第8話 策謀の都
霧と死の気配に満ちたモルテ渓谷を抜け、ガウデリウスとイザベルはサン=ベルナールへと足を踏み入れた。
だが、この街もまた安息の地ではなかった。
◆
街の門をくぐると、そこはかつての繁栄を失ったかのような光景が広がっていた。古びた石畳には無数のひびが走り、建物の壁には黒ずんだ汚れが染みついている。
広場には物乞いと疲れ果てた商人が座り込み、どこからともなく響く鐘の音が、死者への祈りを告げていた。
「ここが……王国南部の要衝?」
イザベルが驚きを隠せずに呟いた。
「いや……これは、何かがおかしい」
ガウデリウスは辺りを見回す。街の空気は淀み、人々は影のように歩く。かつてこの地を守っていた騎士団の姿もない。
そして、何よりも——
「ようこそ、逃亡騎士殿」
暗がりから、低い声が響いた。
そこに立っていたのは、一人の男。異国風の衣装に身を包み、漆黒の長衣を翻すその男は、微笑を湛えていた。
「……ハサン」
「久しいな、ヴェルノンの騎士よ」
男はゆっくりと近づいてくる。その手には精巧な指輪が嵌められ、腰には細身の短剣と、異国の刻印が施された巻物がぶら下がっていた。
「どういうつもりだ?」
「つもり?」 ハサンは肩をすくめる。「お前にとっては亡命先、だがここでは……処刑場に等しい。貴族たちはお前をずっと監視しているぞ」
イザベルが身構え、短剣を握りしめる。しかし、ハサンはそれを一瞥しただけだった。
「何が起こっている?」
ガウデリウスの問いに、ハサンは笑いながら答える。
「簡単なことだ。ベルナールは王国を裏切りつつある。だが、まだ決定的ではない……慎重に動いている」
◆
その夜、ガウデリウスは廃墟となった旧市街で、街の異変について耳を傾けた。
サン=ベルナールは、すでにかつての王国の支配から遠ざかりつつあった。
商人ギルドは怪しげな取引を繰り返し、貴族たちは裏で新たな勢力との交渉を進めている。異端審問官が街を巡回し、王国に忠実な者たちを次々と粛清していた。
そして、その裏で——
「ベルナールはすでに、王国の行く末を別の手に委ねるつもりでいる」
ハサンの言葉に、ガウデリウスの眉が険しくなる。
「……どういう意味だ?」
「ベルナールは王国の衰退を見越している。そして、新たな支配の枠組みを模索している。だが、それを決定づけるにはまだ時間が必要だ」
イザベルが息を呑んだ。
「そんな……じゃあ、このままだと……」
「いずれ王国は大きな選択を迫られるだろう。だが、その時が来る前に、手を打つことも可能だ」
ガウデリウスは、拳を握りしめる。
「……選択肢は?」
ハサンは再び笑みを浮かべる。
「サン=ベルナールでは答えは見つからぬ。だが、東方の交易都市 リュケイア ならば別だ」
「リュケイア……?」
「異国の知識が交差する地でありウィンドパスの中継地点。そこには、王国の陰謀の裏に隠された真実があるかもしれぬ」
ハサンの言葉に、ガウデリウスは目を細める。
「なぜ、そこへ導こうとする?」
「導く……? ふむ、私がどちらの味方なのかは、お前自身の目で確かめることだ」
ガウデリウスは迷った。
リュケイア——異国の商人と戦士が集い、秘術や武具が取引される都市。その地には、「銀の指輪」に関わる何かが眠っている可能性がある。
だが、その地へ赴くことは、さらなる危険へと足を踏み入れることを意味する。
「選ぶのはお前だ、逃亡騎士殿」
ハサンの声が静かに響く。
暗雲の広がる王国の未来、その答えを求めるならば、彼は再び旅立たねばならない。
向かうは 東方の交易都市リュケイア。
そこに、運命を左右する選択が待っている。
その夜、ガウデリウスはサン=ベルナールの宿屋にて短い休息をとった。
だが、夜半過ぎ、扉を叩く音が響いた。
「……?」
剣を手にし、静かに扉を開く。
そこに立っていたのは、漆黒の鎧をまとい、鎖を巻いた異形の男——審問官、灰鎖のアズラ。
「探したぞ、ガウデリウス。王国への反逆者よ」
その声は低く、そして氷のように冷たかった。
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