第9話「目覚める欲望」

 それからは何事もなく、平穏な日々が過ぎていった。華怜のくれた首飾りが効果を発揮しているのかどうか、妙な視線を感じることは無くなった。

 母さんや父さんと出掛けても、以前のような重苦しい視線を受けることは無くなった。華怜には感謝しないとな。あとで電話して、お礼を言おう。


 そんなある日のことだった。俺は母さんと一緒に、近所のスーパーマーケットへ買い物に出かけた。

 母さんがカートを押してくれている。

「雄飛ちゃん、何か食べたいものある? 今日は何でも好きなもの作ってあげちゃう!」

 母さんは俺に笑顔で尋ねた。俺は少し考えてから答える。

「う~ん、ママの作ったカレーライスがいい!」

 俺がそう答えると、母さんは嬉しそうに笑った。

「ふふっ、わかった! じゃあお野菜とお肉を買わなきゃね」


 俺たちは食料品売り場に向かう。プロの料理人である父さんの料理はどれも絶品だけど、その父さんが「ママの方が得意な料理もあるな」と認めるほど、母さんは得意料理となるとプロ顔負けの実力を発揮するのだ。カレーライスもそのうちの1つで、俺は母さんが作るカレーが大好きだ。

「♪♪♪」

 鼻歌を歌いながら俺にときおり微笑み、買い物を続けていく母さん。

 

 やっぱり母さんの愛らしさは天性のものだな……。母さんが微笑めば、それだけで周りの人は幸せな気持ちになるだろう。

 ……ふと、思う。華怜は芸能界にも転生者が多いと言っていた。もしかして母さんも……? なんて考えて、すぐに馬鹿げた考えだと自嘲する。

 もしそうなら、それこそ華怜が俺を最初に見抜いたように母さんだって気付くはずだ。


「どうしたの、雄飛ちゃん? なんか考え事?」

 母さんが顔を覗き込みながら、そう聞いてきた。俺は慌てて首を横に振る。

「ううん。なんでもないよ!」

 俺がそう言うと、母さんは再び微笑んだ。そして俺の頬をふにふにと触る。

「ふふっ、可愛いなぁ~雄飛ちゃんは! ママの子供で良かった?」

 母さんはそう尋ねてきた。俺が笑顔でうなずくと、彼女は嬉しそうに笑った。


「雄飛ちゃんは大きくなったら、ママと結婚してくれるんだもんね? パパと重婚になっちゃうけど、しょうがないよね~♪」

 母さんは笑いながら、冗談まじりにそんなことを言った。俺は思わずドキッとしてしまう。

「うん! 僕大きくなったら、ママと結婚する!」

 俺がそう答えると、母さんはますます嬉しそうな表情を浮かべて俺を見た。そして俺の頭を撫でてくる。その行為が心地よくて……ついされるがままになってしまう。

 我ながらマザコンだな、と思うけど仕方ない。

 だって俺は母さんが大好きで、ほんとに可愛いし尊敬しているから。



 買い物を終えて、家に帰ると俺は夕食作りを手伝った。手伝いながら、母さんに尋ねた。

「ママって……前世とか信じる?」

 俺がそう尋ねると、母さんは驚いた顔をしてから微笑む。そして俺の頭を撫でながら言った。

「前世なんて難しいこと知ってるんだね~。……う~ん、ママは信じるかなぁ~? その方がロマンチックで素敵じゃない?」

 母さんはそう答えると、さらに続けた。

「前世でもママは雄飛ちゃんのママだったんじゃないかな? きっとね」

 母さんはそう言って微笑んだ。

 

