第16話「父の疑惑と母の温もり」

 さて、父さんが迎えに来てくれるまであと30分くらいあるけど、何かして時間を潰そうかな?

 俺は待ち合わせ場所のすぐ近くにあった大きな書店へと入る。適当にフラフラしていると、週刊誌のコーナーがあった。

 週刊誌には大人向けの記事や写真が載っているためか、たまに父さんが買っても俺の手が届かない場所に閉まってしまう。


 俺は適当に週刊誌の表紙を眺める。

『あの人気アイドルがグラビア初☆降臨♡』

『若返りの秘訣! この夏こそは、あの女優のように!』

『これであなたもモテる!? モテ男になる10の法則♡』

というどの雑誌でもよく見るような記事タイトルや、

『南アで謎の症状で大勢の人が死亡!? 新たなウイルスか?』

『短命のスーパーベイビー生まれる!? 新人類か疾患か?』

『ミャンマーでバイオテロ発生。広がる安価な生体兵器」

などの、何と言うかちょっと恐ろしかったり、胡散くさかったりするタイトルもあった。


 だがその中の1つの記事のタイトルを見て、俺の心臓はビクンッ! と跳ね上がった。それは小さい文字であり、そこまでメインとされていないようだったけど、俺にとっては気になる内容が書かれていた。

『テレビでも有名なあの! 都内人気フレンチのオーナーが、弟子と不倫!? 人気モデルと結婚し、1児に恵まれた優しいシェフにいったい何が!?』

 まさか……!? 俺は、その雑誌を手に取りページをめくってみる。

 そこには確証が無いのか、写真も無ければ、具体的な店の名前や個人の名前が伏せられた憶測のような記事が書かれていた。



『テレビでも人気の有名フレンチ店オーナーS・T氏。なんと彼には、フランス修行時代から一緒に働いている相棒がいるという。それが弟子のA・Yさんだ。年齢はS・T氏よりも2つほど若いらしく、当時から切磋琢磨して辛い時期を乗り越えて来たのだという。日本に戻って来てからは、彼がオープンしたレストランで彼の右腕として働き、現在では本店の料理長を任されている。だが、S氏が結婚相手に選んだのは、当時知名度・人気共に圧倒的だったモデル、M・Nさんだ。2人はテレビで共演する前から旧知の仲だったというのだが、久しぶりに会った初恋のお兄さんと、美しく成長した近所の可愛い女の子が、恋に落ちたのだろうか? Mさんがモデルを辞めるとほぼ同時期に2人は入籍した。この時、ずっとS氏を支えてきたAさんは心から祝福したというが、心の中では複雑な思いがあったのではないか。現在では、愛妻家で子煩悩なイメージが定着しているS氏。だがやはり苦楽を共にした相棒であるAさんのことが忘れられないのだろうか? 最近では家に帰らず、店に泊まり込みでいる日も多いという。その時は決まって、Aさんと2人きりなのだそうだ。奥さんも弟子も、"僕が料理しました"ってことかな? 星3つ(笑)』



「そんな……まさか……嘘だ……」

 俺は雑誌のそのページを食い入るように見つめながら、思わずそう呟いていた。この記事は間違いなく父さんのことを書いている。S・T氏=種吉秀(俺の父さん)、A・Yさん=有藤彩ゆうどうあや(俺の父さんの弟子)、M・Nさん=西木舞歌(俺の母さん、旧姓は西木)だ。S氏の略歴や、AさんやMさんとのエピソードは全部父さんにピッタリ当てはまる。

 何より、"僕が料理しました"っていうのは、父さんがメインで出るテレビ番組の決めゼリフのようなものだ。お笑い芸人やアイドル、タレントなどが考えた突拍子もないメニューを少しだけアレンジして作る。そしてそれをスタジオの人に食べてもらうという番組だ。そこでそのセリフが出て盛り上がるという流れが鉄板だ。

 さらには、後半の方に書かれている、最近は泊まり込みで家に帰らないというのも父さんに当てはまる。


 嘘だよ……父さんが不倫だなんて……。嘘に決まってる! こんなの写真も何も無いし、自信が無いから名前をぼかしているだけだ。こんなゴシップ記事は話題集めに適当に書いたに違いない。そうだ……きっと何かの間違いだ!

 俺は雑誌を元の場所に戻すと別のコーナーへと向かう。逃げるように。

 だけど、やっぱり頭の中では不安は拭えなかった。そして、その不安を拭い去ろうと別のことを考えようとしても、頭の中にはさっき見た記事のことが浮かんできてしまう。

 

 結局、別の本を読んでも気が晴れず、まだ15分以上時間があるけど待ち合わせ場所へと向かうのだった。迎えに来てくれる父さんは、きっといつもと変わらない父さんだろう。もちろん、俺だってあんな記事信じてないからいつも通り接するつもりだ……。

 だけど、もし本当に浮気しているんだったら……?


