第15話 東西二分

 皇霊殿の広間には春の淡い光が障子窓を通し射し込んでいた。

「約定通り、甲斐、上野には一兵も踏み込みませんでしたな」

 徳川の進軍にあわせ、蔵と少尉は兵を率い甲斐と上野に詰めていた。

北信濃の海津城攻撃は、家康より事前に報せは来ていたが、万一に備えてのものだった。


「みやげだ。麦落雁でも食ってくれ」

上野沼田城から帰ってきた少尉が菓子器に盛った麦落雁をテーブルに押し出す。

「へー。群馬の名物って麦落雁でしたっけ?」

 ひとつつまんで口に放り込む。素朴な甘みが口の中に広がった。

 姫やお嬢の受けもいい。


「大麦、小麦の作付けも軌道に乗りました。あと養蚕に着手する予定です」

 先生が眼を細め、満足そうに呟く。

「金になりゃ何でもいいが、珍しいもんじゃねえよな」

 身も蓋もないことを宗端が言い出し、落雁をガリガリと齧りながら考え込んでいた。


「その小麦で珍しいものこさえられねえか? 秀吉が驚くようなものをよぉ」

「また、献金されたのか?」

 驚く蔵に宗瑞はコクリと頷く。

「金三百枚。毛利攻めのお礼だとよ」

「おおっー」

 全員が驚嘆の声を上げた。金三百枚は六千両である。

 かなりの大金だ。

 