 前世の俺の両親は、子供の俺を捨てたからそうであって欲しくないし、絶対違うと断言できる。だけど、母さんのそういう考えは素敵だなと思った。

 きっと前世でもどこかで出会っていたのかもしれない。

「うん! 僕もそう思う!」

 俺はそう答えると、夕食のカレー作りの手伝いを続けるのだった。



 ちょっとした異変を感じたのはその日の夜だった。

 父さんが帰って来て、俺は父さんと一緒にお風呂に入った。そして俺たちが上がってから、次に母さんがお風呂に入る。

 俺は車のオモチャで遊びながら、新聞に目を通していた。

 父さんはウイスキーを片手に、テレビを見ている。テレビではドラマが流れていて、父さんはストーリーを楽しむように見ている。すると画面に映る男女がキスを始めた。


 俺はオモチャで遊ぶことに夢中なふりをして、その映像をチラチラと見ていた。やがて画面の男女は、ベッドへと倒れ込んでいく。

 いわゆる、濡れ場というやつだ。もちろんドラマなので肝心なシーンは映らないが、それでもこれからそういうシーンが始まるのは明らかだった。

 俺は視線を逸らしていたけど、やはり気になり、父さんにバレないようにチラチラと画面を見てしまう。


 その時だった。ドクンッと心臓が高鳴る。それは画面に映った女性の背中に対してだった。

 ……え? な、なんで? 俺はまだ6歳だぞ? それなのに……。

 画面の向こうでは、視聴者に想像させるように申し訳程度の濡れ場が映し出されている。俺は思わず生唾を飲み込んだ。

 俺はまだ6歳なのに、心よりも先に身体が反応していた。こ、こんなこと……。俺は驚いて固まってしまった。

 たしかに6歳くらいでも、異性の体に興味を抱いても不思議じゃない……。だけどこの感覚は違う。

 俺は画面に映る女性を見て、明確に性的な興奮をしている。そんな自分をとても恐ろしく感じた。


「ふぅ~いいお湯だったぁ」

 母さんがお風呂から上がってきて、俺に微笑みかけた。しかしその顔は火照り、色っぽい表情に見えた。濡れた髪も相まって、大人の色気を放っていた。

 俺の心臓が再び高鳴る。俺は慌てて目を逸らした。

「ん? どうしたの、雄飛ちゃん?」

 母さんは不思議そうに俺の顔を覗き込んでくる。その距離の近さにドキッとした。

「な、なんでも……ないよ」

 俺は何とかそう答える。しかし心臓の高鳴りは治らない。それどころか、どんどん激しくなってくる。母さんの風呂上がりのいい匂いを感じて、頭がクラクラするような感覚に陥った。

「ふふっ、変な雄飛ちゃん」

 母さんはそう言うと髪を乾かし、再びソファに座る。俺は新聞に集中しようとするが、どうしても視線が母さんの方に向いてしまう。



「雄飛ちゃん、そろそろ寝よっか?」

 母さんがそう聞いてきたので、俺は慌てて時計を見る。もう9時か。子供は寝る時間だ。

「う、うん……もう寝ようかな……」

 俺はそう答えて立ち上がる。すると母さんが俺に向かって言った。

「ふふっ、じゃあママと一緒に寝室に行こうか?」

 そう言って俺の手を取ると、一緒に歩き出す。俺は心臓が高鳴るのを感じた。

「じゃあ、おやすみ雄飛ちゃん」

 母さんはそう言って布団に入った。俺はドキドキしながら、母さんの寝顔を見つめる。


「ママ……」

 思わず呟くと、彼女はゆっくりと目を開けた。そして優しく微笑むと、俺に向かって手を伸ばしてくる。

「おいで?雄飛ちゃん」

 俺は引き寄せられるように母さんに近づくと、そのまま母さんの腕の中に抱きしめられた。

「ママ……僕……」

 俺がそう呟くと、彼女は俺の頭を撫でながら答えた。

「ふふっ、雄飛ちゃんはまだ6歳なんだから、何も心配することないんだよ?」

 そう言って俺を抱きしめる力を強める母さん。今は、このままこうしていたい。俺はその温もりに安心しきってしまい、そのまま眠りについてしまった。



 朝起きると、父さんの姿は無かった。今日は大事な仕込み作業があるとかで、朝早くから出掛けたらしい。母さんは、まだ寝ているらしく小さく寝息を立てている。

 時計を見ると、まだ早朝の4時だった。

 俺も、もう一眠りしようと目を閉じるがなかなか眠れない。昨日の出来事のせいで、変に意識してしまっているのだろう。

 ふと母さんの方を見ると、お腹までパジャマが捲れ上がり、美しい肌が露わになっていた。俺は思わず生唾を飲む。


「っ……!」

 慌てて視線を逸らそうとするも、やはり目が離せない。母さんのお腹は柔らかそうで、触ってみたいという衝動に駆られる。

 親子だというのに、いったいどうしてしまったというのだろうか。俺の身体が、意思とは関係なしに反応してしまう。

 母さんの体は赤ん坊の頃からもう何回も見て、見慣れているはずなのに、今はそれがとても妖艶に見えてしまう。身内に欲情する自分が信じられなかった。

 俺は、母さんに背を向けてギュッと目を瞑るのだった。



 そしてその日、保育園に着いた俺はその異様な欲が母さんだけに向けられるものではない、と気づく。

 若い女性保育士の胸やお尻ばかり、目で追ってしまっていた。

 朝、保育園に着いてから、俺は保育士達の身体ばかり見てしまっている自分に動揺していた。こんなことは今までなかったのに……。

 すると俺の元に一人の女性保育士が駆け寄ってくる。そして俺の目の前で止まると、笑顔で話しかけてきた。

「おはよう!雄飛くん♪」

「あ、おはようございます!」

 俺は慌てて頭を下げる。だけど頭の中では、昨日のドラマの濡れ場を目の前の保育士に置き換えてしまっていた。


「雄飛くん、どうしたの?何か考え事?」

 彼女は首を傾げて俺を見つめてくる。俺は慌てて首を振った。何をしていても、どこにいても、大人の女性の身体ばかり目で追ってしまう。俺はその度に頭を左右に振った。

 その時、俺は華怜がくれた首飾りを思い出し、それを手に取る。すると不思議なことにさっきまでの悶々とした気分が和らいだ。


 他者からの欲望に加えて、俺自身の欲も薄まったなんて、やはりこの首飾りには何らかの力が込められているのだろう。

 そして、それはつまりこの異常な欲望もまた、俺が転生者であるがゆえの能力なのかもしれない。

 とにかく今は、この首飾りで凌ごう。そして華怜に早く助言を仰がなければ。

 俺は首飾りを再び身につけると、気持ちを入れ替えるように大きく深呼吸をしたのだった。


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