第5話 小田原征伐軍 壊滅

 堀尾吉晴は砦の濠に転がり落ちた。

 強かに腰を打ちつけたが安堵の溜息を吐き身体を起こした。

 這ってきたため、太刀はおろか鎧通しさえ無くなっていた。

 

 濠には大勢の兵が潜んでいて、吉晴は己の家臣は探すうち、見知った武将がいることに気付き声を掛けた。

 老齢の武将は、座り込み項垂れたまま目線すら上げない。 

 顔一面に血と泥がこびり付き、兜の前立ては形がわからぬほどひしゃげていた。

「こ、これは⁉ 堀尾様」

 男は、薄目を開けると吉晴を見て声を上げた。

 山内一豊の家老祖父江である。

 

「伊右衛門は、どこだ? ここは誰の砦だ?」 

 吉晴は矢継ぎ早に祖父江に聞いた。

 一豊がいるのならば作戦をたて直せる。


「ここは、中村様の砦の濠。と、殿は‥‥ 殿はっ」

 俯いたまま涙を零した。

「伊右衛門は死んだのか‥‥」

 愕然とするが、生きている方が奇跡であったかもしれない。


 発砲と同時に先鋒隊は、荻窪口を目指し遮二無二に突っ込んだ。

 誰もが北条の反撃を過小に捉え、己の欲を剥き出しにした突撃だった。

 これが悪かった。

 北条の火器は想像を絶するものだったのだ。

 

 二町も飛ぶ焙烙玉の爆発で竹束は兵ごと四散した。

 弾除けを失うも突撃する兵に鉄砲の一斉射撃が浴びせられた。

 信じられないような威力であった。

 鉄砲は二町も先から兜を打ち抜いた。

 

 吉晴は、焙烙玉の爆発で吹き飛ばされたため銃撃は受けなかったが、後続の兵が一斉斉射を浴びばたばたと斃れた。

 敵の鉄砲は途切れることもなく、頭を上げることもできなかった。

 多くの兵が亀のよう這い退却したが、そのほとんどが撃ち殺された。


 吉晴は、祖父江の肩に手をのせ、濠に響くほどの声で中納言様の陣を目指せと告げた。

 一里程ほど後ろにある指揮官豊臣秀次の砦である。

 濠の中を進む吉晴の頭上を無数の銃弾が飛び土塁にあたり土砂を落とした。

 やっと濠の端までたどり着いたとき、大爆発音が起こった。

 爆発は土塁を崩し、濠を埋めた。


 64式81mm迫撃砲。最大射程3000m、殺傷半径は15m。

 陸上自衛隊の迫撃砲である。

 小田原を取り囲んでいた砦は黒煙をあげ火を吹いた。


 家康は苛立っていた。

「物見は、まだ戻らぬのか!」

  怒声を上げ近習にあたり散らした。

  爆音や銃音は、箱根の山に反響し途切れることなく響き渡りる。

 神初からも幾本もの爆煙が立ち上っているのが見えた。

 激戦が起こっているはずであるが、状況がわからない。

 物見や忍びを行かせたが、誰一人戻ってこない。

 北条氏直の意地がどれほどのものか知りたかった。

 

 それに。 ─

(何もしなければ、謀反を疑われる)

 家康は北条内通を疑われている。

 外婿の氏直に肩入れし過ぎたのだ。

 一発の鉄砲も撃たず退けば、秀吉は決して家康を許さない。

 国替えどころか徳川の存続さえ危ぶまれる。

 土塁を固める北条の鉄砲は予想以上に多い。

 力攻めを行えば犠牲は多大なものになるであろう。


(やらずば、徳川が消滅する)


 家康は意を決し、井伊直正、榊原康政、本多忠勝、奥平正信に攻撃を命じた。

 先手四隊と呼ばれる、徳川最強の軍団だ。


 タタン。タタタッ。タタン ────

 一町半(約160メートル)まで詰めたころ、敵は一斉に発砲した。

 早すぎる発砲である。

 余程の火薬を使っても竹束はおろか杉板さえ貫けない距離だ。


 タタン。タタタッ。タタン ──

 タタン。タタタッ。タタン ──

「な、なにぃ」

 家康の膝がガクガクと鳴った。

 敵の銃弾は竹束はおろか甲冑まで貫通し、次々に兵を撃ち殺したのだ。


 敵の銃弾は間をおかず次々に発射され、この攻撃で先陣を率いる井伊直正、榊原康政、本多忠勝、奥平信昌は兵とともに斃れた。

 最強を誇る先手四隊が殲滅されたのである。

 89式5.56mm小銃を家康が知るはずがない。

 

 ダン。ダン。ダン ──

 ダン。ダン。ダン ──

 二陣、三陣の酒井重忠、内藤家長、天野康景、内藤信康が銃弾に斃れた。

 三町(約330メートル)超える銃撃である。

 レミントン・モデル700。対人狙撃銃が火を噴いたのだ。

 

