第3話 北条の罠
小田原城二の丸の広場に立ち尽くす三人がいた。
少し離れた場所に片膝をつき頭をたれた甲冑武者が二人いて、その遥か後ろに大勢の兵士が拝跪し取り巻いている。
兵士達は忽然と現れた城を見上げることもせず、目を地に落としたまま微動すらしていない。
三人は白い頭巾をすっぽり被り、わすかに開いた隙間より石垣城を見上げたていた。
日差しは強く風はない。
一人は、膝丈まである襟黒の緋猩々羅紗の陣羽織、銀の南蛮胴に朱の草摺を付けた物々しい装備である。
両脇の二人は狩衣、指貫袴、赤の大帷を着ていて、神官のような形だ。
「よぉ似合っておりますなぁ。なにやら神々しい。ふふっ」
若い女の声が、神官姿から漏れた。
もう一人の神官姿が口元に指を当て目配せをすると跪く二人の武士に歩み寄った。
なんと、膝まつく武士は関東の太守、北条相模守氏直とその父の北条右京大夫氏政である。
「手筈通りだ。いけ!」
短い命令に即座に応答すると、深々とお辞儀し兵士のもとに駆けていった。
遠ざかる氏直らを見送ると、男は女のもとに戻った。
「大丈夫。うまくいく。そう硬くなるな」
「いやぁ、暑いし、鎧は重いし、最悪ですよ。宗瑞さんが着ればいいんだよ」
陣羽織の男が答えた。若い男の声である。
「ほんにぃ。マサさんの言う通り。この頭巾さえ風も通さず暑いのに、羅紗の羽織まで着せられては、かないませんなぁ。」
頭巾の裾をもちひらひらと振っている。
宗端は肩をすくめた。
「久々の大戦さだ。じっとしていられるか。マサと姫は城に戻ってくれ。くれぐれも戦に出ようなどと思うなよ」
「出やしませへん」
女が睨みながらいった
「いよいよ始まるぞ」
宗瑞は背後の兵士の動きを目で追い、頷きながらいった。
乾いた発射音が三発続き、三色の信号弾が尾を引きながら上空を駆け昇った。
「俺はいくぞ。また後でな」
宗瑞が早足で城に向かい去って行った。
慌てて石垣山城を出てきたため、秀吉は甲冑をつけていない。
側近たちが馬印や甲冑を持ち後ろを追いかけてくる。
(とろくせー。待っていられるか)
山を駆け降り早川沿いに馬を進め細川忠興の砦を目指した。
そこは小丘に築かれた砦で早川口から荻窪口までの小田原城、南半分が見渡せる。
馬を進める秀吉に近習がやっと追いつき、金の瓢箪の馬印を掲げ砦に入った。
細川忠興が突然の来訪に驚かないところを見ると予想はついていたようだ。
砦の北端の柵を取り外し、緋毛氈を敷き詰め幔幕で囲い酒まで用意していた。
「これは。これは。さすがは丹後守。心得ておるな」
細川忠興は、小田原兵の出撃に己が砦に秀吉が来ることを予想し、観覧の用意し待ち構えていたのである。
またこれが、関白の好む機転である事を心得ていた。
秀吉は、どかりと腰を下ろすと酒杯を取った。
「して、北条は、どう動いた」
忠興は、酒を注ぎながら、秀吉が武人の顔になるのを盗み見た。
「彼奴等,土塁に沿って横陣を組みました」
「なに⁉ 横陣だと!」
秀吉は、立ち上がり小田原城を見下ろした。
横陣は柵や塀の遮蔽があってこその陣形だ。
なにもない野原で横陣など敷けば、鉄砲の餌食になり押し込まれて壊滅する。
敵の陣列は先頭に鉄砲隊が横に並び中段に槍隊,後方に騎馬隊が並んでいた。
一隊が四千程であろうか、背旗の色で土塁の回りが色紙を敷き詰めたようだ。
「ひと当ていたせば、城に逃げ帰るでしょう。あそこをご覧くだされ」
忠興は笑いながら水尾口を指した。
水尾口には、小国領主の混成部隊が割り当てられている。
「敵が逃げ出せば、城に乗り込もうと身構えております」
竹束の後ろに槍を構えた部隊だらけだ。
逃げる敵兵に混じり、城内に入り込む作戦なのだ。
「ほほぉ。面白くなりそうじゃな」
秀吉は、腰をおろし、杯をあおった。
北の渋取口の土塀の上に板張りの物見台が作られている。
板を並べた三間(約5.4メートル)四方の真ん中に、黒衣の男は寝そべり狙撃眼鏡を覗いていた。
十字の照準線は家康を捕らえている。
男は、丸刈りの頭をあげると深い息を吐いた。
並べられた二挺の銃。
射撃訓練を重ねていたが、人を狙うのは初めてだった。
「どう、動いた?」
台座の縁から、甲冑武者が顔を出し、梯子を軋ませ登ってくる。
「いやあ、怖いね。ここ」
軋む床を気にしながら、面頬を外した。
「先生。何しに来たんだよ。いくさは嫌いじゃなかったのか」
丸刈りの男は、体を起こし睨め付けた。
「そうなんだけどね。恕安の方にも行けないよ。一方的な虐殺になる。うわ、ここ涼しいねえ。すごい兵の数だ。これ全部徳川なのかい?」
後に束ねた髪を靡かせながら近づいてくると、
「有名な徳川家康の顔を見たくってさ」
バレットM82対物狙撃銃の方を指し、懐から包みを取り出し放り投げた。
「あーマッチ⁉ ついに完成したのか」
男は包みを開きマッチを手に取りたばこに火をつけると、銃座から離れた。
「やっとね。売り物になると思うよ。うわっ。こんなに良く見えるんだ」
狙撃眼鏡を覗き、感嘆の声をあげた。
「六十年後の銃だ。恐ろしく進んでやがる。おい、そこさわるなよ。調整が狂う」
背後から喊声が上がった。
南側の城門口で戦闘が始まったようだ。
山々に砲音が轟き渡る。
「おっと、そこをどいてくれ」
男はたばこをもみ消すと先生を押しのけた。
「僕は、戻るよ。人が死ぬところなど見たくもない」
腹ばいになり狙撃眼鏡を覗いる黒衣の男に声をかけ、面頬を付けると梯子を降りて行った。
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