第12話 小田原へ
「平野様には小田原に旅立ってもらう」
「小田原?」
「左様。小田原じゃ。外海に船も迎えに来ている。そなたを保護したと早馬を出したが、さすが宗端殿じゃ。八日も掛からず迎えに来おった。三日も目覚めぬのを心配したが、丁度いい頃合いと言う事かの」
「なんで小田原に行かなけりゃいけないんですか? ここに居てはダメなんでか?」
ここに居たい訳ではないが、平成に戻るのにこの場所に留まった方がいいのではないか。
そう僕は思ったのだ。
静観上人は首を振りながら言った。
「宗瑞殿を頼りなされ。小田原に行けば宗瑞殿が親身になって世話してくれまする。ここは寺ゆえ、粗食しかお出しできぬ。小田原なら好きなものを召し上がれるし、僧侶の修行をいたすこともあるまい」
助けてもらって贅沢はいえないが、確かに寺の食事は物足りないものだった。
薄味で量も少くない。
粥などは喉を通らないほど粒が残ったものだ。
帰ることよりも、生きていられるのかと心配になるほどなのだ。
「わかりました。そうします」
僕は静観上人の奨めに従った。
翌日まだ薄暗いうちから起こされ、着替えさせられた。
袴は幅の狭い筒状で、着物は肌触りのいい絹だ。
足袋は革製で、小鉤は無く足首に紐で縛りつけるもので、脚絆を付ける。
剣道着に慣れた僕には、珍しいものでもない。
ただ、褌は初めてだった。
若いお坊さんに、付き添われ湊に向かった。
崖の上では粗末に見えた町は、近くで見ると意外にしっかりした造りだった。
大小様々な店が軒を連ね多くの人が行きかっていた。
僕は辺りを見回しながら着いていった。
男も女もみんな着物だ。
中には半纏に褌姿の男もいる。
街はずれの浜に船が二艘並び繋がれていて、すでに来ていた静観上人が談笑していた。
一人は若い侍で、もう一人は子供のようだ。
侍が、僕に気付き手をあげた。
「小田原からのお迎えじゃ。こちらは、えーと、今は、何と名乗っているのじゃ? 忘れてしもうたわ。まっ、蔵殿とお嬢じゃ」
静観上人は誤魔化すように笑っている。
「柏木太郎左衛門と申す。皆からは、蔵と呼ばれておる」
若い侍は、丁髷が揺れるほど頭をさげ挨拶をした。
身長は僕の肩ぐらいで大きくはない。
丸顔に丸い眼、その上には太い眉毛が乗っていて、信楽の狸のようだ。
丸顔のせいか小太りに見えるが、肩幅が広く腕も太い。
がっしりした体形だ。
「お嬢と呼んで、いい」
ショートカットで目鼻立ちの整った美少女が、ぶっきらぼうに僕を見て言った。
手足も細く均整がとれている。
遠目より子供と思ってしまったのは、その出で立ちのせいだ。
色鮮やかな着物であるが、袖がなく膝までの丈なのだ。
手と足には白い布を巻いている。
手甲脚絆というやつだが、女性が着るのは大胆過ぎる。
「なに?」
僕の視線に気づきお嬢は言った。
胸の膨らみから、この子は僕より年下だろう。
「忍者の方ですか?」
僕は、思わず言ってしまった。
胸を見てました。なんて言えるはずがない。
お嬢は、つぶらな瞳を見開き、瞬時に眉間にしわを寄せると、細く鋭くなった眼で睨み付けた。
まるで変質者でも見るような眼だ。
僕がジロジロ見たせいか、お嬢は無言で船の方に行ってしまった。
船は細長い木造船で公園のボートの三倍はあるだろうか、二十人の男たちが大きなオールに手をかけ待機していた。
「しっかりとな。辛いじゃろうが、頑張ってくだされ」
静観上人は、手を握り涙ぐんだ。
別れ際に静観上人から風呂敷包みを渡された。
僕が着ていたTシャツや短パンなどが包まれていた。
「源次郎殿おかげで、城から小早船を出してもらえた。瞬く間に着くぞ」
十人づつ左右に並ぶ屈強な男たちは、声に合わせオールを漕ぎだす。
あっという間に。静観上人の姿が小さくなっていく。
僕は包みを抱え大きく手を振った。
「お待ちしておりました。輿をご用意致しました」
小舟から降りた僕たちに、中年の侍が駆け寄り蔵さんに小声で言った。
かなりえらい侍なのか、背後に数十人もの侍が片膝をついて控えている。
齢も蔵さんとは、倍以上離れているように見える。
「輿は無用。内密に頼む」
侍は戸惑いながらも肯くと、先頭に立ち僕たちを城に誘った。
僕は、未だ船酔いから覚めず、地面が揺れているようで歩くのさえ辛い。
「大丈夫か? 顔色が悪いぞ? 城につけば横になれる。もう少しの辛抱だ」
蔵さんは、振り返りながら、僕を励ます。
たぶん僕の顔色は真っ青なのだろう。
