第12話「舞歌の恐れ」

 母さんは相変わらず過保護で、この秋でもう10歳になる俺を未だに溺愛して事あるごとに心配してくれる。嬉しい反面、お互いのためにもこのままじゃいけないよな、とずっと思っている。

 俺は学校から帰ると、自室で服のデザイン案を作成している母さんに声を掛ける。

「ママ~、ただいま~」

「あっ、おかえり雄飛ちゃん! 学校楽しかった?」

 母さんは、俺が声を掛けるといつもの優しい笑顔で迎えてくれる。

「うん。コーヒー淹れたから少し休んで一緒に飲まない?」

 俺がリビングの方を指差しながら、そう言うと母さんはうなずいて立ち上がる。そして俺たちはリビングへと向かった。


「ありがとう、雄飛ちゃん!」

 そう言ってコーヒーを受け取った母さんは、パソコンでの作業用に着けていた眼鏡を外して一息つく。

「ママの方はどう? 今回のデザイン、結構やり直してるみたいだけど……」

 コーヒーに口を付けてから、俺は尋ねた。すると彼女は肩を落として言う。

「うん……なかなかいい案が出なくてね~……。雄飛ちゃんが保育園に行ってから始めた副業だから、もう5年以上やってるのに……。奥が深くてね~」

 モデルの仕事を辞めて結婚して、俺を産んでからも、母さんは芸能界にもファッション業界にも復帰しなかった。どうやらもう本当に戻る気はないらしく、モデルとして働く中で身近だった、ファッションのデザインをする副業を、ずっとやっている。

 最初の1、2年は手こずっていたようだけど、やはり元人気モデルがデザインした服やアイテム、ということでかなりの人気が出ているらしく、その売上もかなりの額になっているらしい。


「そうなんだ……。でもやっぱりママの作る服はセンスがいいよね!」

 俺がそう言うと母さんは嬉しそうにほほ笑んだ。

「ありがと~! もうね~、本当にやりがいのある仕事なの! 私のデザインした服を着てくれる人が、みんな笑顔になってくれるのを見るとね、本当に嬉しくって!」

 母さんはそう言うと、コーヒーを一口飲んでにっこりと笑った。

「ママが本当に楽しそうで、俺も良かった!」

 俺はそう言って母さんに笑顔を向けた。


 ちなみだけど、この数年の間に両親に対する俺の一人称が、"僕"から"俺"に変わった。母さんは、"僕"の方が可愛いってしきりに言ってたけど、最近は"俺"でも気にならなくなったようだ。学校の行事や他人の前では、お互いを"雄飛"、"母さん"と呼ぶようになった。もちろん父さんも同じだ。

 ……まぁ、母さんの強い希望で、家の中だけでいいからせめて小学校を卒業するまでは"雄飛ちゃん"、"ママ"呼びがいいと懇願されてしまったけど。



 コーヒーを飲みながら、学校や母さんの仕事の話を談笑していたけど、俺は本題を切り出すことにした。

「ねぇ、ママ。大事な話があるんだけど……」

「うん? なぁに、雄飛ちゃん?」

 母さんはカップをテーブルに置くと俺の方に顔を向ける。俺は覚悟を決めて話し始めた。

「……俺ね、今週の土曜日なんだけど……」

 そこまで言いかけた時だった。母さんが焦ったような表情をして、俺の手を抑える。

「ま、待って! お願いだから、考え直して! 雄飛ちゃんが、嫌な思いして欲しくないのっ!」

 俺は母さんが何を言っているのか、一瞬理解できなかった。だけどすぐに、彼女が何のことを言っているのか見当が付いた。


 先月から、俺に芸能界からのスカウトがかかっている。一社は業界でも大手であり俳優や女優が多く在籍している事務所。もう一社はモデルを多く輩出し、ファッション誌の専属モデルなんかも多く抱えている事務所……母さんがかつて所属していた事務所だ。

