第10話 家康の密談

「大和大納言様のお加減はいかがじゃ」

 家康は、火桶の炭を火箸で弄んでいる浅野弾正弼長政に問いかけた。

「あと一月持つかどうか‥‥」

 長政は火箸を灰に突き刺すと首を振り答えた。

 

 秀吉の異父弟である大納言秀長は病を患い小田原攻めには参陣していない。

 若い頃より秀吉に付き従い裏方に徹していて、秀吉の暴走を戒めることが出来る唯一の人物だ。


「それ故、弾正殿が、わしへの備えとなったわけか?」

 小田原征伐で謀反を起こし改易となった織田信雄の領地をあたえられたのは長政である。

 世間では大変な出世と噂したが、秀吉の正妻寧々の姻戚である長政にとっては、当然の拝領であると思っていた。


 表向きは尾張一国に国替えになった浅野長政が、隣国の徳川家康に国替えの挨拶に訪れたというものであるが、秀吉の妹朝日の輿入れ以来、家康と長政は意を通じていた。


「左様。関白殿下は、駿河守氏直とその舅である大納言様が、盟約を結び攻め込んで来るのではないかと恐れておりまする」

 家康は眉を顰めた。

 北条との和睦のために駿河、甲斐二国を失ったのである。

 秀吉が無事大阪へ帰城できたのも家康の尽力があったからだ。


「攻め込むならば、和議など勧めず仕掛けておるわっ!」

 家康の怒声に長政は口角を上げた。

「いかさま。有体に申せば、関白殿下は北条が後ろにいる新皇なるものを恐れております。武器、軍船、どれをとっても桁違いの威力。いくら調べても出所がわかりませぬ。唐、南蛮に無いものが、小田原にあったとならば備えは幾らあっても足りませぬ」

 家康とて、北条の鉄砲で余多の重臣を失った。

 北条の武器の恐ろしさを痛感していた。


「して、新皇平将大なるものの正体は? 調べたのであろう」

 和議の書状で、黒田官兵衛に詰め寄られたことを苦々しく思い出す。

「近衛様に問いただしたところ、新皇なる称号はたしかに勅許されておりました。古い話ではござらん。僅か四年前の天正十四年のことでございます」

 家康の顔色が変わった。

 ふうを嫁がせ同盟を結んだ三年後だ。 

 取り成しを無下にしたのは新皇のせいなのだろう。

 徳川を蔑ろにするほどの位なのかもしれない。


「し、新皇は国家反逆の徒が名乗った称号と聞いたが。朝廷はいかなる位を与えただ」

 「それが、無位無官。新皇は姓として下賜したもの。このように申しておりました。関白の座を掠め獲られた二条昭実卿の後押しで、毎年莫大な献金を続ける北条の請願を断われず、姓のみを下賜したそうです」

 家康は唸った。

 秀吉に豊臣の姓を下賜した年と同じというのが偶然とは思えない。

 

「莫大な献金とは?」

 朝廷は、長年貧窮しており日々の糧にも不足していたはずだ。

「北条は、氏綱の代より、毎年千貫を献金していたそうです」

「千貫!」

 北条氏綱の代と言えば六十年も前の話である。

 そのような金があれば先帝の葬儀を出せないほど貧していたというのは嘘になる。

 

「朝廷の参議と盟約があったそうでござる。一切の官位を望まぬ替わりに献金を秘し、貧窮を装ってほしいと」

 とても信じられる話ではない。

 盟約を結んだこと自体理解できない。

「禁裏こと故、憚れることですが、平将大は天皇の血筋かもしれませぬ」

「て、天皇の血筋‥‥」

「ただ無位無官の新皇の姓は、裏を返せば皇位とも取れまする。関東で平将門が反乱を起こし、新皇を自称したとき関東の人々は彼の者を新天皇と呼んだそうです。国家反逆の徒の自称を姓とし下賜したことは、つまり次の天皇では」

「馬鹿を申せ! 有り得ぬ!」

 家康は怒声をあげたが、秀吉がやり過ぎていることは否定できない。

 朝廷の官位官職を己の家臣に惜しみもなく与えているのだ。

 天皇の座さえ奪いかねないとなれば、そのような噂がたっても不思議な事ではない。

 

 「それがしの戯言でござる。ただ、公家どもは関白殿下の牽制に小田原を利用する腹と見ます。関白殿下とて手をこまねいているはずもなく、近衛卿や菊亭卿などと誼を通じていますが、なにしろ敗戦以降、島津、上杉の動き怪しく、禁中のことなど構っておれませぬ。」

「上杉が⁉」

 小田原攻めのおり、北国勢として参陣していた上杉景勝は、豊臣勢敗戦の報を知ると占拠した鉢形城を放棄し帰国してしまった。

 取り残された豊臣の重臣や北関東の領主を前田利家がまとめ上げ北条軍と戦ったが、景勝の離脱で浮足立った北国勢は多大な死者を出し惨敗した。


 豊臣の重臣では石田三成、長束正家。北関東の領主では、結城晴朝、多賀谷重経、真田昌幸が打ち取られ、敗走の途中で待ち構えた反豊臣の領主や残党に里見義康、佐竹義宣、宇都宮国綱が首級と成り果てた。

 これらの一因に上杉の撤退が加味している。


「北条家からの養子であった景虎を斃し、家督を継いだ景勝が北条に組するとは考えられませんが、帰国後城や砦を修復し兵を入れております」

「北条への備えではないのか?」

「そう、景勝も申しておりますが、信用はできませぬ。関東に手など出されては、豊臣家さえ危うくなりましょう。関東に手を出すべからず。―と大納言様が申されたと聞いておりますが」

 身勝手な秀吉の態度に腹を立て、氏直に託け放った言である。


「ならば、関白殿下は関東を諦めるのか」

「攻める術がございませぬ。黒官殿も危うきものには近寄らず、西を固めることを勧めております。」

「では、このまま上杉を放っておく」

「いえ、逆でございます。北条と揉めぬよう真田を国替えさせまする」

 真田の領地は、上野、信濃にまたがり隣国の上杉と深い繋がりを持っている。

 北条、徳川と幾度も戦を繰り返し因縁も深い。

 領主真田昌幸が小田原攻めで討ち死にした後、長男の信幸が沼田、次男の信繁が上田を相続していた。


「沼田を北条に渡してしまえば、上杉も手出し出来ますまい。さりとて、信繁を上田に残しておいては同じこと。いっそのこと二人とも近江辺りに国替えさせてしまえば、不安の種は摘み取れるというもの。まっ、関白殿下は、信繁を使僚として召し上げたいのが本音。小田原征伐で多くの文官を失ったため豊臣の体制は、がたついておりますから」


 どこの家中でも同じだ。

 領主を失い重臣を失い、立ちいかなくなっている。廃絶した家も一つ二つではない。


「上田は、誰になるのじゃ?」

 家康は、信濃半国を有している。

「大納言様以外、誰がおりましょうか」

 長政は、微笑みながら家康を見つめた。

「わしが」

「北条氏直の舅であり、上杉をおさえることが出来る人物。まず間違いありますまい。」

 北条との和睦で駿河、甲斐を失った家康にすれば喉から手が出るほど欲しい領地だ。

「今後とも大納言様にはご指導賜りたく、しいては小田原北条との仲立ちをお願い致します」

 長政は薄笑いを浮かべ頭を下げた。

 

 小田原敗戦により、秀吉の天下取りは水泡に帰し、戦乱の世は、新皇の出現により更なる混迷を極める。

「難儀な話よ」

 家康は深い溜息をついた。


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