第7話 捕虜 九鬼嘉隆

 身体を投げ出し大欠伸をすると節の少ない天井を見た。

 捕虜になり五日が過ぎた。

 当初は家臣と共に六人が投獄されたが、九鬼嘉隆と知れると別棟に移されたのだ。

 

 牢獄は一建屋に五つの獄舎が横に繋がっていて、六人が寝起きするには十分な広さがあり板張りの床が張られ、驚いたことに戸のついた厠があった。

 移された牢も同じ造りであるが、建屋には己一人しかいないようで、番士さえ日に数度見廻りに来るだけで、話す相手といえば、日に二度飯を運ぶ老爺のみだった。


 降伏し処分を待つ身なのだから、斬首だろうと切腹だろうと覚悟はあるが、老爺の運ぶ飯が嘉隆の覚悟を鈍らせていた。

 

 囚人に与える飯などは日に一回出ればいい方で、それも雑穀などの粗末なものと相場は決まっていた。

 降伏した者など死なぬ程度に飯を与えておけばいいのだ。

 しかし、北条は炊かれた白米と味噌汁、焼き魚に香の物が添えられ、甘い菓子まで付いていた。

 しかも、菜は焼き魚となったり煮物になったり、味噌汁が獣肉の塩汁になるなど、一度たりとも同じ品ではない。

 この様な贅沢な飯など大名の嘉隆ですら毎日は食べていなかった。

 

 大名である自分を気遣ったことであろうか、それとなく老爺に聞くと皆同じであるという。

 流石に、これほどの食事を捕虜に出しているなど信じられず唸っていると、老爺は食事に不満があると勘違いしたのか、夕餉には特別だと言って一品多く菜を持ってきた。

 それは、皿に盛った蒲鉾と山葵で、小皿に醤油が付けられていた。

 嘉隆は度肝を抜かれた。

 西の富豪商人らで流行っている蒲鉾だ。

 醤油といい、いずれも貴重で高価なものだ。


「なに、小田原では、安く売っております。ここ十年特に力を入れ特産物にするのだと大量に作る様になりました」

「特産物? 特産物とはなんだ?」

「何でも、ここ小田原だけの品物と言うことらしいです。他国が金を出して欲しがるものと言うことでしょうか。蒲鉾だけではありません。色々なものを試みております。ほれ、この米も改良され美味いものでございましょう。御蔭で我ら民、百姓は恩恵を受け、他国では考えられぬほど安く買えます。有難いことでありまする」

 

 嘉隆は北条の領国経営に畏怖を感じた。

 とても日の本の話しとは思えなかった。

 

 二十日が過ぎたころ、番士に連れられた男が最奥の牢に投獄された。

 男は腕や顔に晒を巻き負傷しているようではあるが、足取りはしっかりしていた。


「おい、奥の御仁、聞こえるか?わしは、九鬼大隅じゃ」

 夜になり、番士がいなくなったのを確認し、格子に顔を付け呼びかけた。


「おおっ、九鬼殿か。堀尾でござる。ご無事であっか」

 晒を巻いていたためわからなかったが、見知った堀尾であった。

 真っ暗な監獄は声がよく通り、離れていても話すのは苦にならない。


「戦はどうなったのだ?」

 負けたのはわかっている。

 銃声ひとつ聞こえないからだ。


「関白殿下は北条に追い立てられ、すでに駿府まで退却したそうだ」

「北国勢の三万はどうしたのだ?  前田殿や上杉殿はいかが致した?」

「北条の追撃に多大な被害を出し撤退した。もはや関東に残っているのは徳川大納言だけになっているそうだ。その徳川殿さえ和睦するらしい」

「そ、そうか。誰も勝てぬか」

 格子を握り絞める手がじっとり汗をかいた。

 とても信じられる話ではない。

 十五万の大軍が壊滅したのだ。


「のお、九鬼殿、そなたなら知っていよう。三町(約330メートル)も離れた場所から南蛮兜を貫く鉄砲や一里(約四キロ)も飛び炸裂する大砲は南蛮にはあるのか?砦を一発で吹き飛ばす大砲などわしは初めて見た。どうやって戦えばいいのだ。多くの家臣を失っ」

 咽び泣きが聞こえてくる。

 嘉隆は話し掛けるのをやめ、茣蓙を敷き横になった。

 

 勝てる者などいるはずがない。 ──


 嘉隆の船団に沖合より五隻の帆船が向かってきたのは、味方の砦が噴煙をあげ燃えだしたころだった。

 異変に気付いた味方の軍船が、船首を浜に向け漕ぎ出し始めため、沖合から近づく帆船の発見が遅れた。


 三段横張の帆船は舳先の鋭角な南蛮船に見えた。

 みるまに四半里(約一キロ)に迫り、左右に分かれると砲撃を開始したのだ。


 大砲という武器は至近距離から鉄の玉を撃ち出し、船の吃水を破壊し浸水されるために使うものであり、遠方より放てば甲板にはじかれ役には立たない。ましてや四里半も離れていては話にもならない。

 あまりの早打ちに兵たちは声を上げて笑った。


 ところが敵の放った砲弾は、白煙を引きながら飛来し当たると大爆発を起こしたのだ。

 鉄張りの甲板を四散させ、船は燃え上がった。

 はずれた砲弾の爆発さえ水柱をあげ、小早船が横転するほどである。

 瞬く間に七隻の関船がやられた。


 敵の船は円を描くように回頭すると距離を四町(約四三六メートル)に詰めた。

 五隻揃った見事な操船術である。


 敵の帆船は三本の帆柱で二本は三段横帆、後柱に縦帆が張られ、全長は百尺(約三十メートル)、幅は三十尺(約九メートル)に見えた。


 嘉隆の安宅船は、全長百尺(約三十メートル)、幅は九尺(約二七メートル)。

 船の上に木箱を伏せたような矢倉といわれる厚い甲板で囲い、その矢倉に狭間を穿ち大砲や鉄砲を備え兵が五百人乗船している。

 重量のため四十挺の櫓を漕いでも船足は極めて遅い。

 それに比べ、風を捉えた帆船の船足は恐ろしく早い。

 

 五隻は、船団を囲むように横に進路をとり、焙烙火矢を雨のように降らした。

 関船は爆発炎上し、小早船は水主を吹き飛ばし船体に穴をあけた。

 敵の船に向け櫓を漕ぎだした関船、小早船は、鉄砲の一射撃により多くの兵を失った。

 敵の船は一定の距離を保ち近づいてはこない。

 圧倒的な火力のみで、味方の船を次々に屠っていく。

 予想すらしない戦術だった。


 嘉隆は己が安宅船の矢倉が爆発で吹き飛ぶのにおよび、旌旗を振り降伏した。

 恐怖に全身が震えていた。 

 戦う術が無かったのだ。


 

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