 最初の一社から声が掛かってすぐに、母さんの元事務所の社長であり、恩人でもある新山さんから連絡があった。

「多くの事務所が雄飛くんを自分たちのところに所属させたがってるみたいね。さすがに大手ほどの待遇は難しいかもしれないけど、しっかり面倒見させてもらうわ。……もしよかったらでいいのだけど、オーディションの日までに答えを聞かせてくれると嬉しいわ」

 新山さんから母さん、そして俺にそういう連絡があった。母さんがもう復帰しないことは新山さんも承諾していて、その気持ちを尊重している。今も時々、母さんや俺の顔を見にやって来ることがあるけど、母さんに復帰を進めたりはしない。

 その一方で俺にはたまに、そういった業界に興味は無いかと尋ねるのだった。


 俺は転生者であり、魅了という危険な能力を有している。もしも制御が利かなくなれば、それこそテレビや動画を通して見た異性に影響を及ぼして、取り返しのつかない事態に発展するかもしれない。

 だから俺は、芸能活動をするつもりは全く無い。それはこれからも変わることはないだろう。新山さんも、

「断られて別の事務所に行かれたらショックすぎるけど、芸能活動に興味が無いって言うのなら無理強いはしないわ。雄飛くんの人生だもの、焦らず自分でしっかり考えてから答えを出してね?」

 そう言ってくれた。俺は今の生活で十分すぎるくらい幸せだ……。俺が転生した理由である七海との再会も、有名になりすぎるとプライベートでの行動に支障がでるし……。


 俺は母さんにその話をまだしてなかったから、事務所に所属したいという話だと思って焦ったのだろう。新山さんが言っていた、オーディションの日というのが今週の土曜日だからだ。

 母さんは、俺が芸能界に入るのをひどく恐れている。日ごろから過保護な母さんだけど、これはただの過保護が理由じゃない気がする。華やかな印象が多い反面、芸能界の裏の面も知っている母さんは、俺に辛い思いをさせたくないのかもしれない。



 だから俺は安心させるために、まだ俺の手を握っている母さんに優しく言う。

「ママ、落ち着いて? そのことじゃなくて……実は俺ね……」

 そして俺は、華怜から彼女の親戚の家に遊びに行かないか、と誘われた話をした。ついでに、芸能事務所に所属するつもりが無いことも伝えた。すると、さっきまで心配そうな表情をしていた母さんは、安心したようにほっと胸をなでおろした。

「なぁ~んだ、そうだったのね! ママ、てっきり雄飛ちゃんが芸能界に入るのかと勘違いしちゃった!」

 母さんはそう言って、自分の早とちりに恥ずかしさを感じていた。そして笑いながら言った。

「でも、本当に良かった。……ごめんね? ママが心配し過ぎてただけみたい」

「ううん、いいよ。ママが俺のことを大事に思ってくれてるのは、いつも感じてるから」

 俺がそう言うと、母さんは嬉しそうに俺を抱きしめた。そしてすぐに体を離すと俺に尋ねる。


「それで、えっと……華怜ちゃんの親戚のお家に遊びに行くんだっけ? 雄飛ちゃんもお邪魔して大丈夫なのかな?」

「うん、大丈夫。華怜のおじさん、おばさんがお友達も連れてきなさいって言ってたって! 華怜のお母さんも行くから大丈夫だよ!」

 俺がそう言うと、母さんは少し考えてから、安堵の表情を浮かべた。そして俺に言った。

茉純ますみさんがいるんなら、だいじょうぶね。うん、わかったわ! 気を付けて行ってきてね!」

 そう言って、俺の頭を優しくなでるとまたコーヒーを一口飲んだ。ちなみに茉純さんというのは、華怜の母さんだ。


 本当は華怜と2人で行くし、親戚の家にも行かないんだけど、大人の同伴がなければ母さんは許可しないだろうから。 母さんに少し嘘をつくことになるのは申し訳ないけど、俺が能力を自分でコントロールできるようになるためにはしょうがない。

 手ぶらは失礼だから、当日俺に持たせるお土産を何にしようかな、と呟く母さんを見ながら、俺もコーヒーをもう一口飲むのだった。

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