第9話 新皇のひとりごと

 澄み切った空に鱗雲が秋の終わりを告げていた。

 男は路地を曲がり、辺りを見回しひとけが無いのを確認すると雑木林の中に分け入っていった。

 伸び放題の髪を茶筅に結い、小袖の上に袖無羽織、筒袴に白足袋を履き腰に大小を差している。

 落葉を踏みしめしばらく進むと神社の境内に出た。

 参拝する者もいないようで、草生し落ち葉が堆積している。社殿も屋根の一部が朽ち果て薄が生え風に揺れていた。


 男は社殿の裏に回ると引き戸を開け中に入り壁に掛かった提灯を取り奥に進んだ。奥の部屋には地下に続く階段が真っ黒な口を開けている。

 懐よりマッチを取り出し蝋燭に火を灯すと階段を降りていく。

 地下には真っすぐに伸びた通路があり、四方を板で囲まれていて高さも幅もかなり広い。

 男は提灯をかざし奧へと歩んでいく。

 どこまでも伸びる地下通路は、丁字になったり十字になったりしているところを見ると網の目のように廻らせているようだ。


 幾つかの角を曲がったとき、外の光が漏れだす扉が見えた。

 男は懐より頭巾を取り出し被ると扉を開けた。


 男が中に入ると緋袴姿の侍女が平伏し迎えた。

 男と同じように頭巾を被っている。

 男は提灯を渡し階段を昇り廊下を進むと広間の襖を開けた。

 室内には六人の男女が椅子に座り入ってきた男を一斉に見上げた。


「マサ、遅かったじゃねえか?」

 上座に座る宗端の問いに、軽く頷き対面に座ると頭巾を脱ぎ、髪をかき上げた。

「マサさん、しっかりしたお嫁さんでも貰えばいいのに。なんなら私が一緒に住んでもさしあげましょうか。ふふっ」

 はい。ぜひ!と言いかけ自重した。

 相変わらず姫は美しく妖艶だ。

 隣のお嬢が睨んでいるのが気になるが、思わず見とれてしまう。

 

 僕は咳払いをすると全員を見渡した。

 長方形のテーブルの対面に宗端さん、右側に蔵さん、少尉、先生、左側に姫、お嬢、空席。いつも通りの並びだ。上座は宗端さんだと思っていたが、上座はこの僕、平将大が座る席だと言い張っている。

 美味そうに煙管を吹かしている様はどう見てもそちらが上座だろうと言いたい。


「あのぅ。恕安さんがまだ来ていませんが」

 空席の主、恕安さんを引き合いに出したのも遅刻を誤魔化す為だ。

 こちらに来て一〇年になるのに、いまだ時間がわかりません。

 なんて口が裂けても言えない。


「恕安は、一度来たんだが、南蛮寺で説法があると出て行った」

 宗端さんが煙草盆に煙管を打ち付ける音が響いた。

 実にカッコいい。正に江戸っ子だ。

 でも教会とミサって言ったほうがいいんじゃないか?


「まあ、マサ殿も来たことだし本題に移ろうではないか?」

 蔵さんが宗端さんを促した。

 この二人は本物の侍だ。 

 たまに悪乗りをしてふざけ合うが、いつも毅然としている。


「おお、相すまぬ。さて、秀吉との戦もほぼけりがついた。今後どうするか、意見を聞きてえんだ。」

「では、金三万枚の賠償金を受け取ったのでありますか。」

 少尉が震える声で宗端さんに聞いた。

 実に軍人らしい喋り方だが、嫌がるんだよなぁ、宗端さん。粋じゃねぇて。


「左様。豊臣はもちろんのこと、各大名もほぼ支払いに応じた。まだ数名支払いを拒んでいるが、なあに、商人に至るまで関東から締め出してやればその内泣きついてくる。逃げ得などさせぬ」

 蔵さんが変わりに答えた。ナイス!コンビネーション。


「締め出すだけで、支払うのでありましょうか?」

「先生のおかげだ。どこにもない産品が揃っている。払わぬ国には一切売らぬ」

 物凄い自信だ。

 さっき使ったマッチも先生の復元品と考えれば当然かもしれない。


「まだまだ、色々復元します。衣食住に及ばず、今の日本に無いものをどんどん作りましょう。販売は蔵さんにおまかせ致します。」

「おおっ、さすが先生。」

 胸を張って答える先生に蔵さんは賛辞を惜しまない。

 そう、この先生はすこぶる頭がいい。

 日本唯一の東大の現役の学生なのだ。

 医者になろうとしたぐらいだから、僕とは比べ物にならないほど優秀だ。


 ただ隣の少尉は認めていない。

 今も先生の横腹に肘鉄を喰らわせている。

 少尉曰く帝大より陸軍士官学校の方が受験人数も多く難関だそうだ。

 帝大など金持ちのボンボンが行くところで日本男子たるもの士官学校を目指すべし。と少尉ははばからない。

 

 時代が違う事などお構いなしだ。

 国全体が貧しく中学に進学できるものが一握りだったらしく、官費で金の掛からない士官学校が垂涎の的であり、全国の学生はおろか現役の優秀な軍人が受験するそうで、士官学校は帝大生の先生も合格でいきないと息巻いているのだ。

 なにしろ学力はおろか身体能力、精神力も飛びぬけて秀でた者でなければ合格できないらしい。

 確かに運動能力は僕より劣っているのだから、先生には無理だろう。


 少尉は士官学校を出ているのだから、かなり優秀なはずだが、残念なことに微塵も感じられない。

 いや、まて、もしかすると優秀さを隠しているのか⁉

 そう思えなくもない。


「豊臣との戦にけりが付いたなら、配下を戻していいの?」

 お嬢は、美少女であるが目つきが鋭い。

 肩までの短い髪は役目のためか伸ばそうとしない。

 ショートカットなど珍しくもないが、この時代では異様の髪型だ。

 でもそれがすこぶる似合っている。美形は得なのだ。


「いや、しばらくこのまま維持してくれ。まあ、もう時期、弟や息子が死ぬんだ。二、三年はおとなしいと思うが、秀頼が生まれりゃどう変わるかわからねえ。それに関東もまだまだ油断できねえしな。」

 お嬢は首肯するとなぜだか僕を睨んだ。

 僕、お嬢の配下じゃないし、なんかした?

 美少女なんだけど睨まれるとすこぶる怖い。。


「新皇を名乗りましたけど、秀吉の朝廷への詮議は厳しいのでしょうか?」

 姫の朝廷を気遣う御姿、素敵です!

 さすが公家のお姫様は下々の者と違います。

「んー、言い訳は授けてある。秀吉とて近衛前久の猶子になって関白を掠め獲ったんだ。文句は言えまい。まっ、国家安康のような、こじ付けをされたら仕方がねえがな。」

 国家安康! 大河ドラマで見たな。

 鐘に刻んだ文字が名前を二つに分けたのが呪詛だと言って戦を仕掛けたやつだ。

 でもそれって、あなたの家康公ですよね?

「まあ、時間はたっぷりあるんだ。一つ一つ片づけて行こう。」


 宗端さんが言うように、僕たちには時間がたっぷりある。

 蔵さん、少尉、先生、姫、お嬢が肯く。

 不在の恕安さんを含めて八人が、小田原城皇霊殿の主であり、北条家が主君と仰ぐ者達なのだ。

 

 宗端さんが僕を見て、

「新皇様、頼むぜ。」

 とほほ笑んだ。

 この中で、一番時間があるのは僕だからだろう。

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