おまけ.1 小夏という少女 前編

 ――本編開始二日前。


 

 ――ピピピピッ!


 寝室に目覚ましの音が鳴り響く。


「むにゃ…。ん…、もうちょっとだけ…。」


 寝ぼけている小夏は目覚まし時計を止めると、そのまま眠る。


 ――ガチャッ


 しばらくすると寝室のドアが開く。しかし、小夏は音に気づく様子はなく眠ったままだ。


「小夏!起きて!今日学校最後でしょ!」


 姉の声が聞こえる。起きなきゃいけないが、もう少し眠りたい。


「う~ん…おねえちゃん…もうちょっとだけ…。」


「だめよ!小夏は女の子なんだからいろいろやらないとでしょ?」


 そう言って布団をどかし、小夏を無理やり起こす。


「う〜…。おねえちゃん髪やって〜。」


「はいはい、まずは顔洗いましょうね。」


「は~い…。」


 洗面所に行き顔を洗い、化粧水と乳液を顔に塗る。

 歯を磨いている間に姉が髪を整えてくれる。


「ごはん用意できてるから、ちゃっちゃっと食べてね。」


「うん。おねえちゃんありがとう。」


 リビングに行くとトーストが置いてあり、父がいた。


「パパおはよ~…。ママは?」


「おはよう、小夏。ママならもう仕事に行ったよ。今日は最後の一仕事があるみたい。」


 あまり詳しくは聞いたことないが、母は大手企業の役員をしている。新しく事務所を構えるらしく、そこの責任者に選ばれたらしい。今回引っ越すことになったのもそれが理由だ。

 ちなみに父はフリーで通訳などをやっており、基本的に在宅で仕事をしている。


「ところで小夏。今日も詩音しおんに起こしてもらったの?」


「うん!おねえちゃんに髪もやってもらったの!」


 小夏は、そう言って嬉しそうに髪を父にアピールする。姉である詩音はちょっと嬉しそうにする。


「そうか、良かったな〜。でも、いつまでもお姉ちゃんに頼ってばっかりだと駄目だよ。自分のことは自力で出来るようにならないと…。」


「は~い…。」


 父の言葉に少し反省しながら、テーブルに座りトーストを食べる。いつものことだが、時間に余裕がないため急いで食べ終えると、さっと歯磨きをして制服に着替える。


「行ってきま〜す!」


 制服に着替え終わると、父の返事も聞かず、足早に家を出る。走ればもう少し家でゆっくり出来るのだが、朝から走りたくはないため歩いて間に合う時間に家を出るようにしている。


 


 ――何事もなく、学校に到着する。時間もいつも通りだ。しかし、学校に着いてから小夏は憂鬱になっていた。なにしろ今の学校に通うのも今日で最後だからだ。

 転校先で友達は出来るだろうか?クラスに馴染めず嫌な目に遭ったりしないだろうか?

 不安なことばかりを考えながら教室に入る。


「あっ!こなちゃ~ん!!おはよ~!!」


 教室に入ると同時に、クラスの中でも一番仲の良い朱里あかりが抱きついてくる。朱里はクラスの中でもかなり発育が良く、そのでかい胸に私の顔が埋まる。


「むぐっ!ん~~っ!」


 私の顔が朱里のそれに埋まって声が出せない。というか朱里の力が強くて、密着しており呼吸すらできない。離してもらおうとタップする。


「アハハハッ!こなちゃんくすぐったいよ!」


 視界が真っ暗で何も見えないからどこをタップしたのか分からないが、朱里はくすぐったがるだけで私が息できないことに気付いてなさそうだ。このままでは意識が飛んでしまいそうだ。


