第6話 骸の囁き、渓谷に谺す
モルテ渓谷への道は、まるで死者たちの嘆きを刻むかのように、荒涼としていた。
ガウデリウスは、亡者騎士から受け取った錆びたメダルを手にしながら歩いていた。それは、ただの遺物ではない。何かを示し、何かを語る存在であるように感じた。
「汝は戻ってくるであろう……」
亡者騎士の言葉が、なおも脳裏にこびりついていた。しかし、今は先へ進まねばならない。
夜が近づき、渓谷の霧が濃くなり始めた。その冷気は肌を刺し、鎧の奥へと忍び込む。
モルテ渓谷。
かつて王国と異教徒との戦場となったこの地は、今や誰も寄り付かぬ呪われた場所と化していた。崩れかけた石碑、矢じりが突き刺さったままの骸骨、朽ちた旗……。かつての戦士たちの亡骸は、風化しながらも未だこの地に留まり、過去の戦火が未だ消えぬまま刻みつけられている。
ガウデリウスは慎重に足を進めた。足元の瓦礫が小さく砕ける音だけが、不気味な静寂の中に響く。
「……誰か、いるのか?」
彼は低く問いかけた。ここに追っ手がいる可能性は低い。しかし、何者かの気配を感じたのは確かだった。
やがて、岩陰から震える影が現れる。
「……お願い……殺さないで……」
ボロボロの外套に身を包んだ少女が、怯えた眼差しをこちらへ向けていた。髪は乱れ、頬は痩せこけている。その手には古びた木の杖が握られ、傷ついた足を庇うように支えていた。
「お前は……?」
「イザベル……私は……この地を越えようとして……でも、道に迷って……」
彼女の目は、ただの旅人のものではなかった。何かを隠している。だが、今はそれを問いただす余裕はない。
「ここに留まるのは危険だ。来るなら、黙ってついてこい。」
イザベルは躊躇いながらも、ガウデリウスの後に続いた。
そして、その直後——
地響き。
暗がりの中、巨岩が軋み、動き出す。苔むした岩肌に刻まれた紋様が青白く光り、巨大な石像がガウデリウスたちの行く手を阻むように立ち上がった。
「……ゴーレムか」
それはかつて、異教徒が造り出した戦闘兵器だった。しかし、今では主を失い、侵入者を排除するただの守護者と化している。
「戦えるか?」
問いかけるまでもなく、イザベルは腰の小さな短剣を抜いていた。彼女の眼差しには恐れと決意が入り混じっている。
ゴーレムの腕が動いた。鈍重ながら、質量を伴った一撃は地面を砕き、砂塵を巻き上げる。ガウデリウスは素早く横へと跳び、剣を振るう。しかし、鋼の刃は硬い岩肌に弾かれる。
「っ……!」
間一髪、イザベルが地面へ転がることで回避した。その刹那、彼女は地面に転がる何かを掴む。
異教徒の護符。
それは、遥か昔にここで戦った異教徒のものか、それとも……。
「ガウデリウス!」
イザベルの声と同時に、彼は目の前の巨体を観察した。関節部分が脆くなっている……そこを狙うしかない。
「イザベル、時間を稼げ!」
彼女は素早く周囲の瓦礫を蹴り飛ばし、ゴーレムの注意を引く。わずかな隙を突き、ガウデリウスは渾身の一撃を放った。
刃が関節の隙間へ深く入り込み、亀裂が走る。
次の瞬間、ゴーレムの動きが鈍くなった。その機を逃さず、ガウデリウスはもう一撃を加える。轟音とともに、巨体が崩れ落ち、渓谷の地へと沈んだ。
静寂が戻る。
だが、その静寂は長くは続かなかった。
「……逃げ場はないぞ、ヴェルノンの亡霊」
不意に響く嘲笑。霧の中から、十数人の男たちが現れる。粗末な鎧と汚れた武器——盗賊団だった。
さらに、盗賊たちの後ろには、一人の黒装束の男が立っていた。鋭い眼光を持ち、腰には手入れの行き届いた細身剣。
「ベルナール様よりの預かりものだ。貴様の首、喜んでいただこう」
賞金稼ぎ、血霧のグロム。
ガウデリウスは剣を構えた。イザベルは短剣を握りしめる。
「まったく……次から次へと」
かつての王国の騎士、今は逃亡者。ここで死ぬつもりはない。
剣を振るう準備はできていた。
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