ひまわりのプロミネンス

SHIPPU

星空のアンコール

 新校舎の建設が始まった日、私は彼女の秘密を知った。


 グラウンドの隅にひっそり咲いていたひまわり畑。その中心で、制服の裾を汚しながら土を掘り返す水野藍子の後ろ姿は、まるで何かに憑かれたように必死だった。彼女の足元には、さっきまで教室のロッカーに飾られていたはずの「命の水」のペットボトルが転がっている。


「水野さん?何をしてるんですか?」


 私の声に肩を跳ね上げた藍子が振り返った時、彼女の膝の上で金色の光が瞬いた。小さなスコップの先に引っかかったのは、時計の部品のような金属片だった。


「あっ、見つけちゃった...」


 藍子の声は春の風鈴のように震えた。彼女は制服のポケットからルーペを取り出すと、土まみれの金属片を慎重に覗き込んだ。


「やっぱり、この場所に埋まってたのね」


 その瞬間、遠くから建設重機の爆音が響き渡った。

 彼女の顔が蒼白になった。


◆◇◆


 桜丘高校の「アイドル」水野藍子が奇妙な行動を始めたのは、確か二週間前からだった。


 放課後の教室で、彼女はいつも机に突っ伏している。でもよく見ると、耳元でカチカチと規則正しい音がしている。教科書の影で、何かを組み立てているのだ。


「藍子ちゃん、最近ずっと何してるの?」友達が肩を叩くと、彼女は蝶々のように目をパチクリさせる。


「えへへ、秘密の特訓中なんだ」手のひらで机の上のものを隠す仕草が、いつもよりぎこちない。「そのうち、すごいもの見せちゃうかも?」


 その言葉を聞いた女子たちの間で、噂が広がった。藍子ちゃんがダンスの新曲を練習してる、オリジナルソングを作ってる、はたまた芸能事務所のスカウトが来ている...。誰もが彼女の「アイドル」としての進化を期待していた。


 でも本当は、全く違った。


◆◇◆


「実は私、天文部の幽霊部員なの」


 ひまわり畑の前で、藍子はポケットから古ぼけたノートを取り出した。表紙には「太陽観測日誌」と書かれている。ページをめくると、緻密な手書きの図表が延々と続いていた。


「お祖父ちゃんが残した天文台ね。三年前に閉鎖される時、大切な部品をここに埋めたんだって」


 彼女の指が金属片の刻印をなぞる。


「プロミネンス測定器の心臓部。これを取り戻さないと、今年の皆既日食のデータが取れないの」


 グラウンドの端でひそひそと光るひまわりたち。どうやら彼女は一年前から、こっそりここを手入れしていたらしい。


「みんなが『アイドル』って呼んでくれるから、ずっと言い出せなかった」


 藍子の白い手首に、土のシミが滲んでいく。


「天文台の跡継ぎだなんて、地味すぎるでしょ?」


 その時、突然校舎の窓から歓声が湧き上がった。見上げると、三年生の教室で誰かがスマホを掲げている。画面には「桜丘アイドル総選挙速報!」の文字。一位の名前がピンクのハートマークに包まれて点滅していた。


水野藍子 ── 357票


「ほら、やっぱり」


 藍子が自嘲的に笑う。


「私の居場所はあっちなんだ」


◆◇◆


 その夜、私は古い新聞記事を検索していた。


〈町立天文台 老朽化により閉鎖〉


 記事の写真に写る少女時代の藍子。望遠鏡にしがみついて泣いている。記事の最後には町長の言葉が。


「次の世代が興味を持てば再開の可能性も」


 窓の外で雷光が走った。明日が皆既日食らしい。


◆◇◆


 当日の朝、グラウンドは人だかりで埋まっていた。でも待ち構えていたのは日食グラスではなく、スマホのカメラばかり。藍子が「重大発表」をすると告知したからだ。


「ごめんなさい、嘘をつきました」


 ステージに立った藍子の手には、錆びた機械の部品が握られていた。天文部のジャケットを初めて着ているのに、誰も気づかない。


「私の本当の夢は...」


 マイクがハウリングする。


「この町でまたプロミネンスが見たいんです!」


 ざわめきが広がる中、彼女がタブレットを掲げた。映し出されたのは、祖父の観測データを使ったシミュレーション映像。太陽の炎が竜のように舞う。


「今日の日食中に、この装置でコロナの...」


「つまんないことより早く歌ってよ!」どこかからヤジが飛ぶ。何人かが笑った。


 藍子の肩が小さく震える。その時、空が突然暗くなった。


 皆既日食の始まりだった。


「あの...今なら肉眼でもプロミネンスが...」


 必死な声がマイクを揺らす。


「ほら、左上に見える赤い炎! あれが...」


「藍子ちゃん、こっち向いて!」「ポーズとって!」


 フラッシュが煌めく。

 暗闇に浮かぶ藍子のシルエットは、確かに美しいアイドルのそれだった。でも彼女の頬を伝わる光の筋が、星の涙のように見えた。


◆◇◆


 一時間後、私は解体予定の旧校舎屋上で彼女を見つけた。組み上げたばかりの測定器を、壊れたオルゴールのように抱えている。


「データ、取れた?」


 隣に座ると、コンクリートがひんやりしていた。


 藍子が無言でノートを差し出した。観測記録のページに、大きな×印がついている。


「また失敗...。お祖父ちゃんの時計仕掛けみたいな機械、私じゃ直せないや」


 その時、風が舞い上がった。

 ポケットから金色のパーツが転がり落ち、私の足元でキラリと光った。ひまわり畑で見たあの部品だ。


「ねえ、これさ」拾い上げた金属片の裏側に書いてあった小さな文字に気付いた。「TAKAMINEって刻印があるよ」


 藍子が弾かれたように顔を上げた。


「それ...高山精密工業? 今は倒産した町の工場ですね...」


 私たちは同時に校舎の窓を見た。そこに貼られた新校舎完成予想図には、天文ドームの影もない。


「わかった! この部品、高山さんたちが作ってたなら...」藍子が突然立ち上がり、スカートの裾を翻した。「町の図書館に設計図があるかも!」


 彼女の目が、ようやく本物のプロミネンスアイドルのように輝いた瞬間だった。


◆◇◆


 翌週、文化祭のポスターが貼り替えられた。


 中央で笑う藍子の後ろに、手作りの太陽望遠鏡が描かれている。タイトルは「ひまわり天文部再始動!」


 投票用紙が舞う廊下で、彼女は今でも時々小声で歌う。でもその歌詞は、黒点周期についてだったりする。


「アイドルって、みんなを同じ方向を向かせる人でしょ?」


 先週植え替えたひまわりに水をやりながら、彼女が照れくさそうに言った。


「だったら、私のプロミネンス...太陽の炎だって立派なアイドルじゃない?」


 グラウンドの向こうで、新校舎の鉄骨がゆっくりと伸びていた。その頂点に、小さな天文ドームのデザインが追加されたのは、それから一月後のことである。

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