第3話
「私がこはる先輩を……?」
「そう、あなたが」
「殺したっていうんですか? なぜ?」
「理由を告げれば、あなたは認めてくれる?」
澪の口調は淡々と事実を告げているようだった。美宇が犯人であることを一ミリも疑っていない。
「認めるもなにも、私はやっていませんっ」
激しい口調で美宇は否定するが、澪は揺らがない。
「私とこはるは、色々なことを話していたの――」
数年前、澪は唯一の兄を亡くした。突然死だった。当時、まだ小学生だった澪には情報として理解はできても、納得ができるものではなかった。
それは大人である父も母も同じだった。両親は泣き暮れている澪の前では親として明るく接し、愛情を注いでくれた。しかし、夜になればどこからともなく母の悲しむ声と、父の沈んだ声が聞こえてくる。
澪は塞ぎがちになり、友人たちと遊ぼうにも元気になれない日々が続いた。なにもかもが色褪せ、兄の顔がちらつく。
空いてしまった大きすぎる穴を前に、澪はどうすればいいのか分からなかった。かといって両親に頼ることはしたくなかった。これ以上二人を悲しませてしまっては、嫌だったのだ。
「――澪ちゃん、一緒に絵を描こう?」
「私、あんまり上手くないよ、こはるちゃん」
「そんなの関係ないよ」
ぞんざいになりがちな友人関係で、離れていく人もいる中――こはるだけが違った。
クラスは同じで、席も近かった。それまで数ある友人の中の一人だったのが、違うものになっていた。
こはるは、澪の閉じてしまった扉を何度もノックし、時には強引に開き、連れ出した。そして、澪に絵を与えた。いつまでも夢中になれるものを。
こはると絵。二つの力で澪は元気を手に入れる事ができた。そして、澪が元気になると、両親も嬉しそうにし、次第に悲しみを乗り越えていった。
しばらくは普通よりも親しい友達に過ぎなかったが、中学生の後半にもなると段々とそうではなくなった。明確な区切りはない。ただ、いつの間にか友人の線は踏み越え、二人で手を繋ぎ、違う場所に立っていた。
高校生になってもそれは変わらなかった。しかし、二人の周囲は変わっていた。
澪は絵描きとして、コンクールに何度も入賞し、注目を集めていた。こはるは女優として活動し、才覚を現し始めていた。それぞれの世界で小さい波をいくつも起こしていたのだ。
会う時間は限られたが、電話やメッセージでいくらでもやり取りはできた。しかし、実際に触れるというのはやはり違く、その瞬間は二人でずっとくっついていた。
互いのことは何でも話し、許し、溺れるようだった。
――ねえ、澪。私、怖いの。
始まりが何であるか。澪が思い出す時、真っ先に聞こえてくるのは、深く沈んだこはるの声だった。
澪にとってこはるの女優としての活動は楽しく、嬉しいものだった。彼女が活躍する度、自分のことのように喜ぶことができた。しかし、同時に芸能界と言う場所に、こはるが壊れてしまわないか恐れてもいた。
それを言うとこはるは「そんなことないよ」と笑って返したが。
灯台下暗しとはよく言ったもので、澪は芸能界という灯台に気を取られ過ぎていた。灯台の光が照らす――もっと自分たちの足元の危険が、想像以上のものであることに気付かなかった。意識を向けた時にはすでに遅かった。
その危険こそが――美宇だった。
「私は聞かされていた。こはるからあなたのことを」
「こはる先輩が?」
「そう。自分に危ないことをしてくるって」
「なんですか、それ? そんなこと私は――」
「してないって言い張るの? 私は聞いた。あなたがしてきたことの数々を。大体あなた、こはるに自分がしていることをまったく隠していなかったそうじゃない」
澪の口調は荒々しい。しかし、筆は止まらず描き続ける。
「こはるはそんなあなたに聞いた。なんで危害を加えてくるのかを。そして、あなたは答えた。澪先輩が好きだから――そう、あまりにくだらなすぎる理由を。私が聞き出した時には彼女はすっかり憔悴してしまっていた。こはるは優しい。私に心配を掛けまいとしたんでしょう」
「そんな、なんでそんなことを言うんですか? 私はやっていません。……こはる先輩が嘘をついたんじゃないですか?」
「噓? 笑わせないで。人の悪意にぶつけられ続けた人間がどうなるか知ってる? あなたは見ているでしょう? こはるの憔悴しきった、生き地獄にいるかのような状態を。あの姿を嘘というのは無理がある。それに――」
澪は筆を止め、美宇の目を突き刺すように見る。美宇はあまりの敵意に怯えた。そのふりをした。
「実際に見たのよ、私は。あなたが悪意を持って告白しているのを。なんでそんなことをしているのか。なぜ相手はこはるなのか。あなたがハキハキと楽しそうにこはるに言っているのを。……不思議に思わなかった? もう一度、危害を加えてくる理由を聞いてきたのか」
美宇は、あの時のことか、とすぐに分かった。だが、舌打ちしたい気持ちを抑え、顔には決して出さない。どうにか澪に好かれる方法を考える。
「……それでも私はやっていません。こはる先輩を殺してなんかいません。もう、こはる先輩の話はやめませんか? 折角、二人きりなのに……」
不満ばかりが募る。美宇にとって、これ以上ないくらいに楽しかった今日が灰色になっていく。
すでに描かれているこはるが美宇を見下げている。美宇は思わず睨みそうになった。あまりにも忌々しい。死してなお邪魔してくる彼女の顔を。
「二人きり、ねえ……」
そう言って、澪は再び絵を描き始める。
雨が勢いを増している。窓ガラスに打ち付ける雨粒が、なにかを訴えるように叩き続けていた。
澪はそのまま何も言わない。美宇はどんな顔をしていいのか分からなかった。声を掛けることもできない。下手なことを言えば嫌われてしまう。
「――私、今日はあなたを描くためにここに呼んだわけじゃないの」
唐突に澪が口を開く。告げられた内容に、美宇は一瞬意味を理解できなかった。あまりに目の前の行動と一致しない。
「……じゃあ、何を描いているんですか? なぜ私を呼んだんですか?」
「決まってるじゃない。……復讐よ」
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