第7話 血煙の渓谷
霧深きモルテ渓谷に、剣戟の音が響き渡る。
ガウデリウスは剣を振るい、迫り来る盗賊の一撃を弾いた。鋭い刃が火花を散らし、渓谷の冷たい空気を裂く。
「思ったよりも手強いな、ヴェルノンの亡霊よ!」
グロムが薄く笑う。黒装束の裾を翻しながら、手にした細身剣を巧みに操る。その動きには無駄がなく、まるで死神が舞うかのようだった。
「そちらこそ……ただの刺客ではなさそうだな」
ガウデリウスは距離を取りながら、相手の動きを見極める。だが、周囲には十数人の盗賊がひしめき、彼とイザベルを囲んでいた。
「おいおい、こいつを殺したらたんまり報酬が入るんだ。俺たちにも分け前をよこせよ!」
「いいぜ、ただし働いた分だけな!」
盗賊たちは笑いながら武器を構える。彼らにとって、ガウデリウスの首は金に変わる獲物に過ぎない。
「イザベル、下がれ!」
ガウデリウスが叫ぶと、イザベルは素早く後退した。しかし、すぐ背後には盗賊の一人が待ち構えていた。
「へへっ、嬢ちゃんも楽しませてくれよ……ぐあっ!」
次の瞬間、イザベルの短剣が盗賊の肩口に突き刺さる。男は苦悶の声を上げて後退した。
「……私に触らないで!」
イザベルは短剣を構え、鋭い眼光で敵を見据えた。
「チッ、なかなかやるじゃねえか」
盗賊たちが距離を詰めようとしたその時——
地を裂く轟音。
渓谷の岩壁が崩れ、瓦礫が降り注ぐ。
「逃がさんぞ……!」
細身剣が唸りを上げる。ガウデリウスはそれを受け流し、反撃の一撃を放つ。しかし、相手は素早く後退し、間合いを保った。
「さすがはヴェルノンの騎士。だが、どこまで持つかな?」
「試してみるか?」
互いの剣が再び交錯する。ガウデリウスは相手の隙を狙うが、グロムの技量は並の兵士とは一線を画していた。
その間にも、盗賊たちはじりじりと二人を追い詰めていく。
「このままでは……」
ガウデリウスは歯を食いしばる。敵は多すぎる。いずれ消耗し、倒れるのは時間の問題だった。
だが、その時——
「野郎ども、ここは俺たちの縄張りだぜ!」
突如、谷の上から新たな影が現れる。
それは別の盗賊団だった。彼らは赤い紋章を掲げ、手にした弓や槍をこちらへ向けている。
「チッ……厄介な連中が来やがった」
グロムが舌打ちする。どうやら、ここで争っているのは俺達だけではないらしい。
「どうする? 俺たちの獲物を奪う気か?」
「てめえらが誰を狩ろうが関係ねえ。だがな、ここは俺たちの縄張りなんだよ!」
敵同士の対立。
ガウデリウスはその混乱を利用するしかない。
「イザベル、今だ!」
彼はイザベルの手を取り、一気に渓谷の奥へと駆け出した。盗賊たちは新たな敵との戦いに気を取られ、彼らを追う余裕はなかった。
「追うな! まずはこいつらを片付けるぞ!」
グロムの怒声が響く。
ガウデリウスとイザベルは荒れ果てた谷を駆け抜け、霧の向こうへと姿を消していった。
「……何とか、撒いたか?」
岩陰に身を潜めながら、ガウデリウスは息を整えた。イザベルも肩で呼吸をしながら、手にした短剣を握りしめている。
「あなた……王国の騎士だったのね」
「今はただの逃亡者だ」
彼は肩をすくめた。そして、ふとイザベルの手元に目をやる。
「それはなんだ?」
「わからない、異教徒の物かもしれないわ」
イザベルは怪しげな異教徒の護符をガウデリウスに見せた。
歩いていくうちに、二人が辿り着いたのは、渓谷の出口。そこには、隠された古い獣道があった。
ガウデリウスは、遠くに見える街の灯りを指差した。
「サン=ベルナールだ」
そこは王国の南東に位置する重要な都市であり、かつてガウデリウスが駐在していた場所でもあった。
「ここなら、しばらく身を隠せる」
しかし、その表情には警戒の色が浮かんでいた。
「……どうしたの?」
イザベルが不安げに尋ねる。
「この街には、別の危険が潜んでいる」
そう。貴族たちの陰謀、そしてベルナールの策略が待ち受けているのだ——。
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