 家康は、驚愕し隊を山王川まで退けさせた。

 土塁より四半里(約1キロ)も離れ、武将らは安堵の息を吐いた。


 ダン。ダン。ダン ── 

 響き渡る銃声に部隊は凍りついた。

 松平家清、柴田康忠、松平家乗、石川康通、保科正直、高力清長が撃たれたのだ。


 家康は、己が金扇の馬印を撃ち落とされるにおよんで、敵の狙撃が馬印を掲げる武者を狙っていることに気づき、金扇を捨てさせ砦まで退却した。


 砦は酒匂川を背に小田原城とは半里(二キロ)も離れている。

 鉄砲など届くはずのない距離だ。

 ドン。ドン。ドン ──

 敵の銃弾は砦の板壁を貫通させ、中にいた兵を撃ち殺した。

 

(ば、馬鹿な⁉ なぜここまでとどくっ)

 バレットM82。有効射程2000mアメリカ軍が誇る大型狙撃銃である。

 これも家康が知る由もない。

 

 恐怖に駆られた家康は、逃走した。

 酒匂川を越え仰ぎ見た小田原は、城を取り囲む砦、石垣山城はおろか相模湾に浮かぶ一万の軍船まで燃え上がっていた。

 一日ももたず日の本に並ぶもののなき十五万の豊臣軍が壊滅したのだ。

 悪夢以外のなにものでもない。


 撤退した徳川軍は、日の暮れるころ平塚の鶴峯山八幡宮に辿りつき陣を張った。

 小田原城の北東に陣を構えた家康は、西に迂回しなければ己の領国に帰れない。

 関東の地に頼れる者はなく、鉢形城や忍城を占拠した北国勢や豊臣軍の反撃を待つ以外、帰城する術は無かった。


 家康は、この地に二十日間留まることになる。

 しかし、手詰まりと思える陣張りも、家康の強運の成せる業だった。

 多くの将を失ったが、他の大名より損害は少なかったのだ。


 何故なら、秀吉軍は、西へ西へと敗走を続け、北国勢も北条の攻撃を受け多大な被害を出すと、占領した城を放棄し己の領国へ撤退した。


 憐れなのは、わずかな兵で参陣していた奧羽、北関東の武将たちだ。

 豊臣敗戦の報を聞き、待ち受けた反豊臣勢力と戦さになり、佐竹義宣、宇都宮国綱ら多くの大名が首級になった。

 帰城できた大名も多くの重臣を失い窮地に陥ったほどだった。

      

 細川忠興の砦で、秀吉は呆然と戦場を見ていた。

 いや、見とれていたのである。

 眼下にひろがる戦場は、斃れた豊臣軍で埋め尽くされていて、爆煙が無数に立ち昇っていた。

 小田原城を取り囲む諸将の砦は、砲撃を受け商人街を巻き込み炎上している。

 三カ月を掛け築いた包囲網は、わずか半日で崩壊したのだ。


 秀吉は、人の目を意識する。

 小柄で非力な上学識も劣り、誇る出自もない。

 その自分が関白となりえたのも、人の見る目を意識してきた結果だと思っていた。

 渇攻めや水攻め、大返しなどの人の想像すら出来ない大掛かりなことに、莫大な金を掛けたのは、人々の驚きを畏怖に変えるためだった。


 小田原征伐も同じだった。

 二十万の兵士の動員も石垣山城の築城も人々に見せつけるためのものであった。

 秀吉は小田原出陣に際し、金の瓢箪の馬印を押し立て、唐冠の兜に金札緋縅の鎧、黄金の太刀を身につけ、南蛮笠を差し掛けさせるという出で立ちであった。

 己でさえ滑稽過ぎると思ったが、人々は大魁美装だの、天下稀代の壮観と称賛した。

 驚嘆を畏怖に変えたのだ。


 それがどうだ。

 北条は強靭な武器を隠し城におびき寄せ、驕った豊臣軍を一瞬で壊滅させたのである。

 これほど、見せつける戦さなどあろうか。見事すぎる軍略に嫉妬さえ覚えた。


「殿下、石垣山城までお下がりださい」

 北条軍は全軍をあげ攻撃にでたようだ。

 形勢不利と見た忠興が声を掛けのだろう。

 すでに甲冑を纏い、兵を指揮している。

 左陣の宇喜多秀家も駆けつけ、砦の前に陣を敷いた。

 北条の追撃に対する布陣である。


 秀吉は兵に守られ駆け降りてきた道を戻り、這う這うの体で城門にたどり着いた。

 城に入ってしまえば北条の猛攻は凌げるはずだった。

 

 秀吉が安堵の息をついた時、眼前で天守が爆音とともに吹き飛び炎上した。

 北条が放った砲撃が、石垣山城の火薬庫を直撃し大爆発をおこした。

 84mm無反動砲。通称カール・グスタフ。

 スウェーデンで開発された迫撃砲で有効射程700m。

 麓から北条軍が放った一発だった。


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