横にいるお嬢は、僕の荷物を大事そうに抱え、何も言わない。
目つきが優しくなったのは抱えた荷物の御蔭だろう。
あの状態で拒否することなど出来るはずがない。
最初に見た時から嫌な予感がしていた。
岸を離れたボートが、船に着くまで、蔵さんの言う通り十分とかからなかった。
河口に停泊している船は40メートルぐらい大きさで、上に木箱を伏せたような形だった。
中には下に降りる階段や船室もあり、すでにお嬢は大勢の男たちに指示をしていた。
僕は分厚い板で覆われていている船室に入れられた。
天井を走り回る足音がやけにうるさい部屋だった。
開けられた穴から気持ちのいい海風が入り、河口に沿って家々が連なっているのが見える。
太鼓が打ち鳴らされると。ムカデの足のようにオールが飛び出し、掛け声と共に漕ぎだした。
ゆっくりではあるが、船は沖を目指し進んでいる。
太鼓が鳴り止むとオールは船内に取り込まわれ帆が張られた。
海にでたのだ。
ここからが地獄であった。
物凄い揺れが船を襲った。
身体が浮いたのではないかと思うほど上に持ち上げられ、すぐに底に引きずり込まれるような感覚が永遠と続いて訪れ、僕はひどい船酔いになった。
蔵さんは心配して、甲斐甲斐しく面倒を見てくれたが、船酔いは酷くなる一方だった。
お嬢は、何度か顔を見せたが無言で出って行った。
二日目、僕が目を覚ますとお嬢が枕元に屈んで、僕の荷をほどいていた。
「これ、頂戴」
満面の笑みをためた美少女が、僕のブリーフを片手に眼を輝かせている。
僕は真っ赤になりながら、お嬢からブリーフ取り戻そうと手を伸ばすが、上手く身体が動かない。
酸っぱい胃液が込み上げてきて眩暈もする。
「‥‥はい」
抵抗することも馬鹿らしくなり肯いた。
こんな美少女に下着を強請られるなんて思いもしなかった。
「ありがとう」
お嬢は、風呂敷に僕の物を包むと部屋を出て行った。
全部持っていった。
Tシャツもスニーカーも全部だ。仕方ない肯いた僕が悪い。
僕はまた吐き気を催した。
ブリーフ効果か、お嬢は蔵さんに代わり僕を介抱してくれた。
蔵さんには悪いが、やはり女性の方がいい。
しかも飛びっきりの美少女なのだ。
たっぷりと甘えようそう思っていたら、半日も経たず、小田原に着いてしまった。
がっかりだ。せめてあと一日くらいお世話になりたかった。
幾つもの門をぬけ橋を渡った。
侍は身分がたかいのか、門番は片膝をつき僕らを通した。
ひと際大きい門を潜り抜け時、蔵さんは、懐より頭巾を取り出し被った。
「城では、これを被ってもらおう。」
僕にも被れと頭巾を手被した。
横を見れば、すでにお嬢も頭巾を被っている。
小田原城は、古臭い板張りの三層建てで、僕の知る小田原城とは全然違う。
広大な城ではあるが、門番を除き誰もいない。
「人払いは、出来ております。さっ、どうぞ、こちらへ」
案内の侍は、城を横目に通り過ぎると、奥の小さな建物前で立ち止まった。
「後ほどご挨拶に伺います」
丁寧にお辞儀をする侍に、蔵さんは軽く肯き建物の中に僕を誘った。
建物の中は地下に続く階段しかない。
まるで入り口を隠すために建物を建てたようだ。
地下への入り口から灯が漏れ階段に影を作っている。
蔵さんについて階段を降りた。
「地下通路⁉」
天井も高く、側面の壁も装飾されており、ここが地下とは思えないが、等間隔で並ぶ蝋燭の明かりが、遥か彼方まで続いていた。
「小田原城内にクモの巣のように張り巡らしてある。道を間違えば、とんでもないところにでてしまうぞ。なにせ入り口が二十もあるのだからな」
いったい何のために、こんな立派な地下通路を造ったのか、僕は不思議でならなかった。
「今日は蝋燭を灯してあるが、普段は真っ暗だ。道順を憶えなければ大変なことになる」
今は進む方向だけ蝋燭が灯してあり、灯りを追いかけるように蔵さんは進んだ。
地下の通路は十字路や丁字路と複雑に入り組んでいて迷路のようだ。
すでにかなりの時間が掛かっている。
後から聞いた話では、小田原城は街全体を土塁で囲んだ総構えという城で、船を降りて最初に通った門から、すでに小田原城内になるらしい。
何度目かの角を曲がった時、目の前に外の光が差し込む扉が見た。
蔵さんが扉に手をかけ振り向いて言った。
「我らの城、皇霊殿だ」
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