「なぁ朱里、小夏たぶん呼吸出来てないぞ…。」


 その様子を見かねた男子が朱里に言う。朱里はハッとして手を離すと小夏の顔を覗き込む。


「ごめんね!こなちゃん!!大丈夫?」


「…プハッ!ハア…ハア…。」


 豊満な凶器から解放され、声を出す余力もない小夏は呼吸を整える。小夏の顔は火照って赤くなり、目は潤んでいた。


「こなちゃんかわいい〜!」


 その表情を見た朱里は小夏をまたも抱きしめるのだった。


「むぐっ!」


 今度は力加減をしているのか、声は出せないが呼吸は出来るし、視界も確保されている。まあ見えるのは朱里の胸だけだが。


「はぁ~…、こなちゃんをこうできるのも、今日で最後か〜。」


 その言葉にハッとして小夏は視線を上に向ける。今日で最後。朱里もきっと淋しいのだ…。そう思っていたのだが――。


「上目遣いのこなちゃんかわいい〜〜!!」


 小夏が顔を見上げるのを待っていたとばかりに、朱里は嬉しそうな顔をする。そして抱きしめる力が強くなる。


「ん~~っ!むぐぐっ!」


 小夏はまたも呼吸ができなくなり、じたばたしながら朱里に目で訴える。朱里は恍惚な表情でそんな小夏を見ていた。

 朱里はSっ気が強かった。小夏が必死な表情になっていく度に朱里は嬉しそうな表情をしていた。

 一番仲が良いと言ったが、実際はほとんど小夏への一方的な好意だ。

 小夏が抵抗する力も無くなり、もう駄目だと思い始めたころ、朱里はその手をパッと離す。


「ゲホッ、ゲホッ…!」


 涙目になりながらも、小夏は必死に呼吸を整える。


「こなちゃん、ごめんね!あまりにもかわいいから、ついやりすぎちゃった…。」


 朱里は小夏の背中を優しく擦る。


「ハァ…ハァ…。朱里きらい…。」


 小夏は朱里に擦られながら呼吸を整えると、朱里から顔を逸らして呟いた。

 朱里は一瞬この世の終わりみたいな顔をする。だが、焦った様子で小夏に話しかける。


「ほんとにごめん!もうしないから!そうだ!帰りにケーキ食べに行こ?」


 小夏の耳がピクッと動く。その仕草を見逃さなかった朱里が間髪入れずに話し続ける。


綾子あやこさんのお店、昨日新作出たでしょ!一緒に食べに行こ?もちろん紅茶もセットで!」


 綾子さんというのは行きつけのパティスリーのオーナーパティシエだ。綾子さんのお店は、雑誌にも取り上げられるほどの人気店で、小夏はそこのショートケーキが大好きだった。


「……ショートケーキも食べていい?」


「もちろん!こなちゃんショートケーキ大好きだもんね!一個と言わず好きなだけ食べていいよ!」


 小夏の言葉に待っていたとばかりに畳み掛ける。それを聞いた小夏の表情はパアッと一瞬にして明るくなる。


「ありがとう!!朱里大好きっ!」


 そう言って今度は小夏から朱里に抱きつく。朱里は満足そうに小夏の頭を撫でていた。


 ――キーンコーンカーンコーン。


 と、予鈴が鳴る。


「こなちゃん、またあとでね!」


 朱里はそう言って名残惜しそうに小夏から離れると席に座る。小夏も席に座り、荷物を置く。しばらくして、担任が来てホームルームが始まった。



「え~っ、では今日で東山が学校来るのも最後だから、皆最後まで仲良くな。」


 担任がそう言って、ホームルームは終わった。担任の言葉に皆がし~んとなる。今日が最後。その言葉を聞くだけで小夏は淋しくなる。

 そんな様子に気づいたのか、朱里が小夏に近寄って優しく抱きついてくる。


「こなちゃん、今日で学校で会うのは最後かもだけど会いに行くからね!こなちゃんが困ったらなんでも力になるから!」


 そう言って小夏の頭を優しく撫でる。


 こういうところが朱里の魅力だ。朱里は私の気持ちをしっかり汲み取ってくれる。困ってるときは必ず力になってくれるし、淋しいときは必ず側に居てくれる。

 もちろん普段から優しく扱ってくれると嬉しいのだが、朱里なりの愛情表現なのだと割り切っている。


「朱里、ありがとう…。」


 小夏がそう言うと、朱里は嬉しそうにしていた。



 ――放課後になり、一通りクラスメイトに別れの挨拶をした私は朱里と目的のお店に向かった。


 ――しかし、お店にはCLOSEDと表記された看板が立てかけられていた。


「今日、そういえば定休日だ…。」


 小夏はショックを受ける。なにせ、放課後までずっとケーキを楽しみにしていたのだ。小夏はショックのあまり目に涙を浮かべる。

 その表情を見て、朱里は瞬時に携帯を取り出す。


「こなちゃん待ってて!今綾子さん呼ぶから!」


 朱里は私のことになると、とんでもない行動力を発揮する。その行動力は嬉しいけど、さすがに綾子さんの迷惑になってしまう。


「待って朱里!綾子さんに迷惑かけちゃうし、ケーキだって準備できてないでしょ!」


「…もしかしたらケーキ仕込んでくれてるかもしれないよ。」


 そんなやり取りをしてると、店から誰か出てくる。綾子さんだ!


「こなちゃ〜ん!待ってたよ!!さ、二人とも入って入って!」


 綾子さんは、私たちを見るなり有無を言わせず店内に押し込む。わけも分からず店内に入ると、どこからともなく甘い匂いがする。


「綾子さん?今日休みなんじゃ…。」


「今日はこなちゃんのためにいろいろ準備してたの!麻衣まいさんとまことさんも招待しているから、仕事終わったら来ると思うわ。」


「え!?お母さんとお父さんも呼んでるの!?教えてくださいよ!」


「え?朱里ちゃんに伝えてたから、それで来たんじゃないの?」


 綾子はきょとんとして二人を見る。小夏はハッとして朱里の顔を見る。


「朱里、どういうこと…?」


「サプラ〜イズ…。なんちゃって…。」


 朱里は目を逸らしてバツが悪そうに答える。たしかに嬉しいサプライズだ。しかし、今朝の一件を思い出す。朱里はケーキを好きなだけ食べていいって言ったから、あの一件を許したのだ。


