第6話 小田原城内 皇霊殿

 城内の本丸と二の丸の間に皇霊殿と呼ばれる建物がある。

 二階建てながら総漆喰、本瓦葺きの重厚な建物で、広い敷地に小山を背に建っていた。


 館の前面には小川が縫うように流れ池を満たし、周囲には桜、ぶな、楓が植えられていて、さながら大名の隠居所のような趣があるが、三間(約5.4メートル)もの高い土塀が途切れることなく敷地を囲み、人の侵入を過剰に拒んでいた。


 実際、この場所は、重臣さえ近づくことを禁じられていて、白の小袖に緋袴をつけ頭巾を被った巫女と呼ばれる特別に選ばれた侍女だけが入ることを許されていた。

 

 渋取口土塁にいた黒衣の男は、皇霊殿の大広間に入るなり、踵を揃え最敬礼をした。

「報告。敵将二十二名の狙撃に成功。敵は平塚方面に撤退しました」

 上座に座る男に向け大声を発し、一礼して椅子に腰を掛けた。

 テーブルの上には、燭台に火が灯されあたりを照らし男女五人が席についていた。


「ああ、ご苦労。徳川はこれで動けまい。あとは秀吉だけか。少尉、どうでもいいがよ、その物言いはどうにならねえか。粋じゃねえんだよなぁ」

 髷をおろし紺縅の具足に陣羽織姿のこの男は、二の丸曲輪にいた宗端である。

 煙管をくわえると背もたれに寄りかかり少尉と呼んだ男をじろりと睨んだ。


「お言葉ではありますが、軍人の報告は簡潔明瞭を以て最上とすると習いました。自分は軍人なので粋な報告などできかねます」

 少尉は、左隣に座っている先生と呼ばれる男に肘打ちした。

 くつくつと笑っていることに腹が立ったらしい。


「ところで、蔵殿と恕安は?」

 呻き声をあげる先生を無視して、少尉は対面に座る女性に聞いた。

「おっつけ、こちらにくるでしょう」

清楚でかなりの美人は、二の丸曲輪にいた姫と呼ばれていた女性だ。


「蔵さんは、捕虜の確認。恕安は武器の回収と管理。少尉と違い忙しい」

 姫の隣に座る少女が答えた。

 目鼻立ちの整った面立ちは、かなりの美少女である。


「お嬢、自分は暇ではないぞ。徳川家康を向こうに回し一騎当千の活躍だ」

 お嬢と呼ばれた美少女は、目を細め少尉を睨みつけた。

「少尉、なぜ宗端さんと言葉使いが違う?」

「い、いや、宗端さんは上官で、姫やお嬢とは、違うんじゃないかと」

 伸びていた背筋も崩れ、しどろもどろになっている。

「私たちも上官。以後、気を付けて」

「申し訳ありません。以後、気を付けます」

 挙手の敬礼をすると溜息をついた。

 先生が右脇を庇う仕草をするが、無視して傍らにたたずむ侍女にお茶を所望した。


 しばらくすると廊下で話し声が聞こえて、男が入ってきた。

「いやあ、捕虜の中に高名な大名が沢山いるぞ。海賊大名九鬼嘉隆がいるのには驚いた。軍船も二百は拿捕したし、お嬢の大手柄だな」

 月代を解き後ろに束ねている。

 丸い顔に太い眉毛、まん丸の眼がお嬢を見ていった。


「別に。船と嫁荷がすごいだけ。誰でもできる」

 お嬢は当然だと言わんばかりに素っ気ない。


「まあ、お嬢の手柄でいいじゃねえか。確かに神器はすげえ威力だ。俺も石垣山城でやり過ぎちまった。以後気をつけねえとな。おっと、それより蔵殿、詳細を承りたい」

宗瑞が丸顔の侍に声を掛けた。

「これは、拙者としたことが。当方の死傷者は五百程度、打ち取った敵の数三万は越え、捕虜は四千ほどでござろう。捕虜のうち三千程が負傷しておりますので、寺に収容し治療にあたらせておる。残りの千は例の監獄に収監致した」

