第2話
美宇にとって白石こはるが描かれている目の前の絵は、呪いそのものに映った。
すでに死んでいるのも関わらず、澪に愛され、大事にされ、思い出されている。それどころか、澪の中ではまだ生きている。
この絵が、二人の美しい思い出を語るものが、今もアトリエの中に必ず目に入る形で飾られている。当然のようにそこにあることが、すべてを物語っていた。
「やっぱり、まだ……」
美宇は冷や水を浴びせられた思いだった。自分がようやくここまで辿り着いたのに、まだいるのか、と。
「――綺麗な絵でしょう」
呼び掛けられ、美宇はハッとした。いつの間にか戻ってきていた澪が「どうぞ」と丸テーブルにホットコーヒーを置く。
かしこまりつつ美宇はコーヒーを飲み、苦みが口の中に広がった。
「砂糖入れてないけど、大丈夫だった?」
「は、はい、私はこっちの方が好きなので……」
「大人だね?」
そう微笑まれ、美宇はあいまいな返事をするしかなかった。
自分の分を飲んでいた澪は近くのテーブルにコーヒーを置き、すぐに準備にかかる。
美宇から少し離れた前に椅子とイーゼル、キャンバス、サイドテーブルが用意され、最後にコーヒーがテーブルに置かれる。
椅子に座った澪は真正面から美宇を捉える――白石こはるが描かれた絵を背にして。
「それじゃあ、早速始めようと思うんだけど――緊張は解けたみたいだね? そのままでお願い」
色々な意味で緊張など吹っ飛んでいた美宇は、一度目を伏せ、再び澪に目を向けた。
「なるべく自然体でいてね。ポーズは取らなくて大丈夫。もちろん動いても」
「はい」
「ふふ、とは言っても固まっちゃうよね。少しお話ししましょうか」
ふわりとした笑顔をする澪に釣られ、美宇も笑みを見せる。
美宇からは見えないキャンバスに鉛筆が走り、軽やかな音が聞こえ始める。
「そうねえ――私達の共通の話題と言えばやっぱり、こはるよね?」
向けられた目に、美宇は何も答えられなかった。美宇としては話したくはなかったが、事実澪の言う通りではあったからだ。
「今まで話してなかったけど、私はこはるが好きよ。とってもね。もちろん、友人としてではないわ」
「先輩……」
「――こはるはなんで死んでしまったのかしら?」
まるでなんでもないことのように、澪の口は疑問を述べる。
外では雨が降り始め、アトリエの中にも雨音がシャッシャッという鉛筆の音に混じっていく。
「私の知っているこはるは殺されるような人間ではなかったのに。死亡したと聞いた後に、何十回も刺されて死んだと聞いた時には、悲しみを超えて頭がおかしくなりそうだった」
「先輩、そのことはもう――」
「忘れないよ、私は。こはるは夕方に刺され、次の日の朝まで誰にも見つからなかった。血は海に流され、こはるは寒空の下で亡くなってしまった」
やはり呪いだ、と美宇は思った。こはるが亡くなった日から、澪の時は止まり、一歩も前に進んでいない。悲しみに暮れたままだ。
「そして――犯人はいまだに捕まっていない」
「……そうですね」
「でも、私には犯人に心当たりがある」
告げられたその一言に、美宇は驚いた。そして、彼女の瞳を見て気付く。すでに澪は悲しみを超えている、しかし、怒りに染まっていると。
「ねえ、美宇。今日、あなたはここに何をしに来たの?」
「おかしなことを聞きますね。先輩に描かれに来たんです。あと、そう……、仲良くなりたくて来たんです。……先輩のことが好きですから」
美宇は友愛ではない感情で「好き」と言ったが、言葉を受け取ったはずの澪にはまるで響いていない。ただ、観察されている。
「好き、か。美宇、私はね――」
美宇を見つめる眼差しは変わらない。
「こはるを殺したのはあなただと思っている」
筆は止まらないまま、その言葉は告げられた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます