第4話 豊臣軍惨敗

 「茂助。殿下が細川殿の砦で、ご覧になられているそうだ」

 山内伊右衛門一豊が兵を掻き分け近づいてくると、小声でいった。

 「おおっ。狙い通りだな。伊右衛門」

 堀尾吉晴は満面の笑みを浮かべた。

 わざわざ言いにきたのは、己の策が予想以上に当たっていたからだろう。

 

 山内伊右衛門一豊は、吉晴の一歳年下でお互いの父が岩倉織田に仕えていた縁もあり、幼馴染である。

 両家とも岩倉織田が滅亡すると浪人となり各地を彷徨い、敵であった織田信長に拾われ、木下藤吉郎、今の豊臣秀吉の配下となった。

 似たような出世を歩んでいて、一豊が近江長浜二万石、吉晴が近江佐和山四万石を拝領し、豊臣秀次の先鋒衆として小田原攻めに参陣していた。

 先鋒衆の多くは三、四万石以下の小名で、手柄功名を張り合っていた。


 山中城攻めで先鋒衆の一柳直末が突撃し、銃弾に斃れ亡くなっているのも手柄を焦り無茶な力攻め行ったためだった。

 どの武将も領地が欲しい。手柄をたて加増を受けたい。

 その思いで付き従っているのだ。


 ところが小田原攻めは手柄をたてる機会が皆無に等しい。

 山中城攻め以外、あまたある支城はすぐに降伏してしまうのだ。

 

 吉晴にいたっては、小田原城の回りに砦を築き取り囲んでいるだけだった。

 三カ月を超える長対陣は砦の周りを街に変えた。

 商人が小屋を掛け物を売り、旅籠や茶屋、妓楼さえある。

 包囲に飽きた武将たちは酒を飲み憂さを晴らしていた。


「徳川大納言様の国替えは聞いたか?」

 吉晴は首肯した。

 徳川の国替えの噂で豊臣陣営は持ち切りだった。

「遠、駿、三、甲、信。合わせて百五十万石。誰が割り当てられると思う?」

 ちらりと吉晴を見た。おこぼれにあずかろうというのである。


「例えばの話だ。夜襲などではないぞ。もしもだ。もしも、北条が門を開け打ち掛かってきたら、ワシと組まぬか。逃げ込む北条兵にぴったり食いつき城内に躍り込む。どうだ。ワシの八百の兵だけでは心もとない。茂助の一千と合わせならば、できると思うのだが」

 都合のいい話だ。

 起こり得るとは思わなかった。

 

 それが、現実のものになったのだ。

 しかも、秀吉が背後で見ているのだという。

「前にでるぞ」

 打合せ通り先頭に押し出し一豊も続いて横に並んだ。

 ところが、中村一氏も田中吉政も同じように竹束を押し立て突撃の構えをとったのだ。

 先鋒隊の多くが同じ考えだった。

 

「竹束押し立て鉄砲に備えろ! 他の部隊など気にするな。ゆるりと進め。よいか、彼奴等は死兵だ。引き付けるだけ引き付けて鉄砲を放て。」

 長谷川秀一は、馬上で兵士たちを叱咤した。


 早川口、箱根口に備える部隊は、木村重茲、丹羽長重、池田輝政と若い武将が多い。

 背後に秀吉の本陣が控えるため、兵は少なく一万ほどで囲んでいた。


(北条の兵は、死を覚悟し打って出たのだ。意地を見せるため死兵となったのだ。若い武将は死兵の恐ろしさを知らぬ)

 

 秀一は、数々の戦場で死を覚悟した兵士の強さを見てきた。

 本願寺との戦さがそうであったように、死を覚悟した者は百姓町人でさえ鉄砲の掃射に怯むことなく打ち掛かってくるのだ。


 被害を最小限に留めたい秀一は、竹束を押し立て防御を固め前進したのである。

 ところが、ゆっくりと前進する秀一の隊をしり目に、他の隊はどんどん前に進んで行く。

 なかでも木村重茲の隊は、敵と三町(約三百三十メートル)ほどに迫ってまいた。

 左陣の池田輝政の吹き流しの馬印さえ、二十間(約三十六メートル)も先に見えていた。

 

(これでは我が隊が、気後れしているように思われる)

 止む負えない。

 秀一は進軍を急がせようと馬を煽った。


 

 城門口を出撃した北条の軍勢は、大土塁に沿って陣形を組んだ。

 眼前には豊臣軍が取り巻き、緑の波が蠢いている。

 青竹を束ねた楯だ。


 鉄砲が日本に伝来して四十三年、この新兵器はいくさの様相を大きく変えた。

 武士個人の技は一発の鉄砲の玉により粉砕され、身を護る鎧兜を容赦なく打ち抜いた。

 厚い矢楯は重く扱いにくい。

 そこで考え出されたのが竹束だった。

 竹は丸みにより玉を弾き、中は空洞で軽い。玉除けには最適だったのだ。

 

 竹束が砕ける前に、詰め寄るだけ詰め寄って襲い掛かり乱戦に持ち込む。

 連射の利かない鉄砲の弱点をついた戦い方だ。

 数千の竹束が北条めがけて、じわりじわり押し寄せて来る。


「神器隊、砲撃準備。鉄砲隊は砲撃のあと一斉射撃!」

 馬上の武将が号令を発した。

 兵士が三十人ほど前に出ると、屈み込み筒を地面に立てた。

 後方には百人ほどの鉄砲隊が片膝をつき、押し寄せる竹束を睨んでいた。

 

