第13話 秀吉の屈辱



「このような鉄砲なら予とて知っている。紙薬莢などただの早合ではないか」

 秀吉はマスケット銃を放り投げた。

「南蛮の商人達もこれ以上の銃は知らぬと申しております。太閤殿下のご命令とはいえ、わたしにはこの御役目務まりませぬ。誰ぞ、他の者に‥‥ なにとぞ‥‥」

 放り出された銃を大事そうに抱え、真田信繁は絞り出すようにいった。

 涙を浮かべている。


「源次郎。泣かんでもよい。お前はよくやっている。鉢形城で北条と戦ったお前ならと命じたのじゃ。いかい苦労をかけた。鉄砲探しはもうよい」

 退出する信繁を見送ると深い溜息をついた。


 三成の変わりは無理か ──

 小田原敗戦から二年が経った。

 多くの家臣を失った秀吉は、配下の大名の領地替えをおこない体制の維持を図っいた。

 信州の真田兄弟を近江に国替えとしたのも大半はそのためである。

 信繁に近江水口六万石をあたえ豊臣家の奉行として取り立てたのだ


「やはり、あれは小田原だけの武器。そうなりましょうか?」

 豊臣秀次がにじり寄りいった。

 妙にはしゃいでいるように見える。

 前田利家、黒田官兵衛、細川忠興が左右に座し聞き入っていた。

 豊臣政権の五大老たちだ。

 いずれも複数の国を領し八十万石を超える大名で、秀次は大老筆頭の重責を担っていた。


「秀次、お前も小田原贔屓か?」

 秀吉は苦々しく思った。

 昨今、京大坂では小田原の品々が人気を博している。

 唐南蛮にも無い様な品々が小田原ものとして軒先を賑わしているのだ。

 南蛮人でさえ大金をはたいて小田原ものを購っていくのだという。

 秀次が小田原に傾倒するのは秀吉にも関わる出来事があったためだ。

 

 小田原敗戦の次年弟秀長を病で失い悲しみに暮れる中、さらなる不幸が秀吉を襲った。

 一子鶴松が病に倒れたのだ。

 秀吉は京、大阪の医師を集め治療にあたらせ、寺という寺に加持祈祷をさせたが容体は悪化の一途を辿った。

 秀吉は南蛮の医者さえ呼び集めた。

 バテレン禁止令を発布した張本人であるが、なりふりなど構っていられなかった。

 しかし、鶴松を治せる医師は現れず、病は重篤になり半狂乱になった。

 

 医師曲直瀬道三が京に修行にきていた若い僧侶を連れて鶴松の治療にあたったのは南蛮人医師が匙を投げた後だった。

 

 秀吉はすでに鶴松の回復を諦めていた。

 南蛮人の医師に直せないものが、医師でもない若い僧に直せるはずがないのだ。

 

 ところが、薬を与えただけで熱は下がり、二日目には重湯を食すまで回復し、五日も経つと立ちあがれるまでになったのだ。


 秀吉は喜び報償を与えようとしたが、薬は小田原に症状を伝え取り寄せたもので、受ける立場ではないと固辞した。 

 僧は小田原の寺から本山に修行に来ていたのだった。


「薬さえ、唐、南蛮にないものか‥‥」

 それを聞いた秀吉は、渋面をつくり呻いたたという。

 しかし、淀や近親の者たちは小田原に特別な思いをもった。

 死の淵から蘇った鶴松はすくすくと育ち、秀頼と名を改めている。


「贔屓というか憧れておりまする。彼の国は想像を絶する技を持っております故」

 悪びれもせず、眼を輝かしていう秀次に、秀吉はまた溜息をついた。

 秀次とて小田原での戦で多くの家臣を失っている。小田原の薬が秀頼の命を救ったとはいえ、憧憬など軽々しく吐く言葉ではない。


「大納言様が申された通り小田原独自の武器と考えるのが筋でしょう。東は諦め西を固めるのが肝要かと存ずる」

 細川忠興の発言に前田利家も賛同した。


「左様。触らぬ神に祟りなしとも申す。豊臣家繁栄のためにも東方は諦め、殿下子飼いの者たちを一国の国主といたしなされ。主計頭に肥後半国では些か役不足。和子様を盛り立てていく身内が必要でごる」

「清正を国主に? 血縁で西を固めるのか?」

 秀吉は苦々しく思った。

 正妻ねねの縁故で大老の浅野長政の動きだ。

 尾張一国を与え家康の監視を命じたのに、逆に家康と通じている節がある。

 秀吉は評定に長政を呼んでいない。

 家康に漏れるのを防ぐためだった。


「御意。毛利に七カ国など不要。長周二カ国を安堵し召し上げなされませ」

 利家の口調は強い。

「五カ国を取り上げるのか? いかな理由で。小早川隆景が黙っていまい」

「小田原のおり、毛利は岡崎より兵を進めておりませぬ。北条と通じていたと嫌疑をかけ従わぬときは攻め滅すまで」

 秀吉は呆れた。

 二年も前の責を取らせると利家は主張している。

 

「加賀宰相の言葉、尤も至極。毛利を攻めるべし」

 今まで押し黙っていた黒田官兵衛が口を開いた。

「新皇などと得体の知れぬものを相手にしてはなりませぬ」

 やはり官兵衛も毛利攻めを主張している。

 北条との戦が怖いのだ。

 新皇を恐れている。

 だが、それはそれは秀吉も同じであった。


 毛利は長門、周防、石見、安芸、備後、出雲、伯耆、九州の筑前一国、肥前、築後に二郡合わせて百二十七万石の大大名だ。

 瀬戸内の海運と銀山開発で潤沢な軍資金を有している。

 敗戦で落ちた威勢を回復するには願ってもない相手だが、容易ならない相手でもある。

 「そのほうらの考えは、よう分かった。毛利を攻める」

 「御意」

 