 A・Yさん……つまり有藤彩さんのことは俺も知っている。家に来ることは無かったけど、父さんのお店に行った時によく顔を合わせていた。

 俺のことも見かければ必ず声を掛け、可愛がってくれる。

 母さんとは逆で、いつも落ち着いていて感情を表に出さない人だけど、父さんと話している時だけは、くだけているというか自然体で話しているように見えた。

 ……たしかに今思い出してみると、彩さんと父さんは夫婦のように仲良かったけど……。


 そこで母さんの笑顔が、ふと思い浮かぶ俺。思わず拳を強く握る。

 父さんがそんなことするわけない! 父さんが母さんを傷つけるようなこと、悲しませるようなことするわけがない! そう、強く自分に言い聞かせる。

 もう待ち合わせ場所の駅前に立っていた俺だけど、やはり不安は拭い去れない。そんなことを頭の中でグルグルと考えながら、待っていると……。



「おっ待たせ~、雄飛ちゃん♪」

 いつもの明るい声で迎えに来たのは、約束していた父さんじゃなくて母さんだった。父さんと会うことに少し緊張していたから、母さんが迎えに来てくれたのは正直助かったかもしれない。……だけど、その理由はやっぱり……。

「あ、ママが来てくれたんだね! お父さんは、今日も仕事忙しいの?」

 俺は努めて明るくそう言ったけど、母さんが一瞬申し訳なさそうな顔をしたのがわかった。


 母さんはすぐに笑顔になって言う。

「うん、そうみたいなの~。ママじゃなくて、お父さんがよかった?」

「ううん、早くママに会いたかったからママでよかった!」

 俺の言葉を聞くと母さんは柔らかく微笑んだ。

 それから俺たちは手をつないで歩き始めた。歩きながら、母さんは俺が華怜の親戚の家に行った話をいろいろと聞いてきた。本当は行ってなくて、入間さんの研究所に行っていたから、適当にそれらしい話をしなければならかったけど、気が紛れてかえってよかったかもしれない。


「あ、そうそう! さっきね、家を出る前にお父さんから電話があったんだ~」

「え……? 父さんが? な……なんて……?」

 一瞬ドキッとしたけど、俺は平静を装いながら聞き返す。母さんはいつもの笑顔で答えた。

「うん、今日も帰れなくなったから、お店に泊まり込みだって! いや~、やっぱりうちのお父さんは働き者だよね~」

 俺はさっきの週刊誌の記事の内容が蘇り、再び不安が込み上げてくる。適当に相槌を返すことしかできない。

「だからね、今日も雄飛ちゃんとママで夕食だよ! せっかくこっちまで来たから、大きいスーパーでちょっと買い物していいかな?」

「あ……あぁ、うん。わかった」



 それから近くのスーパーで夕食の買い物をする俺たち。最初は上の空だったけど、楽しそうに買い物する母さんを見ていたら、だんだん俺も落ち着いてきた。……さっきの記事に書いてあったのは、憶測である可能性だって高い。

 男女が同じ施設に居たというだけで、すぐに男女関係に結び付けたがるのがゴシップ記事の常套手段だ。一旦そのことは気にしないようにしよう、と心に決めるのだった。

 買い物を終えて、お店を出て歩き出す俺と母さん。


「ママ。買い物袋、俺が持つよ!」

 そう言って、食材が詰まった袋に手を差し出す俺。

「え~、ありがとう雄飛ちゃん! でも、重いからママが持つよ」

 そう言って母さんは袋を差し出してくれない。

「いいから貸して! 俺が持ちたい!」


 俺は母さんの手から、袋を無理やり受け取る。……思った以上に重かったけど、俺はそのまま歩き始める。

「あ、雄飛ちゃん……ありがとう!」

 後ろから母さんの嬉しそうな声が聞こえてくる。そしてすぐに隣に並んできて、

「すっかり力持ちになったね~♪」

と、頭をなでなでしてくれた。俺は嬉しくて少し恥ずかしかったけど、そのまま歩き続けた。

「……ま、まぁこれくらいなら平気だよ。ママは家で1日中パソコンでお仕事してるから疲れてるでしょ? こういうのは俺に任せてよ」

 俺がそう言うと、母さんはまた嬉しそうに俺の頭を撫でてくれた。


「ありがとうね、雄飛ちゃん」

 その声はいつものように明るかったけど、いつもよりも包み込むような優しさを感じた。そして、隣を歩いている母さんの手を俺は優しく握ると、母さんもまた握り返してくれた。俺たちはすっかり暗くなった道を、街灯に照らされながら帰路に就いた。


 その日の夜も、やっぱり父さんは帰ってくることはなく、俺は母さんと2人で夕食を食べるのだった。

 でも、大丈夫。父さんはきっとレストランで次の日の仕込みやら、発注業務やらで忙しくて遅くなっているだけなんだ……。

 自分の能力をしっかりとコントロールしつつ、父さんが帰ってくるまで、この家と母さんは俺が守るんだ。

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