中老を出席させ決議権を与え混乱する国政に閣僚が一丸となり対処すると申し立てた。

 大老の秀次も中老の参政に好意を持って迎い入れた。

 一門と豊臣恩顧の大名なら、十一歳の幼年関白を補佐し強固たる豊臣政権を継続できると思ったのだ。

 老中筆頭の家康も、くせの強い大名らをよくまとめ滞りなく体制を保持していった。

 必然秀次は、家康を頼り会議の場でも家康の意見に従うことが多くなっていく。


 加藤清正、福島正則の二人は、家康が豊臣政権で重視されることに内心は面白くなかったのだが、秀頼のため要らざる波風は立てなかった。

 豊臣政権の重鎮として家康の統率力を重視していた。

 

 しかし、一年を経過する頃には家康の専横が目立ち始めた。

 秀吉は大名同士の結婚を禁止していたのだが、家康はそれを無視し、孫娘や家臣の娘を大名に嫁がせ姻戚を結んでいた。

 池田輝元、蜂須賀義鎮、吉川広家ら有力大名との縁組は家康の次男で秀吉の人質となり、安国寺恵瓊の養子となった秀康が暗躍した。

 また、浅野長政も中老である細川忠興との縁組を取りつけ姻戚となった。


 清正、正則は憤慨し家康に詰め寄るも、自らも秀次、宇喜多秀家らに孫娘を嫁がせているため家康の糾弾は失敗に終わった。

 豊臣一門の結束を図るための姻戚であったのが、老中筆頭の家康に政権運営のためと言われれば引き下がるほかなかった。

 口を閉ざした清正、正則らに対し家康は憚ることなく己の家臣と大名子息の婚姻を進め、遂には公家の九条兼孝、鷹司信尚から嫁を貰い姻戚を結んでいった。


 慶長七年(1602年)十二月、若狭より大阪に上った武将は家康に拝謁を求めた。

 男の名は波前助右衛門といい、敦賀城主前田利政の家臣である。

 前田家に謀反の兆し有り。

 助左衛門は北陸の太守前田利長の謀反を訴えた。


 前田家は利家の死後、嫡男利長が加賀、能登、若狭、越中、越前を相続し百五十万石を有している。

 次男利政は若狭を任され敦賀城を居城としていた。

 亡き前田利家の豊臣政権の貢献は絶大で秀次ら豊臣一門は利長の老中職の相続を願ったが、利長本人の希望により継承はかなわなかった。

 あまり身体が丈夫ではない利長が職務の重要性を考え自ら身を引いたのだった。

 秀次は利長に病遅漏のため五年間の出仕免除を与えたのも、これまでの前田家の貢献を賞したもので、出仕できる状態になれば、すぐにでも老中に就任させるつもりであった。

 秀次ら閣僚十人の前に波前助右ヱ門を証人として出席させた家康は、図面に支城や砦を描かせ謀反を言い立てた。


 秀次、清正、正則ら一門衆は、前田利長の謀反など信じられなかった。

 助右衛門に詰め寄り脅すような口調で問いただしても一向に埒が明かない。

 浅野長政、細川忠興の二人は前田討伐を主張し一門衆と対立した。


 殺伐とした会議の中で宇喜多秀家、黒田長政より金沢に問罪使を送り真偽を確かめるべきだと提案があった。

 いずれにしても前田利長の言い分を聞かぬ内には決められない問題である。

 老中三人の家臣が問罪使に選ばれた。


 秀次の家臣前田但馬守長康が正使、副使に浅野長政の家臣原隼人正利実、家康の家臣伊那図書頭昭綱となった。

 問罪使一行は使者を含め五十人。

 前田利長、利政の領地を貫く北陸街道を避け、美濃路から飛騨街道で金沢に向かった。

 問罪使の一向は飛騨を抜け加賀に入ったが、波前が申し立てたような謀反の兆しは見受けられない。

 確かに砦や城は補強修繕されてはいるが、これはどこの大名でも多かれ少なかれ行っていることで取り分け騒ぎ立てる事ではない。

 使節たちは首を捻った。

 金沢城の会見でも正、副使を上座に座らせ、前田利長、利政は平伏し身の潔白を申し立てた。


「故太閤殿下の御恩を蒙りながら関白様に弓を引くなどあろうはずがありませぬ。五年の出仕免除を賜れど、上阪し潔白を晴らしたく存ずる」

 利長の答弁に使者は謀反の無いことを確認し安堵した。


 二日後、盛大な歓待を受けた問罪使一行は帰路についた。

 その一行が突然行方不明になった。


 帰路、白川で宿を取った一行は次の宿泊地高山に先触れ役を出した。

 先触れ役は馬と飛ばし五十人の宿割りを終え一行を待ったのだが日が暮れても現れなかった。

 翌朝、先触れ役は白川にむけ馬を駆った。越中西街道は険しい山道で一行に何かあったのかも知れない。

 辺りを注意深く伺いながら馬を進めたが昼過ぎ白川についてしまった。慌てて宿に駆け込み使節団の動向を聞いた。

 一行は予定通り宿を出ていた。

 先触れ役は元来た道を引っ返した。高山に着くと宿場は大騒ぎになっていた。

 飛騨高山城主金森可重が山狩りを申し出た。

 自領地で使節団が行方不明になるなどあってはならないことであった。


 可重は近隣の村人、猟師二千人を動員し山中を探索させたが、ようとして使節の行方はわからなかった。

 大阪城も大騒ぎとなった。

 公儀使者団の失踪など前代未聞のことだった。

 

 秀次は先触れ役を呼び戻し、前田利長との会見を確認した。

「大納言様との会見は終始和やかに行われ、潔白の証として上阪を誓いました」

 端役の者ではあるが、漏れ聞いた話を具申した。


 秀次は閣僚らの対応に追われた。副使を出した家康、長政は前田利長の陰謀を疑い、出兵も辞さない構えである。

 しかし、潔白を主張する利長に対し何の証拠もなく兵を差し向けるわけにはいかない。

 清正ら豊臣一門は利長を庇い出兵を主張する家康と対立した。

 対立する閣僚に驚くべき報せが届いた。

 飛騨と越中の国境ので副使原利実が発見されたのである。

 山中の漁師小屋で発見された原は、傷つき既にこと切れていたのだが、従者が一人、衰弱は激しいものの生存していた。


 従者は前田の兵に襲撃を受けたと訴えた。

 一行は襲撃の際、散り散りなり原隼人正は山中に逃げ込み追っ手を巻いたが、道に迷い偶然見つけた猟師小屋に退避したのだが、戦闘で受けた傷が災いし死んでしまった。

 従者五人は道を探りに四人が順繰りに小屋を出たのだが誰も戻らなかったのだという。


 金森可重の家臣たちは、小屋を中心に辺りを捜索すると四人の死体を発見した。

 集団による斬殺、それ以外考えられない無残な骸だった。


 徳川家康、浅野長政の怒りは秀次とて留め立て出来ないほどのものであった。

 長政は越後に戻ると兵を集め越中に出撃した。

 勝手な行動に清正らからあがる非難の声は家康が抑え込んだ。

 浅野軍の侵攻に前田利長がどう出るか、これを見ようというのである。


 浅野軍二万は越中に侵攻し城を落としていった。

 金沢の利長は出兵を躊躇し援軍を送らなかった。

 使者襲撃など全く身に覚えのないことで、浅野軍を迎え撃てば只では済まないと考えていた。

 火のように進撃する浅野軍は富山城を囲んだ。

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