 手始めに秀吉は、毛利の外交を一手に担う安国寺恵瓊に狙いを定めた。

 伊予に六万石の領地ももち僧職ながら大名である恵瓊は、毛利家の中では異色の存在で輝元の信任も厚いが、それ故に家老の福原、口羽ら重臣との軋轢も大きい。

 古くからの家臣ほど己の処遇を嘆き、新参者の出世を妬むのは世の常だ。


 恵瓊はあっさり秀吉に意を通じた。

 秀吉は恵瓊を使い、伯耆、出雲、備後の毛利配下の大名の切り崩しを図った。

 秀吉の支配地と接するこれらの地は、戦ともなれば真っ先に攻込まれる危地だ。

 恵瓊は内々に国人衆を味方にしていった。

 いずれも毛利に冷遇されていると不満をもつ者達だ。


 思わぬ大物も釣れた。

 伯耆三郡、出雲三郡、安芸一郡合わせて十四万石の領地を有する吉川広家だ。

 広家の父元春は毛利元就の次男で、長男隆元、三男小早川隆景とともに毛利家を支え大国に押し上げ、毛利の両川と称えられた実力者だった。


 四年前、父元春と長兄元長が相次いで病死したため、三男の広家が吉川の家督を相続したのだが、毛利家中での発言力は無くなった。

 いくさを知らぬ広家の意見より家老らが重く用いられるようになるのは当然なことなのだが、吉川の当主となった広家はそれがわからない。

 父や兄と比べ軽く見られていると不満を募らせていたのだ。


 広家は毛利を見限り秀吉の傘下に入った。

 頃合いと見た秀吉は、毛利輝元に使者を送り、小田原征伐時の不穏な行動と広島築城を謀反の兆しと責め、備後、伯耆、出雲、石見の割譲を命じた。


 身に覚えのない輝元は慌てふためき重臣らを居城吉田郡山上に招集したが、安国寺恵瓊、吉川広家が病を理由に招集を断わってきた。

 両名の裏切りは明らかだった。


 いくさを避けたい小早川景隆は弁明のため大阪に下向した。

 隆景は、毛利家の潔白を訴え何度も交渉に及んだが四ヶ国割譲は覆せなかった。

 隆景は秀吉の心情を素早く読み取った。

 北条に敗れた勢威を回復するための生贄。

 これが毛利なのだ。

 謀反の嫌疑は戦に持ち込むための方便だと。


 景隆は輝元の承諾を得ぬまま割譲を承諾した。

 景隆は輝元の上洛を約束し堺より船で安芸に帰った。

 交渉は失敗したが、どうにか戦だけは回避できた。

 あとは輝元や重臣たちを説得し約定通り四ヶ国を割譲しなければならない。


 景隆は己の領地の備前一国を輝元に渡してもいいと考えていた。

 身を斬らなければ纏まる話では無い。

 改めて交渉役の恵瓊の大きさを知った。


 ところが、広島城下の屋敷で突然景隆が倒れた。

 帰郷して一日と経っていない。

 吉田郡山城から輝元や家老が駆け付けたが昏睡したまま意識は戻らず、三日後に死没した。

 症状から卒中と思われるが、毛利家中では秀吉に毒殺されたと噂が流れた。


 秀吉、なにするものぞ。──

 毛利輝元は秀吉と戦う事を決意する。

 北条に敗戦を喫した秀吉を軽く見たのだ。


 対する秀吉はゆるりとしていた。毛利攻めの手筈は整っている。

 徳川も島津も恭順を誓った。

 後は毛利から寝返った国人衆らをどう使うか、安国寺恵瓊を大坂城に呼び付けたのはそのためだった。


「徳川様の援軍でございますか?」

 つるりと剃った頭を上げた。

 毛利を裏切り秀吉の傘下に入って以来、吉川広家をはじめ出雲の天野隆重、石見の吉見広頼、備後の山内元通ら毛利の重臣を秀吉に寝返えらせていた。


「左様。吉川侍従を大将に権大納言の援軍を命ずる」

「小田原の押さえでありましょうか?」

 恵瓊は眉を顰めた。

 毛利を裏切ったものとして秀吉からの信任を得ていないのは当然の事なのだが、領地を留守にして他国の援軍となると国人衆は黙っていない。


「いや、越後の備えだ」

 事も無げに秀吉はいった。

 越後の上杉景勝だけが旗幟不鮮明なのだ。

 小田原敗戦で越後に引き籠った景勝は砦や出城を築きいくさに備えている。

 北条への対抗は理解できるのだが、かと言って秀吉の要請も断り領国から一歩もでようとしない。

 何を考えているわからない景勝を持て余しているのだ。

 万一毛利と結託し背後で挙兵されては厄介だ。


「よいか、余は元来血を見る戦を好まぬ。調略で敵を負かすことを心掛けて来た。しかし、此度の毛利攻めは降伏など認めぬ。右府さま同様逆らうものは根切りするつもりだ。力攻めによる敵の殲滅だ」

 

 秀吉の眼が怪しく光った。

 恵瓊は全身に冷たい汗が流れるのを感じた。


 


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