「朱里、今朝のこと覚えてるよね?」


「あはは…。…あ、でもケーキ好きなだけ食べていいと言っただけだから、嘘はついてないよ!」


「朱里やっぱりきらい…。」


 朱里からわざとらしくふいっと顔を背ける。


「今朝はほんとにごめん、こなちゃん!もうしないから!」


 朱里はそう言いつつ、隙を見て小夏に抱きつこうとしてくる。


「朱里ちゃん、こなちゃんをいじめちゃ駄目よ。ほらこなちゃん、こっちおいで。」


 見かねた綾子さんが店の席に座ると私に手招きする。朱里から逃げるように綾子さんの隣に座る。

 すると綾子さんは、私を膝の上に乗せ優しく頭を撫でる。綾子さんからはケーキと紅茶のいい香りがして、近くにいると心が落ち着く。


「綾子さん好き…。」


 小鞠は猫のように従順になり、綾子にぴったりくっつく。朱里は羨ましそうにしながらも、その様子を眺めるしかなかった。


「ほら、朱里ちゃんもおいで。」


 綾子は朱里の様子を見ると、微笑みながら手招きする。手招きされるまま朱里が綾子の隣に座ると、小夏がピクッと警戒する。


「こなちゃん、大丈夫だからね〜。ほら、朱里ちゃんもよしよし…。」


「ん…。」


 綾子は朱里の頭を優しく撫でる。すると、朱里も大人しくなり、猫みたいに綾子にぴったりくっつく。警戒していた小夏も、安心したのか目を閉じ気持ちよさそうにする。


「ふふっ。二人ともかわいいわね。朱里ちゃんはもうこなちゃんのこといじめちゃだめよ。」


「うん…。こなちゃんごめんねぇ…。」


 綾子の一言で朱里は素直に謝る。


「こなちゃんも許してあげて。朱里ちゃんと喧嘩したままは嫌でしょ?」


「…もう絶対しない?」


「絶対しない…。」


「……なら許す。」


 小夏が呟くと朱里はパアッと明るい表情になる。綾子はその様子を満足そうに見ていた。


「さ、二人ともケーキ食べよっ!まずは新作ケーキ持ってくるからね!」



 小夏の両親と姉も料理を持って合流し、お店貸し切りのパーティーが行われるのだった――。






「ごちそうさまでした!」


 一通り準備していたケーキを食べ終え、皆大満足だった。特に、小夏は幸せそうに紅茶を飲んでいる。


「ふふっ。こなちゃん幸せそうね…。向こうでの生活に慣れたらでいいから、またいつでも来てね…。」


 綾子さんが名残惜しそうに呟く。その言葉を聞いてハッとする。朱里も淋しそうに下を向く。


「…ありがとうございます!……朱里もいつもありがと…。」


 綾子さんと別れることに淋しさを感じつつも、感謝を述べる。…いつも一緒に居てくれるし、なんだかんだで優しいから朱里にも感謝を伝えておく。


「こなちゃん…!」


「わっ…んむっ…。」


 僅かに涙ぐむ綾子さんが私を抱きしめる。先ほどより力が強く、呼吸がしにくいが綾子さんの離れたくない、という気持ちの表れなのだろう。もしかしたら、今朝の朱里にもそういった感情が少なからずあったのかもしれない…。

 そんなことを考えながら小夏は綾子さんに身を委ねた。

 

 しばらく抱きしめると綾子さんは名残惜しそうに手を離した。


「そうだこなちゃん、これ帰ったら読んで。」


 そう言って綾子さんから手紙を渡される。


「綾子さん、ありがとうございます…!」


「うん、元気でね…こなちゃん!」


「はい…!綾子さんもお元気で…!」


 涙を浮かべながら、綾子は小夏の頭を撫でる。小夏も涙目になりながら綾子に別れの挨拶を告げるのだった。




 綾子さんに別れを告げ、店を出る。朱里ともここでお別れだ。朱里が突然抱きついてくる。反省したのか、今回は優しい。


「こなちゃん…!淋しいよ…!お別れなんて…したくない…うぅっ…。」


 朱里は泣いていた。今まで朱里と一緒にいたが、朱里が涙を流したところは一回も見たことがない。朱里に釣られて、私も涙がボロボロ溢れてくる。


「朱里ぃ…!私ももっと一緒にいたかった…!冷たくしてごめんねぇ…。ほんとは朱里のこと大好きだよ…!」


 しばらく涙を流しながら、お互いに抱き合っていた。


「こなちゃん…!元気でね…!」


「うん…!朱里も元気でね!」


 涙が止まると、最後にもう一回抱き合い父親の車に乗った。朱里が見えなくなるまで手を振りつづけた。




 ――泣いたこともあり、今日はどっと疲れた。家に着いてから最低限のことを済ませると、綾子さんから渡された手紙を読む。

 そこには、感謝や愛情などのいろんな思いが込められた文章と、また後で。という一言が添えられていた。

 何はともあれ、今日はもう寝よう。今日は支部にも顔を出さないといけないなぁ。そう思いながら寝支度を整え、ベッドに横たわるとすぐに意識が途絶えた――。

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