 銭、金は卑しいもの。

 この時代の武士の多くがそう思っている。

 いくさの賠償金を請求した僕たちは、武士にあるまじきものと軽蔑されている。

 ところが、秀吉は違う。

 そこに眼を付けたのだ。


 信長が謙信を恐れ南蛮の珍品や高価な屏風を送り機嫌を取りつけたように、秀吉は何かにつけ莫大な金を送ってくるのだ。

 関白という地位が新皇より格下になろうと金を送り謙った外交をしてくる。

 これが、秀吉の恐ろしさなのだが、僕らには有難い金だった。


 戦乱と化した奥州から三十万を超える棄民が関東に流れ込んできたのだ。

 多くは農民で食うのもままならず、村を捨て庇護を求めた。


 宗端は奥州の棄民を保護し、江戸造成や利根川の河川工事の人足として使役した。

 もちろん、賃金はきっちりと支払う。

 棄民の自活を促すためだ。


 領主に搾取される村より、よっぽどましな生活を得られると棄民の流入は留まることをしらず、今では八十万人を超えている。

 そのおかげで利根川添いは一大穀倉地帯となり米の収穫量は莫大なものになった。


 秀吉のご機嫌伺いの献金が結果的に棄民を助け、北条を富することになった。

 今回の献金も毛利輝元より助けを求める書状を全て無視した礼なのだが、いつものごとく返礼品を宗瑞は送ろうとしている。

 献金の返礼品は先生が創り出したものである。

 まだこの世界にない珍品を送っていた。


 日本の東西をそれぞれ支配し敵対する関係なのだが、宗瑞は秀吉に珍品を送り悦にいっている。

「そんなに小麦があるなら、パンでも送れば。アンパンでもさ」

 返礼品が秀吉の征服意識の歯止めになるのは知っている。


 僕は本当に適当に言った。

「おおっ、アンパンか⁉」

「酒の酵母を使えば作れますね。やってみますか」

「あんこたっぷりのアンパンか。暫く食っていないな」

「ブレット。いいですね」

 意外にも少尉、先生、恕安は僕の案に喰いついて来た。


「あんパン? なんだそれは」

 宗瑞、蔵、姫が呆気にとられた。

 パンを知らないのだ。


「よく解らねえが、饅頭みたいなものか? よし。それでいこう」

 宗瑞は返礼品をアンパンに決めた。

 まあ、珍品には間違いはない。


 小田原合戦より五年が経ち元号は文禄から慶長に改められた。

 毛利を滅亡させた秀吉は天下統一をあきらめようで、西国統治に力を注ぎ大名の領地替により体制の強化をはかった。

 上杉景勝は越後を召し上げられ出羽二郡に減封され尾張の浅野長政が越後に入封した。

 尾張には豊臣秀次が大和より国替えとなり、大和は秀吉の一粒種、秀頼の直轄地となった。


 秀吉は大老職を廃し、一門衆だけの新たな体制を構築した。

 豊臣秀次、木下勝俊、加藤清正、福島正則、羽柴秀勝を豊臣政権の中心にすえ合議による運営を任せた。

 老中職である。


 この老中を補佐するため前田利家、細川忠興、黒田長政、宇喜多秀家、徳川家康が選ばれた。

 中老職である。

 いずれも大身の大名ではあるが老中より地位は低く決議権は与えられていない。わが子秀頼のためだけに考え出された体制だった。


 そもそもこの秀頼は、歴史上の第二子、捨と名付けられた秀頼ではない。

 病の淵より小田原の薬で蘇った鶴松だ。

 第二子は生まれていないのだ。


 そのせいなのか、本来なら捨の誕生により、関白職を継承した秀次との葛藤を生み出し、実の甥を処断したのであるが、小田原の敗戦以来一族の仲はよく、また秀吉も務めて一族を重職に置いているため家臣同士の争いはおこっていない。

 それに大陸侵攻も考えてもいないようだ。


 関東に強大な新皇国がある以上、他国への侵攻や内部の争いは起こりにくい状態なのだろう。

 この微妙な平穏は関東を大きく発展させた。

 港湾、河川、道路の整備に多くの人足を使えた。

 

 僕らは、知る限りの知識を駆使して大胆な行政改革を行った。

 新皇を中心とする集権体制だ。


 新皇の下に北条氏直を長とする一門衆や重臣で、国の決定機関を創設。

 各国の国府に長官を配備し郡ごとに、郡代を置き役所機構をつくった。

 法の整備、道路網の整備、統一貨幣の鋳造、教育医療施設の設置、農漁村の改革、産業の振興、税の統一、旧北条領で行われて来た行政を領地全てに押し広げたもだが、極めつけは新皇軍の創設だった。


 各領主の家臣十万人を新皇直属の兵士として徴収し、領地十八ヵ所に配置したのである。


 軍の構成は新皇を頂点に領主や重臣が隊長として統括し幹部に家臣を置くもので今までと変わらないものではあるが、多くの侍たちは戸惑った。

 領地の概念がないのだ。

 領地からの年貢で暮らす武士は戦で手柄を立て恩賞すなわち土地を得て繁栄していくものであり、この概念は上も下もかわらない。

 戦とて相手の土地を奪うためのものなのだ。


 しかし、新皇軍は役に応じた給金制で恩賞も銭払いであった。

 多くの侍が不満を持ったが、二年と経たず鎮静した。

 やってみると意外と楽だったようだ。


 領地の経営は、税の徴収に始まり徴兵、治安と尽きることがない。

 民を支配し領主となっても戦に敗れれば全てが無に帰す不安定なものだ。

 新体制はそれが無い。

 税や法は国府が行うし、民の教育医療は郡代が行う。


 新皇軍の兵士は戦のみに備えれば食うには困らず、手柄を立てれば出世でき、軍を離れれば地位に応じて隠居料も下賜されるので後継の心配がない。

 万一戦で死んでも遺族に慰金や年金が下賜されるという好待遇だったのだ。


 いくさがなくなり平和な世となれば、生産性のない侍など何の役にも立たない。

 必要なのは事務官と法の番人ぐらいのものだ。

 特権階級である武士が貧窮を極めた徳川時代を身をもって知っている宗瑞や蔵は新たな武士像を模索している。


 似て非なる世界 ──

 先生が推測した通り、この世界は僕たちのいた世界とは別な世界になったのだろう。

 

 僕たちは後世名を残す大名たちを殺し、死ぬはずだった者達を生かした。

 本来なら慶長三年に死ぬはずの秀吉だが、その気配は全くない。

 西国経営に専念した秀吉は、得意の人心掌握術を発揮し花見や茶会の催事を盛大に行ない市井の評判を得ている。

 日本を東西に分割し、互いに干渉せず統治する体制は、わずかな間だだが、市井に平和をもたらしていたのだ。


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