 神器隊とは北条軍五万の中にあって、わずかか千にも満たない秘中の秘の軍隊で、味方にも知られていない隊である。


 五色の備えと称する五つの軍団は、名の通り赤、黒、白、黄、青の背旗で統一され、各隊一万。

 軍勢は騎馬、槍、弓、鉄砲の隊で構成されていた。

 しかし、神器隊だけは北条宗家の直属とされ、どの隊にも属していない。

 各備えに百数名ほどが振り分けられ、初めて最前線に立ったのだ。


 黒光りする砲筒が、押し寄せる豊臣軍を照準に捕らえた。

「撃て!」

 ポン。ポン。ポン ──

 鼓を打ったような間抜けな音が鳴り響いた。

 後ろに控えた兵士より失笑が漏れた。

 それほど戦場には似合わない音だった。


 攻め寄せる豊臣軍でこの音に気を止めた者などいない。

 いたところで八九式重擲弾筒の発射音など知る由もない。

 ヒューウ。

 ドン。ドドドン。──

 着弾した重擲弾が炸裂した。


 竹束は四散し、多くの兵が吹き飛んだ。

 八九式重擲弾筒の最大射程は670m。

 わずか67㎝の砲身ではあるが発射される重擲弾の殺傷半径は10mにも及ぶ。

 日本帝国陸軍の迫撃砲だ。

 数十の爆煙が立ち昇り数百の兵が一瞬で斃れた。

 

 豊臣兵はこの武器を焙烙玉だと思った。

 威力こそ桁違いだが水軍が使う炸裂弾だと兵士達は突撃をやめなかった。

 屍を乗り越えて数千の兵が小田城めがけ殺到した。

 欲に狩られた豊臣の諸将は、北条軍を完全に舐めていたのだ。

 

 「鉄砲隊前へ! 構えっ」

 突撃してくる敵兵に鉄砲の一斉射撃が命じられた。

 敵との距離は二町半(約275m)。

 火縄銃では、敵を屠ることなど出来が無い距離だ。


「放て!」

 ダンダダン。ダンダダン。ダンダダン ──

 轟音が響き渡った。

 草を薙ぐように豊臣の兵がバタバタと斃れる。 

 

 北条軍とは、まだ二町(約220m)も離れている。

 鉄砲など届かない距離だ。

 しかも、硬い南蛮具足を纏った武将さえ鎧を打ち抜かれ斃れている。

 後続の兵士は何が起こったのかわからず棒立ちとなった。


「二射! 用意っ」

 北条軍は、銃の槓桿を引き薬莢を排出し、また戻して二射目の態勢をとった。

 

 三十八年式歩兵銃。

 ボトルアクション式で装弾数は五発。

 最大射程2400m、有効射程460m。大日本帝国陸軍の銃である。

 

「放って!」

 ダンダダン。ダンダダン。ダンダダン ──

 ダンダダン。ダンダダン。ダンダダン ──

 瞬く間に数千の豊臣兵が餌食となった。


 甲高い風切音を発し落下した物体が爆発し、先行していた木村重茲の兵が吹き飛んだ。

 秀一は、竹束に寄り添い覗き見た。

 敵との距離は三町以上離れている。


(防火矢?)

 矢に火薬つけ、鉄砲で打ち込む武器だが、火を噴き上げるだけで、爆発する棒火矢は聞いた事がない。


 目の前で爆発がおこった。土埃が舞い上がる。

(まさか、焙烙火矢?)

 紙を丸く成形し火薬を詰め、補強のため布で幾重にも包み火縄を差し込んだもので、火縄に火をつけ敵に放り込むと爆発を起こす武器だ。

 しかし、三町を超える距離を飛ばすことなどできるのであろうか。

 見れば敵は、二尺(約六十センチ)の筒を使い打ち込んでいる。

 初めて見る武器だ。

 

 北条の兵士たちは、発射筒を地面に立て砲身の角度を合わせると次々に砲弾を撃った。

 着弾地点を確認すると砲身のつまみを回し距離を測って撃っている。

 砲撃は次々に味方の兵を削いでいった。


 ダンダダン。ダンダダン。ダンダダン ──

 竹束で固め突撃した池田隊に向けられた発砲だ。

 

(ば、ばかなっ)

 北条の発砲は一町(約百十メートル)を超え、竹束を貫き兵士を撃ち殺している。

 恐るべき威力だ。

 秀一は、退くか攻めるか判断に迷い立ち止まった。

 

 ヒューウ。

 風切音が頭上に聞こえた。

 ドーン。

 秀一は爆風に吹き飛ばされ、したたかに身体を打ち付け起き上がることさえできなくなった。

 兜も吹き飛ばされ無くなっている。

 何とか首をあげ前を見た。

 

 ダンダダン。ダンダダン。ダンダダン ──

 味方の兵が、草を薙ぐようにバタバタと斃れた。

 

 秀一は薄れゆく意識の中で、白い吹き流しが燃え上がり風に漂う様を見た。

 池田輝政の馬印だった。


 

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