 蔵と呼ばれた男は居住いを正し、答えた。


「さ、三万も城の回りに死んでいるの!」

 二の丸にいたマサと呼ばれた男だ。震えている。

 蔵は頷くと、宗端に言った。

「しかも、ぐちゃぐちゃのちぎれた兵士ばかり。人足から余禄がないと苦情がでている」

 蔵が顔を顰め吐き捨てるようにいった。


「そりゃ、あの威力だ。分捕りなんかできねえからな。手当に色付けるしかあるまい」

「そのつもりだ。僧侶の手配も終わっているし、鉄器だけ回収して埋葬しようと思う。しかし、人足、捕虜とかなりの金が掛かるがよろしいか」

「なあに、かまいやしません。捕虜から取れなきゃ、関白秀吉から毟り取るまで。牢獄の建築費までみっちり貰いましょうぞ。いかがですかな蔵殿」

 にやけ顔の宗瑞が揉み手をしながら蔵にいった。


「おぬしも悪よのぉ」

 宗端と蔵は、押し殺した笑い声をあげた。


「あの、盛り上がっているところ恐縮ですが、撤退したとはいえ豊臣軍に八万の兵が残っており、北国勢三万と余談を許さない状況でありますが、いかがいたしますか」

 少尉が宗瑞と蔵に割って入り声をあげた。


「おおと、そうであった。姫とお嬢と先生とマサは戦死者の弔いと負傷者の治療、捕虜の収監を頼みてえ。俺と少尉は、秀吉を追撃する。蔵殿と恕安は、北国勢を攻撃してくれ」

 どうだと言わんばかりに六人を見ている。


「いささか、北国勢が気になる。家康公が西に向かえば挟み打ちになるが、その場合いかがいたす」

 蔵が眉を顰め宗端に聞いた。

 北国勢は占領した鉢形城、八王子城を拠点に、前田利家、上杉景勝ら四万の兵が無傷で残っているのだ。

「なあに、家康公は動けねえ。少尉が重臣二十二名を狙撃したそうだから、兵を動かすこともままならねえはずだ」

「な、なんと、二十二名もの重臣を!」

 驚嘆の表情で少尉を見つめる。


「自分は軍人であります」

 少尉は、胸を張り得意気に答えた。


「や、やり過ぎであろう。それでは徳川家が潰れてしまう。なんてことをしてくれたのだ。軍人というのは限度というものを知らんのか」

 袴を握り絞め、真っ赤になりながら呻いていた。


「ぐ、軍人ですから」

 また、背筋が崩れた。


 明朝、北条氏照、北条氏邦、松田憲秀ら二万の兵は、豊臣軍追撃に出陣。

 北条氏房、北条氏光、内藤景豊ら三万の兵は、鉢形城を占拠する前田利家、上杉景勝ら三万の北国勢に向け出撃した。

 攻者と守者。たった一日で両者は逆転したのだ。


 豊臣秀吉は北条の追撃を恐れ西へ西へと退却を繰り返した。

 前田、上杉の北国勢は奥州、北関東の大名を指揮下に治め、五万の勢力を有していたが、北条三万の攻撃に耐えきれず多大な戦死者を出し敗走した。

 この追撃により、北条は関八州を完全に掌握し皇国として踏み出すことになった。

 宗端のいう関東新皇国の誕生だ。

 

 本当の歴史は、石垣山城の完成に落胆した北条軍は、八日後、一戦もしないまま降伏する。

 七月十一日、北条氏政、氏照、松田憲秀、大道寺政繁の四人がいくさの責めを負い切腹。

 北条氏直は家康の取り成しにより切腹は間逃れ、氏規、氏忠ら一門衆及び松田直秀、遠山直吉ら重臣共々紀州高野山に謹慎を命じられ小田原を去るのだ。

 

 一年後氏直は赦免され一万石を与えられ豊臣の大名となるが、八月大阪で病のため死亡。

 三十という若さであった。

 遺領は従弟の北条氏盛が相続し、河内狭山一万千石として幕末まで続き、北条の名だけは残しいる。

 関東に領地替えとなった徳川家康が江戸に新城を築き、幕府を開くことになる。


 その全てが豊臣秀吉の小田原征伐の失敗で絶無となった。

 誰も知らない歴史の始まりである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る